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仏教学
58
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 16:07:32
>>54
>>52
は業界人の問答例であり、部外者に向けた解説ではない。
あなたは、数学者の議論を聞いてちんぷんかんぷんだと怒っているようなものだ。
59
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 16:14:54
数学者の議論は同じ数学でも専門が違うと数学者同士でもついていけなくなる。
60
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 16:27:33
関学コンプ君、今日もいるね。やっぱりエントリー君と同一人物なのかな?
61
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 16:28:25
>>57
この中で解説が役立つとすれば
「有為の奥山」
であろう。これは幸せな人生を送った人の多く活用した手段と形式や、副産物として得た
名誉などに囚われて、広大深刻な迷路に落ち込んだ事の描写である。
老荘の「無為自然」の概念を借りて表現したもの。
62
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 16:39:17
>>61
誤解を防ぐため修正補足する。
>これは幸せな人生を送った人の多く活用した手段と形式や、副産物として得た
>名誉などに囚われて、広大深刻な迷路に落ち込んだ事の描写である。
==>
これは幸せな人生を送った人の多く活用した手段と形式や、副産物として得た
名誉などを見た者がに、手段と形式や副産物の獲得に囚われて、広大深刻な迷路に落ち込んだ事の描写である。
63
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 23:03:12
メタファー、レトリックの嵐だな。
もっとストレートに釈迦の教えなり、真宗の教えなりを説明してほしいんだが。
64
:
研究する名無しさん
:2015/01/22(木) 23:15:24
こういうのは分りやすく言うと有り難味がないだろ。
65
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 00:16:30
>>63
現代日本において、仏の教えを説明するのは難しい。
何故かといえば、そのほとんどは日本人の骨肉となっていて
あえて言葉にすれば、当たり前過ぎる事でなんの新味も感じられない。
そんな当たり前の事に違背して自他共に不幸にしている者は当然いる。
そういうバカでも言葉の上では善悪を知っている。すでに法律にも盛り込まれている。
つまり、日本人の多くは既に仏の救いの手の上にあると言える。
だから、大災害の被災者たちの冷静な動向、情景が世界の人々を驚かした。
これは仏国化して千数百年の歴史と自然環境が育んだ国民性だ。
66
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 00:47:08
>>65
例えば、算数の初歩、言語、文字などの有用性、それを活用するに至った
プロセスを、既にそれを日常的に活用している小学生にことごとしく説明しても
なんの面白みも感じさせないのと同じだ。
幼稚園児なら、小学校で何か未知の良い事をやっているらしいと興味を示すかもしれない。
これは研究者が示す興味と同質のもの。
既に当たり前になっていることが、なぜ当たり前なのかに興味を抱いたり、
失恋、肉親との離別、裏切りに遭遇して人生を見失い、すがるべき藁を求めた時
藁でも良いからと思いつつ聖書を開いたり、説法に興味を持ったりした時が
当たり前の事を自分のものできる機会となる。
67
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 00:54:20
言語化できないものをどう布教するんだ。布教できないじゃないか。
68
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 01:49:16
>>63
>もっとストレートに釈迦の教えなり、真宗の教えなりを説明してほしいんだが。
敢えて答えてみよう。
釈迦は「この世の生き物は例外なく苦しんでいる」と感じて、暗い気持ちになり自身の不幸を感じた。
自身の皆を救いたいと念じて得た結論は
「生老病死」の四つの苦しみが問題の核心であると。好ましい人との別れ、嫌な人との出会い、など八つの苦痛もある。
これらを苦痛とするのは人の心の有り様の内「無明」にあると。
無明とは、ざっくり言えば「考えなしの行動、不注意、勘違い、根拠の無い思い込み」などを引き起こす
動物的な心である。
この心を調教することができれば、人は「生老病死」さえ苦痛と感じなくなる。
どうすれば心を調教できるか?
