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真如苑の信者さんに騙されていることを知らせる方法

1名無しさん:2008/05/04(日) 22:05:32
教えてください。

2匿 名:2008/05/05(月) 00:28:45
>>1
まずあなたがどう騙されていたか、
そして、どうして正常に戻ったか(気づいたか)語ってくださいよ。

3匿 名:2008/05/07(水) 00:13:07
※ 偽仏心
「他人の悪いところではなく良いところを見よ」などという すばらしき教えの真如苑ですが、
信者はすぐ偽善をカマし(行動が伴なわないしかも反省しない)、利他どころか、「保身」に努めます。
利他とは、教団によれば、=勧誘 なのであり、それがうまく行けば、教団内での「ランク」が上がって、
煽られた(その気になった)信者たちはとても鼻高々。
それでも「慢心はいけませんよ・・・」なんて言われて・・・ますます「偽仏心」が育まれるのです。

「教えと人とは別」 ・・・言い換えれば、 「教えがいくら正しくとも偽仏心が育まれる」ということですね。
「教えが正しい美しい」のは、カルトの基本。 それにより、心の「解凍」が可能になるのだ。
「偽仏心」とは、教団にMCされ、「客集めこそ利他」という狂義を信じ、
利他と言いつつも「イザという時には」知らん振りすること。

そして本当の修行とは?・・・「修行中の身ですから・・・」などとはけして言わず、「すいません」と、「自省」すること。
そして真実の教団とは?・・・「個人の問題ですから・・・」などとはけして言わず、「すいません」と、「改善」するもの。

自省しない偽善仏教はお辞めなさい。

4匿 名:2008/05/08(木) 01:33:47
※ブッダは、人間苦を成立せしめる原因となり条件となっているものに対する無明(無知)を克服すること(知)
こそが救いの道であると考えた(縁起の思想)ため、
「空想的ことがら」については、それは知ではないとして認めませんでした。
そのため、人間にとって有意義な「一切」とは、人間の知の及ぶ世界と内察できる心だけであり、
それ以外の「一切」を説こうとすると、根拠がないので単なる言葉だけに終わるであろうと説きました。
しかしご存知のように、
真如苑さんは、霊界の神秘的世界など、人間の知の能力を超える事柄について、たくさん語られています。

5匿 名:2008/05/08(木) 01:35:05
※比丘たちよ、わたしは「一切」について話そうと思う。よく聞きなさい。
「一切」とは、比丘たちよ、いったい何であろうか。
それは、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえるもの、鼻と鼻ににおうもの、舌と舌に味わわれるもの、
身体と身体に接触されるもの、心と心の作用、のことです。これが「一切」と呼ばれるものです。

如苑さんがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。

さらに如苑さんを問い詰めると、その主張を説明できず、病に倒れてしまうかも知れません。
何故か。何故なら、彼の主張が彼の知識領域を越えているからです。
(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)

6匿 名:2008/05/08(木) 01:37:50
真如苑の因縁論は、先祖が・・・とか辞めたから・・・とかの「不可知領域」に踏み入り
釈迦の説く「一切」を無視した妄想的な事柄に因っているので 根本的に仏教のそれとは違います。
不可知領域に原因を求めるとすれば、当然不可知な解決法が、求められるでしょう。
・・・すれば救われる、とか言って、生涯払わせ続けることも可能。 それが組織の「狙い」ではないですか?

7匿 名:2008/05/08(木) 01:44:57
釈迦は、先祖供養について何と言っているか。
これは真如苑ではもちろん教えません。 「供養料」が減りますから。
釈迦は「供養しても先祖はそれにより、浮かばれることはない」と言っていますよ。 自業自得ですから。
そもそも「先祖供養」は仏教の要素ではないし。 ではなぜ日本ではそれが仏教となっているのか。
供養は、感謝を示すことは、もちろん我々が心を改めるきっかけになったり、良い事ですが、
供養すれば救われる、と言うなら、しなければ救われない、それでもいいのか、となり 「脅しや強制」にそのまま繋がるでしょう。
しかもそれは「不可知領域」であるがゆえ、嘘かどうかも調べようがないところが味噌。

日本伝統仏教は死者に対し、「成仏」を願いますがこれもまったくの戯言です。
釈迦の勧めを聞いてそれに努めたら「成仏」できるかもしれないが、子孫が祈って「成仏」って何それ?

