したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

専業非常勤よ。職安へ、行こう

453研究する名無しさん:2018/06/07(木) 07:27:46
15歳で司法試験に合格した中学生も!天才少年「その後の人生」
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/55447

ちょうど20年前の'98年春、千葉県在住の高校2年生・佐藤和俊さんは、新聞各紙、テレビ各局で大々的に取り上げられた。
それは日本初の「飛び級」で千葉大学工学部に入学を果たしたからである。

佐藤さんは、千葉大学が行った物理学の分野で優秀な人材を募集する「飛び入学」選抜に合格した天才少年だった。

いまや37歳となった佐藤さんは、現在の仕事についてこう語る。

「トラック運転手をしています。時間は不規則で、朝の3時から走り出すこともありますね。
ただ、日曜と祝日は休みなので、家族と過ごせる時間がきちんとあることがありがたいです。


佐藤さんは高校3年生を経験しないまま、千葉大学工学部物質工学科に通うことになった。
新聞やテレビから次々と取材を受けて、周囲がザワつくこともあったが、
佐藤さんは特に気にならなかったという。吹奏楽のサークルにも入り、大学生活を満喫した。

「大学3年になって研究室に入り、半導体について勉強していました。将来は研究者になりたい
と考えるようになりましたね。やはり、紙の上だけでなく、実験をやることが楽しかったんです」

佐藤さんは千葉大学大学院に進学する。修士課程を終えると、宮城県にある財団法人の研究所で研究職に就いた。
だが、昨今、大学院を出ても研究者として安定した職を得るのは困難というのは、
よく知られた話である。それは元「天才少年」でも同じだった。

「研究職として月給は手取りで約20万円でした。しかも、1年契約で何年更新できるかもわからなかった。
大学院生時代に中学時代の同級生と結婚して、娘も生まれました。

子どもがいる状態で、1年契約の仕事をすることは不安でしたね。安定した生活にシフトしたい
という気持ちになり、研究職は1年で辞めて、地元の千葉に戻りました」


その半年後、縁があって研究職に戻り、千葉大学特任研究員を1年半務めた。
ただし、研究をしながらも、家族を養うために予備校講師のアルバイトもしていたという。

「予備校では物理を教える際、数学を応用したり、講師はすごく楽しかったですね。

研究員を辞めた後も、予備校講師として約3年半ほど働きました。ただ最終的には不安定な職なので、
トラックの運転手に戻ったんです。免許を持っていれば、まず仕事にあぶれることはありません。

今の会社は今年で4年目です。手取りで月30万〜35万円ほど。研究職のころに比べると収入は安定していますよ」

研究職に未練はまるでないと言うように、佐藤さんは笑顔でこう続ける。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板