八正道の実践し続けて行けばおのずと心が整い、自身の喜び、他者の喜びを産み出す様な「人生の達人」になれる。
ま、こんな感じだ。八正道位は調べてね。
69
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 01:54:33
>>68
>自身の皆を救いたい
===> 自身の不幸を払うために、皆を苦痛から救いたい
70
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 08:08:43
>>68
ありがとうございます。釈迦の教えはわかりました。
じゃあ、浄土真宗の教えとは何なのですか。
質問ばかりで申し訳ない。
その意図は、釈迦の教えがインド、中国の高僧を経て日本に伝わり、日本の
仏教となったと習ったが、浄土真宗は、お経はともかくも話は、親鸞の話ばっかりで、
釈迦の話はまったく出てこないのだが、浄土真宗は本当に釈迦の教えを汲んだものなのか
を聞きたい。
71
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 12:25:04
>>70
釈迦の教えを素直に理解できるのは既に小康安定状態を得て、
他人の苦痛を思いやるゆとりを持っている者と言える。
苦痛の渦中にあるものは悩乱、惑乱状態にあり、疑心暗鬼、絶望、自暴自棄に陥って
既に八正道と反対の行いのうちにいる、すなわち悪人である場合が多い。
そのような人たちに八正道を教えても届かない。
このような人々にどう対応すれば良いか?釈迦は元々このような人々救いたかった筈だ。
法然はその答えを阿弥陀経に見出した。そこから得た実践手法は「なだめ」である。
つまり、心地よい響きを持った母のような声で「大丈夫、あなたは必ず治ります」
「阿弥陀さんというすごい名医が見てくれますよ。この先生は失敗しません。信じて任せなさい」
「かのお釈迦様が保証してます」、「口にして見なさい 阿弥陀さんを信頼します と」「ほら、楽になった」
と呼びかけ、希望を与え、平静な心を取り戻させる。
しかるのちあの手この手で八正道を身につけさせる。
親鸞自身がこのなだめによって救われている。救われたのち「あの手この手」に
独自の工夫を加えて、人々の救済に取り組んだ結果、その信者後継者から独立の教団ができた。
72
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 13:00:36
>>71
「八正道を実践せよ」と呼びかけても、自分には無理だ、もう遅いという疑念は払拭できない。
まして、呼びかけた親鸞が、坊主でありながら女犯、妻帯している破戒僧ではないか。
誰であっても立派過ぎることを口にすれば反発を受ける。
そこで説法らしからぬ座談で心を開かせ正しい方向を感じさせる。
成功例からさらなる話題を見出す。
浄土真宗の手法はこうなっている。
さて、現代日本人にはどう教えれば良いか。新味、新機軸を打ち出すのはあなただ。
73
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 13:28:04
>>71
ちょっと待って。釈迦の教えというのはそれなりに納得できるとして、
阿弥陀という超人間的存在はいつ誕生したの。無限の光と命をもった
存在とか言われても、何か怪しいんだよね。よくそんな怪しい物に
帰依できるよって思っちゃう。釈迦って、阿弥陀と一言も言ってないよね。
74
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 13:54:23
>>70
仏教っていうのは原始仏教の頃と違って、ヒンズー教から迫害された後は、
ヒンズー教の教義を取り入れ、なおかつ、ヒンズー教では悪魔とか鬼とされていた夜叉、羅刹、阿修羅といった神々を明王とした。
うんでブッダは呪術はいけないといったのに、500年後には呪術、魔術だらけの宗教と化した。
この教義がカイバル峠を経由してチベット密教となっていく。
ところでこのカイバル峠は東西宗教の十字路でこのときメシア思想に出会う。
本来仏教は黙示録とか救世主といった思想と無縁だったけど、このとき混入した。末法という思想が仏教に登場する。
キリスト教ではない。ゾロアスター教と出会ったのね。
だからゾロアスター教は宗教の母とも言われる。浄土信仰ってのはキリスト教・ゾロアスター教の天国の発想に近い。
だもんだから日本の大乗仏教はキリスト教の思想によく似てしまった。
だから、日本にはキリスト教が根付かない。
ちなみに前も言ったけどアスラ→ミスラ→マイトレーヤ→弥勒菩薩です。
世を救うのは500億年後だっけ?
