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:2011/03/05(土) 18:00:53
[朴露子ハンギョレブログより] 宗教中毒社会 ハンギョレ新聞 2011年03月05日12時06分 提供:ハンギョレ新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/5390740/
原文入力:2011/03/04午前03:01(2916字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhotov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
自分が大統領より「序列の高いボス」だと思い込んでいるような―だからこそ「大統領下野運動」を果敢に言い出し権府を圧迫した―趙??基(チョー・ヨンギ、 1936〜)牧師の勇敢無双な(?)行動を目の当たりにして、
一つどうしても知りたいことがありました。一体どのような経緯で韓国社会における宗教が今のような、ほとんど「聖域」に近い位置に立つようになったのでしょうか。いかにして韓国の一部の宗教家たちは財閥と政治家、
そして過去の朝鮮社会の「山林」、すなわち一種の「社会のリーダー」のような機能を一身に合わせ持つ奇妙な「三位一体」を成し遂げたのでしょうか。
私たちには位の高い宗教家たちが誰に向かっても叱りうる光景に慣れていますが、このことは、実は朝鮮ないし東アジアの伝統とかなりの隔たりがあるものであり、
また世界の国々のそれとも相当な違いを露呈しています。「宗教家万能」というレベルにおいては今の大韓民国は事実上かなり独特です。
ある面においては、宗教的派閥(「宗派」)の親分たちの万能の権威/権力は、財閥万能主義と高度の兵営化/軍事主義とともに南韓社会の「三大特色」をなすものとも見受けられます。
この光景は朝鮮や東アジアの伝統という視点からは何故に異例なのでしょうか。政権が常に宗教の提供する正当性を必要としてきた東南アジアとは異なり、
東アジアでは当初から国家はすでにそれ自体として十分な正当性を保有してきたわけです。宗教とは、「王化」に資する限りにおいて、又は資するに応じて容認され奨励までされましたが、
「王化」、すなわち政権の政治的/文明的な機能を取り替えられる立場ではまったくありませんでした。逆に政権の要求どおり自己の固有な原則さえもまるでゴミのように捨てることが多かったのです。
壬辰倭乱(文禄の役)当時の僧兵徴発やその後の義僧(国家のために夫役を務める僧侶)による南漢山城築造のようなことは、タイやスリランカでは想像もできません。
東南アジアでは僧宝に対する外護こそが王権の存立する前提條件です。ところが、我が朝鮮は正反対です。僧侶であれ、漢陽の昭格署の道官であれ、さらには儒林でさえも、
みな王朝を補佐しないかぎり立場は得られなかったのです。中国や日本における政教関係の構造も根本においてはこれと相通じており、
宗教指導者たちが少なくとも社会を「指導」することのできない今日の中国や日本はまさに東アジアの伝統においては「正常」に近いといえましょう。
あるいはヨーロッパと比較しても韓国の宗教は飛び抜けて肥大化しています。ルター派を未だに形式上の国教としているノルウェーでも、実際に教会に通う人々は
全体の形式的な「クリスチャン」の約4%に過ぎず、キリスト教的な言説は少数の右派政党(キリスト教民衆党など)以外は、社会にまったく影響力を及ぼすことができません。
ノルウェーで、たとえばオスロの司教が趙??基氏のような発言をすれば、先ずは「越権」(宗教人としての不当な政治関与)の是非が問われるはずですが、
結局 大抵の人はおそらくこれを単なる「冗談」として受け止めることでしょう。オスロの司教は人気のある放送局の記者や人気作家よりも遥かに権威がないからです。
では、大韓民国は一体どうして地域でも世界でも珍しい宗教界のボスたちの「幸せな遊び場」になったのでしょうか。
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