釈迦は、こう言ってますよ。
本物(の仏説)と紛い物を見極めるのには、双方並べ比べれば良いんだ、と。 そりゃそうですよ。
本物と紛い物で、後者の方がいい。というならそれでいいです。 ただ、「仏教」は名乗らないでね。根本的に違うならば。

※比丘らよ、次の四大教法を説くから、よく聞いて憶えておくがよい。
比丘らよ、ある比丘が「私はこのことを世尊から親しく聞き、直接に教わった。
だからこれは正しい法であり、正しい律である。これは師(仏)の教えである」というかもしれない。
その場合に比丘らよ、かの比丘のいうことをそのまま喜んで受け取ってはならない。
またただちにこれを排斥してはならない。直ちに賛成も反対もする事無く、その辞句をよく理解し、経と照合し、
律を参照するべきである。経や律に参照して、もしそれが経や律に合致していないならば
「これは確かにかの世尊の言葉ではなくして、この比丘が間違って受け取っていたのである」という結論が得られるであろう。
その場合にはその説は捨て去られるべきである。
しかし経や律に参照してみて、もしそれが経や律に正しく合致しているならば、
「これは確かにかの世尊の言葉であって、この比丘は正しく受け取っていたのである」という結論が得られるであろう。
これが第一の大経法である。  『仏教の基礎知識』水野弘元著 春秋社

8匿 名:2008/05/08(木) 01:50:18
ところで真如苑信者・関係者に聞いてみたい。 君らはいったい、「密教」と「顕教」の区別がついているのだろうか。

空海の著述である『弁顕密二教論』では、以下のように定義されている。
◎密教  大日如来が悟りの境界を説いた真実の教え。即身成仏を説く。
◎顕教  釈尊が説いた方便の教え。歴劫(りゃっこう)修行でないと成仏できない。

というようなことで、空海は「顕教よりも密教が勝れている」と判じた。
ところが真如苑は、空海が説くところの、方便である顕教の『涅槃経』を最高の経典であるとして採用し、
それで「自分たちは密教である」と言う。
空海の教説を根こそぎひっくり返して密教を名乗る……意味が分からない。 真如密ってのは、何やってもいいのか?

こんなものを子飼いにしている醍醐派って、どうなってんの? (それとも醍醐派が養ってもらってるのか?)

9匿 名:2008/05/09(金) 00:30:32
わたしは仏教とは なかなかイケてる趣味の良いものだと思っていましたが
真如苑に入ってみて
え?これって仏教??? と思いましたね。
だって真如苑には ご利益だの霊視だの祈願だのがあって 寂静や思惟や自立が無い。
仏教とは 後者だと思っていましたからねえ。。。

その勘は当たっていましたねえ。 もちろんそれを知ったのは 辞めて調べ始めてからですけどね。

だって入信して少しすると「何か決めるときには鑑定接心を受けるのさ」 とか言われて はああ?? でしたからね。
それって仏教だっけ?????  しかも定期的に献金の電話がまわって来るし。ウゼ〜〜w

仏教は幅が広い。 え?なぜかって? そりゃあ元の仏教だと儲からないからですね。
儲かるようにどんどん「改造」しないとね。 仏教の根本分裂だと細かな戒律の改稿だけでしたが
数百年も経つと そっくり内容反転してしまってますから怖いですね。  その成れの果てが真如苑や創価やオウムですよ。

信者さんにお勧めなのは 1年間一切苑と縁を切ってみてください。 それができればの話ですが。
そしてそれこそが組織が最も恐れることです。



真如苑で仏教は教えませんよ。 数年やっても 教主の名前は覚えるが 釈迦の本名さえ知らなかったですから。
その状態で「勧誘しろ〜」ですからね。
もちろん仏教の内容もまったく知り得ません。その生き証人がここに居るわけです。
知る機会と言えば智流院ですが
それに入るころには がっちりMC状態ですからね。 それこそが伊藤手口なのです。
しかも授業内容は伊藤家の歴史ですし。 「嘘の中に真実を少し混ぜることで」すべてを真実と見せかける。
ばれてますよ。


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