浄土なんてもんはお経となれば天国に行けますよという発想だ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏って唱えたら浄土に行けるんだと。
75
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:01:24
>>73
阿弥陀経という経典がある。
仏教の世界では経文は釈迦がこのように仰ったという書き出しで始まる。
多くの優れた先人が膨大な思索を経て編みだし、定着したものが殆どだ。
経典の由来にとらわれず、そこに使えるもの、正しいことがあったら利用しよう。
阿弥陀経には法蔵菩薩が衆生救済を発願し、それに成功して阿弥陀如来になったと書いている。
即ち、衆生救済は既に確定している。お釈迦様がそう言っているから私は信じる、と法然は言った。
親鸞は法然を信頼し同じ立場をとった。
76
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:18:34
>>74
浄土とは何か。浄い所である。浄いとは何か。穢れが全く存在しない事を言う。
穢れとは何か。人々の不幸、苦痛の原因となるものをいう。
人は死ねば、残された人には思い出や、業績が残されるが、その人には何もなくなる。
即ち穢れを含む全てが消える。
間違いなく浄土に行ける。誰でも行ける。これが最後の救いだ。間違いない。
77
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:27:29
こないだ遠縁の親戚のばあさんが浄土に行ったよ。100年と360日ほど生きて
あとすこしで101年生きるところだった。苦しむこともなく極楽往生まちがいなし
ということだそうだ。
78
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:34:56
>>75
阿弥陀如来というのは神なの?
79
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:37:30
>>76
今どき、浄土に行くと言われてもねえ。
仏教は来世信仰なの?
80
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:44:15
>>76
だから落ち着いて今をよく見て、自身の穢れを少しでも減らし、できる範囲で
身の周り、人々の穢れを少なくする生活をしましょう。
どうにもならないことには無駄に心を煩わせず最後の救いに任せて、
南無阿弥陀と唱えて気を静めましょう。
ほうら、楽になった。
81
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 15:59:44
>>79
浄土に行くことが目的ではない。否応無く連れて行かれる。
安心して今をより良く生きよ。身の回りを浄土に近づけよ。
よく見てご覧、うまくやっている人がいっぱいいるよ。
うまいやり方?
それが実は八正道だよ。
と、こうなっている。
82
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 16:05:39
タイ王国のエメラルド寺院を拝みにいったよ
キンキラキンですごかった沢山功徳を積めたと思う
中に入るのにドレスコードが厳しいね
生足、肩やそでむき出しはいかんのね
83
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 16:17:46
>>79
仏教は本来は輪廻の思想だよ。
だから業とか言うわけだし。
畜生道に落ちるとか地獄道に落ちるとかよく聞くでしょ?
ところが平安末期に登場したこの浄土という発想はこれを断ち切ってるわけ。
本当は天界に行っても寿命というものがあるし天界→地獄ということだってあるえるのが仏教の世界なのにね。
だから日本とヨーロッパ人の発想とか社会構造が似てるのは当たり前だったんだね。
84
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 16:37:31
>>78
無量寿経=阿弥陀経によれば、釈迦がその存在を保証した「過去仏」である。
その修行中の呼び名は法蔵菩薩である。
菩薩とは人々の中にあって、人々の苦しみを己の苦しみとして、喘ぎ修行していた
釈迦の事を指す言葉であった。その菩薩が修行を完成させて如来=仏となったという理解が元にある。
これ自体は史実に近い。
後の世に釈迦の教えの側面と他宗教の良いところを、釈迦如来の足跡に準えて創造した新たな如来に仮託して
新たな経典を編み出した時期がある。
大乗仏教の経典は殆どこれ。
85
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 16:54:45
無量寿教とか阿弥陀経とかよく法事で読まれるやつだよね。
意味のわからないお経をきくことに何の意味があるの?
86
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 17:47:00
経典なんかただの漢文じゃん。
退屈しのぎに眺めてれば上っ面の意味はわかる。
だがお釈迦様の説法への参加者の名前を延々書き連ねてあったり、ありがたみはわからん。
87
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 18:02:46
現代の日本人が四つ足の動物を食べることについてはお坊さん達はどう解釈してるん?
