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カタリ派の思想
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:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2009/05/19(火) 00:05:52 ID:???0
今更ながらなのだが、オック語で書かれたカタリ派の『ヨハネ福
音書』の解釈をどこかの誰かさんと同じ思想に見立ててしまった
ので記しておきたい(^^;)。下のスレで、『ヨハネ福音書』
の冒頭を取り上げているが、カタリ派の二元論的思想は《有》と
《無》の根源的対立から語り起こされる。すなわち、「万物はロ
ゴスを介して生じた。ロゴスを差し置いては何一つ生じなかった。
ロゴスにおいて生じたことは、生命であり、その生命は人々の光
であった」という部分の解釈となるが、この「ロゴスを差し置い
ては何一つ生じなかった」という部分を、カタリ派は、ロゴスを
差し置いて生じたものとして《無》を挙げたのだ。「万物はロゴ
スによって作られ、ロゴスによらずに“nihil”(限りなく無に近いもの)
が作られた」というわけである。カタリ派においては「万物」と
いったとき、このようにロゴスによって生じた万物を善なるもの
として、ロゴスを介さず生じた万物を悪なるものとして扱い、こ
こで云われているのは、「生命と光がロゴスによって作られたも
のだけに宿る善なる原理であり、沈黙に包まれた死と闇はロゴス
を介さずに生じる悪なる原理であるということなのだ。
「形相を与えられるまでは混沌とした自然や質料は存在しないも
同然である」とする形而上学的思考からすると、言葉はまさに形
相を与えるものであり、存在者を存在者として在らしめるものだ
が、これは形相が与えられるや否や、形相が与えられておらず実
体化していない部分が生じているということでもある。まさにカ
タリ派《無》は、実体性を持たないもの、存在性を欠くものとし
て扱われてもいるのである。
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