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八木橋裕子の物語の感想スレ
268
:
たたみ
:2015/12/10(木) 00:12:11
こんばんは。一昨日に続いてたたみと申します。
まだこの作品群に語りたいことがあります。我慢もしきれない思いですので、できるだけまとめて書くようにします。
自分と八木橋裕子の物語との関係を述べます。
実は2006年にすでにフェチ板で連載を読んでいました。
このサイトが立ち上がり、むさぼるように読んだものです。掲示板にもお邪魔させていただいていました。
でも、ある時あまりののめり込みに、これ以上耽溺するのが怖くなり、以後9年間、意識的に近寄らないようにしていました。
仕事にならない恐怖、すべてこの世界に魂丸ごと奪われてしまいそうな恐怖がありました。耽溺しやすい自分の弱さが怖かったからとも言えます。
このたび9年ぶりに再訪しました。自身にも色々な変化がありましたが、衝撃はなお強いものの、受け止めることができる自分を感じました。
以下、私の目線から見たこの作品群へのこだわりや感動を書き出させていただきます。
**********************************************************
今の日本社会に、本当に全身義体の女の子が存在したら何が起こるか、徹底した思考実験が魅力の柱になっていると考えます。
・体重が重い→自転車が限られる ・金属探知機を通れない→修学旅行でエライことになる ・熱い寒いがわからない
「そういえばそうなるな」と気づかされる積み重ねの面白さ(当人には不快でしょうが)が魅力です。
義体の思考実験で性生活を強く扱っていることは、フェティシズムを持つ我々読者には重要なことだと思います。
ヤギーの言葉にあるように、性機能を使い倒して人間性を再確認することは、義体の目線から見た人間性とは何なのかを
煮詰めていった結果として重要なことです。
性機能実装以前の義体者の人間性への距離感の遠さはいかばかりか、思いを致せば義体の苦しみの深さに寒気すら感じます。
女性として性的快感を他者にコントロールされることの恥ずかしさや悔しさは耐えがたいことだと思いますが、
「食事会」での深町さんは開発の実験台になってでも好きな人と愛し合うためだという姿勢は、どんなAIでも不可能で、
悩みながら生きることを続けてきた自立した人間でないと産み出せないものです。
誤解されやすい言葉でしょうが、彼女の「私は私のためにこの会社で働いてる」重い言葉だと思います。
性機能に関連して体液も重要です。汗も涙もない体。女性の描写で泣くシーンは重要です。
しかし、涙ないがゆえに却って雄弁にヤギーの大粒の涙を読者に見せる語り口「最後の届け物」は、作者さんの筆力の凄みを感じます。
義体技術が一定の実用化を達成し、普及期に入った時代でも維持費負担の重さを強調するのも、あまりない手法だと思います。
銀河鉄道999でも機械の体を得るためにはお金がかかる、とは言われていますが、なったらなったでメンテナンスコストが大変というのは確かにそうで、
ヒーローたちと違って市井の義体者はどういう負担になるかという、リアルな思考実験の結果だと思います。
普及初期では義体化されることで、生きる経済的負担が重くなるあまり、もとの生活には帰るのが事実上難しい、という世界は、
なにより普通に生きたいと願う若い女性にはいささか過酷に過ぎるとも感じますが、人工腎臓による透析も、実用化段階では
大変な負担となって、経済的に透析が続けられず亡くなった方も多いと聞きます。
その過酷さに対して、毅然と立ち向かうヤギーはとても強く、そしてだからこそ愛ある支えを渇望する彼女の姿を浮き立たせます。
一般社会から離れざるを得ない環境下ですから周囲の普通の人は身構えるでしょうし、偏見や好奇の目、我々のようなフェティシストの眼(もっともこれが嫌でしょうが)を浴びることの不快感も女性的視点から見たらリアルを感じます。
私たち読者には義体は憧れであり、興味の対象ですが、ヤギーはきっと、こう思ってるんじゃないかと思うのです。
「そんならいっぺんなってみろ!なんだこの当たり前のこと何一つできない体は!」って。
すみません。続きます。
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