88
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 18:30:56
親鸞は妻持ってる市、肉食ばかばかやってるし、踊念仏やれば極楽浄土に行けるんだよ!!
みたいなラップダンサーまでやった人物だからね。
鎌倉仏教の時点で実質的に仏教というものは滅んだんだよ。
89
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 18:34:25
え?
でも江戸時代までの一般的日本人は魚や鳥は食べるけど、四つ足の動物は食べてなかったんじゃないの?
だから、明治に入って牛肉のすき焼きが「文明開化の音がする。」とかなんとか持て囃されたんだと思ってた。
90
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 18:40:38
建前は。
戦国時代の細川なんか宣教師と一緒にバーベキューやってたわw
鎌倉武士なんて狩りやって平気で肉食してた。
ただし、5代将軍の時はガチで禁止され、特に犬肉は厳禁になった。
以後日本人は犬を食わなくなった。でも犬以外は平気で食ってた。
ただし血を抜いたり毛皮を剥ぐ仕事をしてる人はガチで差別された。
牛は農耕の道具だったので贅沢だったから食べなかっただけ。
江戸時代の将軍様は牛肉食ってますよ。
91
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 21:38:00
ここにいらっしゃるいつも丁寧に答えてくださる仏教の先生、今、忙しいのかなあ。
質問がたまってますよ。
92
:
研究する名無しさん
:2015/01/23(金) 21:45:34
一休さんの好物は焼肉じゃなかったっけ?
93
:
研究する名無しさん
:2015/01/24(土) 05:32:45
>>84
阿弥陀はサンスクリット語のアミターバの音訳と言われる。
その意味は無量光とも無量寿とも言われる。
また、仏はブッダの音訳。如来はブッダの意訳で、来たるが如しということで
元からあり、未来永遠にあるという意を表わ表そうとした造語。
これを理系頭で解釈すれば阿弥陀如来は太陽の恵みのイメージであり、大きく言えば
宇宙の全エネルギーで、かつその循環法則を表象しているとかんがえる。
これはインドの先人たちの時間観念、数量観念に繋がるものであろう。
さて、その阿弥陀如来が衆生救済の本願を成就したと言う教えは、全ての命を有限のものして、
涅槃=無=浄土に帰するという自然法則の存在を前向き、肯定的に表現しようとしたもの。
仏教は苦痛から解放された人にも暇つぶし的な研究材料も包含する膨大な体系である。
94
:
研究する名無しさん
:2015/01/24(土) 05:36:51
>>93
>研究材料も包含する
===> 研究材料をも提供する
95
:
研究する名無しさん
:2015/01/24(土) 23:42:06
>>92
一休さんはかなり破天荒なイレギュラーなお坊さんだからなぁ。
96
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 09:04:49
遊郭に入り浸ってたらしいよね。
97
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 09:19:04
実はそれほど頓知が効いたわけでもなかったらしい。
98
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 09:25:12
今でもたまにいるよね、その場の思いつきをドヤ顔で言うハゲ。
99
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 14:59:09
>>91
は誰に向けたものかな?
>質問がたまってますよ
は既に解消したの?
それとも単なる釣りだったのかい?
100
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 15:17:21
たとえば、
>>85
の質問
101
:
研究する名無しさん
:2015/01/25(日) 15:28:23
>>98
>その場の思いつきをドヤ顔で言うハゲ
まさに、
>>98
の事だね。
もし、
>>98
が「その場の思いつき」でないとすれば、「その場の思いつき」とは
大きな陰謀の一翼を担ってないもの、何か遠大な目的に繋がらないものと云う事か?
102
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 10:49:38
アミターバって女神だからな。無量光とも無量寿とか言ってる奴はインチキだからな。
103
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 12:57:48
>>102
ほう、知らなかった。
>アミターバって女神
何で確かめられる?
