したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

構想中のネタ

1【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/05/31(木) 02:15:00 ID:???0
こんな構想を考えてます。

個体化過程における行動を導き推進する元型[=本能]的な集合無意識(ユング)
アカシャ年代記(シュタイナー)
アルゴリズム的な自動機械プログラムとしての無意識(ペンローズ)
天使(リルケ『ドゥイノの悲歌』)
生きて活動するものの中の機械的なもの(ベルクソン)

これらを存在論的アトラクタとみなす。そしてこの存在論的アトラクタが、旧エヴァのストーリ
ー描写において、「原因と結果」の一連の系列が展開される背後に明らかに透けて見えるという
ことを、特に「残酷な天使のテーゼ」の歌詞から解釈します。

この曲を手がけたプロデューサーの大月俊倫は、作詞家と作曲家をあえて一度も会わせずに制作
させており、作詞を担当した及川眠子は本編内容をほぼ全く知らない状態で作詞している。歌手
の高橋洋子も、レコーディング時点では本編を見たことがなく内容も殆ど知らされていなかった。
及川眠子にいたっては「残酷な天使のテーゼ」の歌詞に『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマが
示されたというのは本当か、という問いへの及川眠子の答えは「本編を見ないで作ったからあり
えない。実は今も見ていない」とのこと。

ということは、旧エヴァのストーリーと「残酷な天使のテーゼ」とは、それぞれ全く異なる独立し
た系列であるということです。ただ、結論から言ってしまえば、私の見立てではこれらの二つの系
列は「原因と結果」の一連の系列の展開という点において、同一の状況にある、と思われます。つ
まりシンクロニシティということです。ちょうど「生命のビッグバンとビッグクランチ」と並行す
る形になります。及川眠子が作詞したことをあとで製作側が製作時になぞったんじゃねというツッ
コミが来るかも知れませんが、それはそれでまた同じことが解釈されうる。まあ、このことはコミ
ック版に載ってる庵野秀明の製作にむけての「表明」(流れのままにどこへいくかまだ解らない的
なw)を見れば言われないと思いますが(そしてこの「表明」が「原因」であり、「結果」へと向
かう過程を描き出す)。

2【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/05/31(木) 03:27:12 ID:???0
・アトラクタとは力学系(一定の規則に従って時間の経過とともに状態が変化するシステム(系))
がそこに向かって時間発展をする集合である。
・アトラクタは力学系の位相空間の部分集合である。

3【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 02:07:39 ID:???0
元型は存在論的アトラクタというだけじゃ不十分でした。共時性(シンクロニシティ)ならび
に布置(コンステレーション)のことを考えたら、元型には「非因果的連関の原理」の意味も
あるわけなので、元型とは「存在論的−非因果的連関アトラクタ」だといった方がよいかもし
れません。そうしないと、ユングがショーペンハウアーの偶然性と「同時性」とどう違うのか
と述べていることがあまり生きてこないかなと。
ちなみに元型に関して言えば、ゲーテが『色彩論』所収の「直観的判断力」で、カントの『判
断力批判』77節にある元型的知性(intellectus archetypus)[=直観的知性]と偶然性に
ついて引用してるところが興味深いですね。本来は長いところを余りにもはしょりすぎ、と思
われるかも知れませんがw。
「我々は次のような知性を考えることができる。すなわちそれは、我々の知性のように推論的
ではなく、直観的であるために、総合的普遍から、全体そのものの直観から特殊へと、つまり
全体から部分へと進んでいく。[…大幅中略…]その際、このような元型的知性(intellectus
archetypus)[=直観的知性]が可能であることを証明する必要は全くない。我々は形象を必
要とする我々の論証的知性、即ち模型的知性(intellectus ectypus)と、その性質における
偶然性とをこの元型的知性[=直観的知性]と突き合わせつつ、かかる元型的知性という理念
(idee)に到ることを証明するだけでよい。この理念は、それ自身何ら矛盾を含むものではな
いからである。」(カント)

4【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 02:29:54 ID:???0
※ラテン語intellectusはドイツ語のVerstandにあたり、カントはこの2つの語を同義語とし
て扱っていたにもかかわらず、従来の翻訳では前者を知性、後者を悟性と訳しわけて同根の語
があたかも違うもののように扱われていると見えてしまう事態を起こしているとか。なので悟
性と知性とでわけずに知性で統一しました。これは「直観によって与えられる多様に、純粋知
性概念[=量・質・関係・様相といったカテゴリー]に従って統一をもたらす主観の能動的な
能力」で、対象の認識はこの純粋知性概念において初めて成立する。またこの概念によって認
識の対象について判断を下し、対象に法則を与えることも可能になると。

ついでゲーテですが、元型について次のように述べています。
「我々は、不断に創造する自然を直観することによって、その生産の営みに精神的に参加する
のに相応しい者となるべきである。私は最初は無意識のうちに、内的衝動に駆られて、かの原
像的なもの、元型的なものをひたすら追求し、自然に即した叙述を築き上げることに成功した
ので、ケーニヒスベルクの老碩学が自らそう呼んでいる「理性の冒険」を刊行するのを妨げる
ものはもはや何もなかった。」(ゲーテ『色彩論』ちくま学芸文庫所収の「直観的判断力」)

5【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 02:55:33 ID:???0
『残酷な天使のテーゼ』と旧エヴァ本編ストーリーとが共時性[=非因果的連関]の関係
にあるということ。その類例は、リヒャルト・ヴィルヘルムによって独訳されてユングに
よって高く評価された『易経』の易占、E.A.ポオの『ユリイカ』が膨張する宇宙の時
間軸を逆に辿れば最終的にあらゆる科学法則・原理が破綻する特異点が在るということや
銀河系の中心にブラックホールが存在するということを、正確に幻視したこと、パウリの
ケプラー論「元型的観念がケプラーの科学理論に与えた影響」などを挙げておけばよいで
しょうか。同時ではなく時間差のある「有意味の偶然の一致」としての共時性。

ちなみにパウリのケプラー論ではこう言われてますね。
「ケプラーは、観念は神の精神の中に前もって存在し、また創造に際して、神の似像として
の人間の魂に植え付けられたのだと語った。このように、人間の魂が自らに内在的な「直覚」
の助けを籍りて知覚することのできる始源的イメージを、ケプラーは元型的(archetypalis)
と呼ぶ。このようなイメージと、現代心理学においてC.G.ユングが導入し、「幻想」の
「直覚」として働くものと想定された「始源的イメージ」もしくは元型とは、重なりあうと
ころが極めて大きい。」(パウリ)「幾何学こそは世界の美の元型である」(ケプラー)etc

6【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 02:59:00 ID:???0
修正:ゲーテ
「「理性の冒険」を刊行するのを妨げるものはもはや何もなかった。」☓
「「理性の冒険」を敢行するのを妨げるものはもはや何もなかった。」◯

7【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 04:12:08 ID:???0
今回のネタの外のことになるかどうかはまだわかりませんが・・・、
ゲーテの形態学が気になっております。これはユングの元型だけじゃなく、シュタイナー
にも関わるかと。ゲーテの場合、当時のドイツにおいては元型≒遺伝子と考えられていた
ということもちょっと注目してみたいですね。

8【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2012/06/09(土) 13:22:00 ID:???0
いわゆるユングの「元型」の運用の仕方とシュタイナーのアカシャ年代記の運用の仕方の布置連関は、
シュタイナー側だと講演録『歴史を生きる』がわかりやすかったですね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板