1968年の五月革命以降、当局は時間数を削減したり、必須制を自由選択制にしたり、教員数を削減するなど哲学教育を抑圧(弾圧)し、
産業社会の要求にそう実用的な教育政策方針をとった。これに対してデリダら教員と学生あわせて30名ほどで1974年4月、この問題に
対処するための「哲学教育研究グループ」(Groupe de Recherches sur l’Enseignement PHilosophique・GREPH)を結成した[10]。
以降、文部省改革案への反対表明など、さまざまな批判運動を展開する。