104
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 13:07:47
ゾロアスター教の女神アナーヒターから来てる可能性が高い。
ヒンズーと仏教は仲が悪かったんだからヒンズーの神々の方が下に来る。ヒンズーの神々はいわゆる天部格に落ちる。ブラフマー=梵天だしね。
観音菩薩だからね。しかも漢訳して無限の光でしょう?
どう考えてもゾロアスター教由来じゃん。
だから大乗仏教とキリスト教はおもいっきり似てしまう。本質が一緒になるわけ。
105
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 13:09:07
ただ、アナーヒターはインドで水の神になって弁財天になってしまったからいろんな神に化けてるってことだよ。
宗教ってのは複雑なのさ。
106
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:16:39
本地垂迹説説で日本の八百万の神様も実は仏教の神様の化身なのです
107
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:22:07
本地垂迹説は7世紀に衰退した説です。
ただ神仏混合が進んだのは事実。
7世紀には天照大神を頂点とした一神教に近い教えに変わっていった。
エジプトみたいな宗教改革を推し進めたんだな、要は。
神道が多宗教に寛容とか大嘘。
明治期には廃仏毀釈やってる。
108
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:23:21
鹿児島の坊津の一乗院とかもったいない、、、
109
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:24:17
鎌倉時代の反本地垂迹説だと神→仏になる。だからやっぱり鎌倉期で仏教というのは事実上の末法だったんだね。
逆になる。
本地垂迹説説だと仏(本体)→神(化身)になる。
110
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:25:31
ありがたや、ありがたや南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
タイ王国のエメラルド寺院も見るだけで功徳が積めそうだ
永遠に瞑想する仏教僧のミイラが発見される!=モンゴル-�tocana(2015年1月30日11時00分)
ttp://news.infoseek.co.jp/article/tocana_36747
モンゴルで極めて保存状態の良い仏教僧のミイラが発見された。座禅を組むその姿が、まるで永遠の瞑想に突入したかのようだという、今話題のミイラの詳細についてお伝えしよう。
ロシア地方紙「シベリアン・タイムズ」が報じたところによると、仏教僧のミイラは、今月27日にウランバートル西部に位置するソンギノ・ハイルハン地区で見つかった。場所の詳細は明かされていないが、発見時には、牛か馬もしくはラクダの皮に包まれて保護されていたという。
111
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:26:25
モンゴルはチベット密教国だから南無阿弥陀仏言わないだろ。
112
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:29:18
まあ、というかモンゴルって原始的シャーマニズム(テングリ)の方が優勢だしイスラムもいるから仏教勢力って強くないんだよね。
しかもチベット密教だから南部のチベットと分断されている。
中華人民共和国は儒教だからね(ただし、モンゴルと接するウイグルはイスラム)
113
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:33:59
素朴な疑問だが、今の科学的世界観を誰しもが有しているなかで、
神とか仏とか、阿弥陀とか言ったって誰も信じないでしょ。
114
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:37:42
そう思ってるのは一部の科学者だけだ。
もっとも欧州だって30%は無宗教と答えてるぐらい伝統宗教は衰退してるがね。
というかこんだけイスラム原理主義が元気で宗教を理由に世界中で戦争がおきてる世界情勢でそういうこと言うのは平和ボケしてる証拠なんだわ。
115
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:41:29
俺の心の中まで科学とか法律とか良識とかで縛られたくない
行動や言動に現れなければ脳内で何を思って何を信じても自由だ
116
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:44:26
日本人のおおよそが無宗教と言ってもいいのではないか。
葬式の時に形骸化した宗教様式を必要とするだけ。
それさえも、最近は無宗教で行うケースが増えている。
117
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:47:38
科学的真理と宗教的真理を分離できない人ほどオウムに直行するんだわ。
普通の宗教指導者はローマ教皇庁のように科学的真理と宗教的真理は別ですというのが普通なんだよ。
だからイタリアでは堂々と進化論教えてるでしょうに。
でも今でこそこんな事言ってるけど昔は天動説言ってた連中だからな。
イスラムでもインドネシアとかトルコみたいな近代発展途上国ではそうなってるけど、
元から原理主義だから宗教と科学と政治が分離できないんだわ。
世界中にそういう国いっぱいあるし、共産主義という名の宗教だってついこないだまで生きていた。
人間はそういうものがないと生きていけないようになってるんだわ。
