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本を読んだら思ったことを書き込むスレ1
8
:
尊=読子=千秋=リードマン
◆9GH2N0d.sg
:2023/12/28(木) 22:56:42
オットー・シュトラッサー『栄光のウィーンフィル』芹沢ユリア(ユリア・ゼヴェラン)訳 音楽之友社(昭和52年)
内側からウィーンフィル管弦楽団について書いた本はあまりないと思う。
オットー・シュトラッサーは第二バイオリン担当、指揮者の目の前に座る。
フィルハーモニー設立から、オットー・シュトラッサー退職まで、内部で何があったのか。
クラシックが好きな人は一曲事にさまざまな事が脳裡に浮かんでくるだろう。
【楽団員】
はじめはほぼ全員がオーストリア人。
【フルトヴェングラーとカラヤン】
仲があまりよくなかった。
【オーストリア】
一度独立国家ではなくなり、第一次大戦になりナチスの管理になる。
よこされたナチスの幹部自身も音楽に親しんでおり、かなり合わせてくれる。
爆撃により一部が壊れてからウィーンフィルの困難の時期が始まる。
第一次大戦直前に独立国家ではなくなり、それまでは楽団員で地位争いがあった。
記憶が間違ってなければこのころには、リヒャルト・シュトラウス、トスカニーニなどがいた。
【ヴィルヘルム・フルトヴェングラー】
芸術的に表現したいタイプで、楽員が失敗すると怒り「もう二度とウィーンには来ない!」と
いって舞台から出るとすぐ戻ってくるのが日常であった。
音楽録音を取り入れ、ラジオやテレビでも録音する。
マイクで音が入る時には、実際の演奏と波長が違っており、わずかに加減して、
機械から感動的な演奏が流れるように演奏するわけだが、フルトヴェングラーは音のずれに怒った。
オットー・シュトラッサーは「なんと自分で人生を難しくしているのだろうか」と感じたという。
そんなシュトラッサ―も現代音楽よりも伝統を好んだ。
イギリス王室の誰だったかがシュトラッサ―に「現代と古典とどちらを選びますか」と聞かれていて、この本でも
答えは現代音楽を否定はしなかった。
【ヘルベルト・フォン・カラヤン】
ウィーンフィルでとくに優秀な人を上げるならフルトヴェングラーとカラヤンかと思う。
ウィーンフィルに詳しい人には異論があると思うが、私がほかの指揮者の名前を知らないだけである。
すでに知っている所、理解しやすい所しかあまり覚えていられないのは、記憶の悲しい所である。
オットー・シュトラッサーは第二次大戦後に楽団長になりカラヤンに一目置くので、常にカラヤンと親しくしようとしていた。
カラヤンは冷静すぎるのか、あまり顔に出ないタイプなのか、なかなか心を開かないが
シュトラッサ―がカラヤンを知ったころからずっと気にかけたため、すこしずつ変わる。
娘の結婚式だったかでオットー・シュトラッサーも呼ぶくらいにはなった。
【財政状況】
とにかく金がない。劇場を持っているのに、その場限りの公演を最初から戦後もずっとやっている。
二度の大戦はヒットラーに追われるところから、第二次大戦後までほとんど移動している。
数か国の劇場、設備などの地下道を通って逃れ続けていたくらい、安住の場が存在しなかった。
第二次大戦後はやはり時代により、観客は増えることになる、レコード録音、ラジオやテレビの録音や映像のためだろう。
音楽として、芸術としてはレコードは少し音がずれてしまうため、楽団はそれほど喜んではいなかった。
だが戦後が最も経済が安定し始めると思う。
【年金など税金でもっていかれる】
これは日本と似ているようだ。
【オットー・シュトラッサーが楽団長を辞める】
反対派が常にいるが、選挙で3回か4回、オットー・シュトラッサーが楽団長に推薦されるが
最後は自ら辞退し、ついに退職する。
クラシックが好きな人にはCDジャケットに名前が書いてある人たちが実際に
ウィーンフィルで何をしたのか書いてあり、楽しめるのではないだろうか。
ウィーンフィルで何があったかを研究するのに、外からはいくらでも論じられるが
内部のことは所属している人にしかわからないので貴重だと思う。
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