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真如苑の信者さんに騙されていることを知らせる方法

72匿 名:2009/08/26(水) 20:37:44
「カルト批判言論」の疑似科学性 科学と擬似科学
http://blog.goo.ne.jp/streamatpastoral/e/b60a153d27f66aea57199fa76d2296e8

後件肯定の誤謬、良いですね。
逆また真ならず。 「MC:マインドコントロール」は心理医療的に有効であることは多く証明されていて、あなたもご存知のように、オウム真理教でもまた、
奇跡的治癒が報告されている。
やる気にさせる、元気付ける、などもまた、マインドコントロールと言えるでしょう。それを商売にしている方もいらっしゃいますし、
彼らはそれ相応の対価を得ているでしょう。
しかし、問題となるのは「CMC:カルト・マインドコントロール」です。 霊感商法とほぼ同義でしょうが、それは、そもそもMCとどのように異なるのか。

カルト要素、というのが在りますが、それを多く有している組織はカルトでしょうか。信者さんは、「そうではない」と言います。
量は質に関わりますが、たとえその手口を「満載」していても、カルトではないそうです。
でしたら、創価やオウムもカルトでは無いと言えるでしょう。
そしてその質、ですが、「その手法自体が問題というのであれば、そうした手法を用いている心理療法や教育のありかたにも目を光らせて
同様な批判がなされてしかるべきだ」と言います。

ここでMC:とCMC:が、混同されつつあります。
混同しない差別化、つまり、MC:自体は善く、CMC:は反社会的麻薬である、それを裏付ける根拠とは何でしょうか。
一般のMCは、本人、または第三者が、その気にさせて改善へ向かうエネルギーを生む手法ですが、それが形而上学的実存を認めて、その力に依存しつつ成しうる
結果を元に進むものであれば、その神やら仏やら法則やらの実存無しには成し得なかったということになり、
その「なんとかのおかげ」ということになります。
もちろん本人の努力もあるでしょうが、その形而上学的「なんとかのおかげ」という理屈がある限り、本人が自立することはありません。
その「なんとか」が、MCと同様に、もしも、事態が解決したなら「なんとか」を忘れて自由に行きなさい。ということを言うならば、
害は少ないでしょう。
しかし、カルトの場合は、「もしも恩返ししない場合はどうなるか分からない。常に組織の言い成りになりなさい」と言います。
これは、まさに「悪魔信仰」だと言えるでしょう。悪魔は、常に、見返りとして、「従属や崇拝や献身を求める」のです。 CMC:は、悪魔信仰なのです。

また、その手の手口の特徴として、「あらかじめその結果を知らせない」という部分が重大です。
まず信じなさい/実践しなさい/これが彼らの手口です。結果を知らせずに、密かに施術する。そうでなければ、騙された被害は発生しません。
もちろん、MC:CMC:により、結果が出ないこともあるでしょう。しかし、MC:は、そもそも形而上学的神通力は謳いませんので、「そういうこともある」で納得しますが、
形而上学的神通力を謳う昨今のカルト組織の場合は、教義、神通力は絶対である故に、失敗はすべて本人の所為になります。
ここでも歪みが発生してしまうわけです。
カルトは、そもそも絶対ではないものを絶対だと根拠も無く信じることを勧めます。故にその反動が、社会的被害と成ってしまうのです。
「根拠も無く」と、書きましたが、それを信じる信者にもまた問題があるのは、言うまでもありません。
事前説明無く、権威や神秘性で釣り、信じていないものを実践させることで、その精神を改造し、中毒にする、
それが、そのような鴨を釣るカルトの手口なのです。
信者は、教団の鎖に繋がれ、また同じ立場の新規信者を連れてくることでのみ、救われる構造です。

■破壊的カルトのマインド・コントロール  http://shinran-bc.tomo-net.or.jp/report/report02_bn09.html


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