118
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:50:24
日本は無宗教じゃなくて撫宗教国家。なんでもあり。
七五三やってクリスマスやって正月は神社に参拝して今度の2月3日には豆まき。
いい加減にしろって言いたい。無宗教者って言うのは一切の超自然的存在を否定する人。
119
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 14:53:32
鳥居をくぐるのを拒否したり
靖国神社に詣でるのをいちいち文句を言うのはどうかと
艦内神社とかああいうのはその職務に付随した習慣なんだよ、文句言うなよ
120
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 17:52:19
>>116
>日本人のおおよそが無宗教
とはいえない。
あえて言えば無意識の内に「日本教徒」であり、意識的は仏教派、神道派、キリスト派、その他などに分かれる。
その他の中には、グローバル拝金派、唯物派、人道良心派、などがあり無宗教を標榜している。
121
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 18:24:48
>>120
仏教の先生でしょ。
先生に聞きたいことがあったのですが。
釈迦の教えまでは何となく理解できたのですが、
阿弥陀、浄土という超自然的存在が出てくると、理系の私は拒絶反応を起こしてしまいます。
これは私のみならず、現代の多くの人に該当すると思うのですが、
先生はどうお考えですか?
122
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 19:00:33
>>121
字句に拘泥してはいけない。
>>48
にある様に釈迦の教えを素直に吸収できない状態の者、即ち
>>71
の「苦痛の渦中にあるものは悩乱、惑乱状態にあり、疑心暗鬼、絶望、自暴自棄に陥って
既に八正道と反対の行いのうちにいる、すなわち悪人」
達を宥め、落ち着かせるための方便を見事に説いたのが法然の浄土宗である。
その根幹は「今更八正道を実践しても間に合わない」「今の不幸はどうしようもない」
と自暴自棄に陥っている者を対象としている。
既に落ち着きを得て冷静であるなら、阿弥陀はどうせよと言っているかを考えれば良い。
仮想世界「浄土」を自由に思い描くも良い。
理系なら
>>93
に即した解釈が合うだろう。
123
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 19:15:05
その方便が現在では説得力をなくしているのではないでしょうか?
124
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 20:27:33
>>123
なら、即した方便を使えば良かろう。
救いは対象に合わせて行うもの。普遍的な方便は無い。
125
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 21:26:11
阿弥陀という存在も方便ではないのですか?
126
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 22:51:37
>>125
それを言うなら、釈迦、仏教さえ方便だ。
釈迦の存在は歴史的事実であると思うが、伝えられている釈迦像の何割かは、阿弥陀如来
毘盧遮那仏、大日如来などと同様に方便だ。
127
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:05:46
宥め、落ち着かせるためのものとしての方便の中心的役位置を占める阿弥陀
自体が、現在、方便としての説得力を失っているとは思われませんか?
128
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:06:56
仏教学って役に立つの?
129
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:08:23
仏教と仏教学はまた別だろう。
130
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:19:45
>>127
現在の日本で法然、親鸞に連なる救済手法を最も有効に活用する者、それで救われる者の存在は否定す必要はない。
あなたは人の不幸を望む者でないなら、自分の道を歩めば良い。
他者の正しい道、良い行いを遮ってはならない。
特定の宗派、オカルトを持ち出す目的なら、ストレートに述べよ。
それであなたが叩かれても知らん。
131
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:34:07
>>130
私は、別に仏教を攻撃しようと思っているわけではありません。
家が浄土真宗なものですから、少しでも理解しようとしているだけです。
いったい読経を聞くことに何の意味があるのか、ひいては仏教が現代に
どれほどの説得力をもっているのかなど素朴な疑問を抱いているだけです。
132
:
研究する名無しさん
:2015/01/31(土) 23:51:41
読経には漢文訳されたものの梵語の音を残した仏教経典の有り難い言葉が音読として耳に入ってくる意味があるのでなかろうか
唱明とか仏教教典を楽器の演奏付きで多数の僧侶がリズムとメロディーに合わせて読経する行事もあるし
ある意味で教会音楽や教会の声楽合唱と変わらんのでは
133
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 00:41:15
>>130
救われる者の存在は否定しないが、仏教は広くはもはや有効な方便ではないのでは?
