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カタリ派の思想
1
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/05/19(火) 00:05:52 ID:???0
今更ながらなのだが、オック語で書かれたカタリ派の『ヨハネ福
音書』の解釈をどこかの誰かさんと同じ思想に見立ててしまった
ので記しておきたい(^^;)。下のスレで、『ヨハネ福音書』
の冒頭を取り上げているが、カタリ派の二元論的思想は《有》と
《無》の根源的対立から語り起こされる。すなわち、「万物はロ
ゴスを介して生じた。ロゴスを差し置いては何一つ生じなかった。
ロゴスにおいて生じたことは、生命であり、その生命は人々の光
であった」という部分の解釈となるが、この「ロゴスを差し置い
ては何一つ生じなかった」という部分を、カタリ派は、ロゴスを
差し置いて生じたものとして《無》を挙げたのだ。「万物はロゴ
スによって作られ、ロゴスによらずに“nihil”(限りなく無に近いもの)
が作られた」というわけである。カタリ派においては「万物」と
いったとき、このようにロゴスによって生じた万物を善なるもの
として、ロゴスを介さず生じた万物を悪なるものとして扱い、こ
こで云われているのは、「生命と光がロゴスによって作られたも
のだけに宿る善なる原理であり、沈黙に包まれた死と闇はロゴス
を介さずに生じる悪なる原理であるということなのだ。
「形相を与えられるまでは混沌とした自然や質料は存在しないも
同然である」とする形而上学的思考からすると、言葉はまさに形
相を与えるものであり、存在者を存在者として在らしめるものだ
が、これは形相が与えられるや否や、形相が与えられておらず実
体化していない部分が生じているということでもある。まさにカ
タリ派《無》は、実体性を持たないもの、存在性を欠くものとし
て扱われてもいるのである。
2
:
極東博士
:2009/06/21(日) 21:31:59 ID:G6iz/z3k0
カタリ派最後の砦、モンセギュールはフェルナン・ニールらによれば、
太陽崇拝の神殿であったとか。カタリ派がマニ教の末裔か否かに関しては
意見の分かれる点のようですが太陽崇拝、太陽信仰に関連したゾロアスター教や
ミトラ信仰などとの関係は今後の研究に期待したいところです。
4
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/06/22(月) 09:08:49 ID:???0
こちらのネタの方も更新したいとは思いつつなかなかできずに申し訳
ないです。一応これ参考にしたのは、ご存知でしょうけど、法政大学
出版局から出ているルネ・ネッリの『異端カタリ派の哲学』です。哲
学と題されているだけに、いきなりカタリ派の『ヨハネ福音書』解釈
から突っ込まれてます。そこが他と一風変わってますね。しかもオッ
ク語つきという優れもの。でもフランス語と似ているようで違うから
発音とか分かりませんが・・・。
5
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/06/23(火) 02:04:09 ID:???0
言うの忘れてました。ルネ・ネッリのこの本の表紙はまさにモンセギュ
ールの城砦跡でしたね。あと、原田武の『異端カタリ派と転生』ってい
うのを図書館で読みましたが、なんで重版かからないんだろう。
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