したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

真如苑の信者さんに騙されていることを知らせる方法

7匿 名:2008/05/08(木) 01:44:57
釈迦は、先祖供養について何と言っているか。
これは真如苑ではもちろん教えません。 「供養料」が減りますから。
釈迦は「供養しても先祖はそれにより、浮かばれることはない」と言っていますよ。 自業自得ですから。
そもそも「先祖供養」は仏教の要素ではないし。 ではなぜ日本ではそれが仏教となっているのか。
供養は、感謝を示すことは、もちろん我々が心を改めるきっかけになったり、良い事ですが、
供養すれば救われる、と言うなら、しなければ救われない、それでもいいのか、となり 「脅しや強制」にそのまま繋がるでしょう。
しかもそれは「不可知領域」であるがゆえ、嘘かどうかも調べようがないところが味噌。

日本伝統仏教は死者に対し、「成仏」を願いますがこれもまったくの戯言です。
釈迦の勧めを聞いてそれに努めたら「成仏」できるかもしれないが、子孫が祈って「成仏」って何それ?

釈迦は、こう言ってますよ。
本物(の仏説)と紛い物を見極めるのには、双方並べ比べれば良いんだ、と。 そりゃそうですよ。
本物と紛い物で、後者の方がいい。というならそれでいいです。 ただ、「仏教」は名乗らないでね。根本的に違うならば。

※比丘らよ、次の四大教法を説くから、よく聞いて憶えておくがよい。
比丘らよ、ある比丘が「私はこのことを世尊から親しく聞き、直接に教わった。
だからこれは正しい法であり、正しい律である。これは師(仏)の教えである」というかもしれない。
その場合に比丘らよ、かの比丘のいうことをそのまま喜んで受け取ってはならない。
またただちにこれを排斥してはならない。直ちに賛成も反対もする事無く、その辞句をよく理解し、経と照合し、
律を参照するべきである。経や律に参照して、もしそれが経や律に合致していないならば
「これは確かにかの世尊の言葉ではなくして、この比丘が間違って受け取っていたのである」という結論が得られるであろう。
その場合にはその説は捨て去られるべきである。
しかし経や律に参照してみて、もしそれが経や律に正しく合致しているならば、
「これは確かにかの世尊の言葉であって、この比丘は正しく受け取っていたのである」という結論が得られるであろう。
これが第一の大経法である。  『仏教の基礎知識』水野弘元著 春秋社


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板