134
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 00:48:33
>>131
研究者なら疑問を持った時に、仏典の邦訳なり、教行信証を読むだろう。
研究者でないなら、慌てずに身の回りの行事、出来事を注意深く素直に眺めておれば良い。
何れ然るべき機会に視界が開けるであろう。遅くとも父母、兄弟を見送る頃には機会が来る。
135
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 01:00:28
>>134
真宗聖典を開いても、何のことやら、という感じです。
136
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 01:01:32
>>133
あからさまに説かれなくとも、仏教の真髄は色んな形で説かれている。
たとえば、小説(=小説法)、ドラマ、ドキュメンタリーになっている。
これを創作する者は、仏教なり心理学なりの何らかの真実を描きたい衝動があってこそ
良い作品が生まれる。
残念ながら悪質なプロパガンダ作品が無いとは言えない。
歴史の教養は悪い物を区別する力となる。
137
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 09:51:26
>>130
>>136
質問にちゃんと答えたらどうだ。
阿弥陀や仏教は、広くは、もう方便としての説得力を失っているんだろう?
138
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 11:33:20
葬式仏教として家の先祖の供養と子孫の心の安寧に役立ってるから
無問題
139
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 14:59:10
>>137
方便に拘る事は仏の道ではない。
自分に合わない方便は、放置すれば良い。自分の為すべき事を為せ。
140
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 15:10:02
>>135
邦訳を見ているのか?
日本語として理解できないのら、辞書を引くなり、人に教えを請えば良い。
段落、各部分の関係、話の流れが読み取れないなら、何割かを読んで後に
初めから読み直せば一段進んだ理解ができる。
これを繰り返すのが研究、追求の手法だ。
141
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 15:48:25
>>139
ちゃんと答えない人だな。
「もう方便としての説得力を失っているんだろう?」の問いに
「方便に拘る事は仏の道ではない」では答えになってない。
それでは、阿弥陀にも拘らなくていいのか?
仏の道って何?
衆生救済?
142
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 16:29:48
>>141
スレの流れを読み直せ。
>「もう方便としての説得力を失っているんだろう?」
これは問いとは読めない。一方的主張に対する同意の要求だ。
否定も同意もしない。
143
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 18:54:16
>>142
主張が間違っていると思ったら、反論したらいいじゃないか。
144
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 21:17:58
>>143
既に
>>130
に
>現在の日本で法然、親鸞に連なる救済手法を最も有効に活用する者、それで救われる者の存在は否定す必要はない。
と述べている。これを無視したくどい主張には相手しない。
145
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 22:15:54
そのような方がおられるということを否定しているわけではない。
しかし、現実には、多くの人は仏教は葬式の時しか必要とせず、
寺離れが加速化している。このような現実をあなたはどう捉えているのか?
146
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 22:18:16
>>144
そのような方がおられるということを否定しているわけではない。
しかし、現実には、多くの人は仏教を葬式の時しか必要とせず、
寺離れが加速化している。寺の行事は報恩講をはじめとして閑古鳥
が鳴いている。このような現実をあなたはどう捉えているのか?
147
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 23:07:30
>>146
どんなパターンもあるだろう。過疎化の進む地域の寺の様子はその宗派だけのことではない。
参加者がゼロでなければ無意味でない。私に見える範囲では昔より参加者が増えている。
何で私が思い煩う事があろうか。当事者がそれぞれ考えているだろう。
148
:
研究する名無しさん
:2015/02/01(日) 23:51:29
>>147
現象を当事者の問題として捉えているのではない。
趨勢として仏教が形骸化し、趨勢として仏教が衰退しているという
現象あるいは現実をあなたがどう捉えておられるのかをお教えいただきたい。
149
:
研究する名無しさん
:2015/02/02(月) 04:33:42
>>148
そのような捉え方は、あなたのものだ。
生活リズムにあらわな形で食い込んでいるマホメット教を良いとするかを問う様なもの。
方便としての各「宗教」についてはどうでも良い。
押し付け、集金、脅迫を実態とする「宗教」は害悪だ。
150
:
研究する名無しさん
:2015/02/02(月) 18:12:30
>>149
「趨勢としての仏教の形骸化、および趨勢としての仏教の衰退化」という
認識を「私のもの」とするなら、ご自身の「宗教としての仏教」の現状に
対する認識なりお考えをお教えください。
151
:
研究する名無しさん
:2015/02/02(月) 22:33:09
>>150
仏教を標榜している各教団は歴史上現在が最も「良い存在」になっていると思う。
檀家を無闇に苦しめずちゃんと役割を果たしている。本山は歴史を背景に宗派の枠を超えて日本人みんなの
心の拠り所になっている。
それぞれの問題意識に従って、各持ち場で穏やかな改善前進を図っている様に見える。
活発な宗教団体の怪しさ、害毒に対する障壁にもなっている。
有難や。
152
:
研究する名無しさん
:2015/02/02(月) 23:24:50
>>151
ご回答ありがとうございます。
教団のことはよくわかりませんが、文化の深淵に仏教が存在している
ということは認めるとしても、本山が「日本人みんなの心の拠り所になっ
ている」というご認識はあまりにも現状とかけ離れた認識のように思
います。少なくとも私の周りには、たとえば、知恩院、東西の本願寺を
心の拠り所としている人はいません。
153
:
研究する名無しさん
:2015/02/03(火) 00:00:21
>>152
程度の問題だ。年齢にも大きく依存するが、観光スポットになっている事や、
本山詣の企画にそれなりの参加者が居たり、年中行事がテレビに取り上げられたり
している事を言っている。
一定の年齢に達した時、皆有名寺院、有名神社に好意を寄せるようになる。
154
:
研究する名無しさん
:2015/02/03(火) 13:04:48
>>153
なるほど、仏教がおかれている現状に対してひじょうに肯定的な認識
をお持ちだが、それでは、有名寺院や本山はともかく、末寺においては
過疎地のみならず深刻な寺離れが加速化しているという現象を、あな
たは、、「思い煩う」必要があるかどうかではなく、どのように解釈して
おられるのかをお聞きしたい。
155
:
研究する名無しさん
:2015/02/08(日) 20:09:40
密教学をいくら修めてもこども一人まともに育てられない。
まったく社会の役に立たないどころか有害というしかない。
156
:
研究する名無しさん
:2015/02/08(日) 22:01:17
三ツ境?
157
:
研究する名無しさん
:2015/02/08(日) 22:42:34
中○本然
宇宙物理学では“宇宙には意志があり、人間は宇宙の意志によって存在する”ことが唱えられ、遺伝子工学では“一人の人間が両親から誕生する確率の稀有さと人間の無限の可能性”が話題とされている。
研究活動
著書
『真言密教における安心』 単著 2003.8 高野山大学通信教育室
『真言教学の諸問題』付参考資料 共著 2005.3 高野山大学通信教育室
『辯顕密二教論』を読む 単著 2008.3 高野山大学通信教育室
『空海と高野山』 単著 2012.3 青春出版社
学術論文
真言教学のおける生死観 ー特に道範の周辺を中心としてー 単著 2010.2 『空海研究』(第4空海研究会)
真言教学のおける生死観ー『宗骨抄』を中心としてー 単著 2010.9 日本仏教学会年報(第75号)
『常盤井殿記録』について 単著 2011.3 高野山大学論叢(第46号)
弘法大師空海の『入楞伽経』理解ー『秘密曼荼羅教付法伝』を中心としてー 単著 2011.3 日本密教学会
『常盤井殿記録』にみる真言教学についてー特に道順の教説を中心としてー 単著 2011.12 日本印度学仏教学会(第60巻第1号)
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