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ソフィアと《智慧文学》

5【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/04/07(火) 19:33:41 ID:???0
かなり昔のことですが博士にお詫びしておきたいことがあります。私が
以前博士に『アイオーン』の話をしたとき、ユングがシンボルとしての
キリストを復活の象徴とみなしているといいましたが、読み直していた
ところ、正確に言えば、「甦新」でした。「復活」だと本来的自己は死
んでいるという謂いになり、これではニーチェの方法になってしまって
おりました。まったく申し訳ないことをしてしまったと心からお詫び申
し上げます。反省しております。

ただ、これは博士と知り合った初期の頃から思っていたことですが、グ
ノーシスの場合も、本来的自己について無知忘却状態にあることを「死」
という表現でもって語りますが、実際にはそれは肉のうちにア・プリオ
リにあるとされる表現をこのような形で語っているのであり、ユングの
場合は、単に「死んだ」という表現を避けているように思います。
ご存知の通り「死者への七つの語らい」からあからさまですが「神は死
んではいない」という表現に拘っており、『アイオーン』も『ヨブへの
答え』も、意識を強く持って自己の在り様を省みるという点において、
「改変されうる」(『アイオーン』)と述べており、「甦新」というの
を本来的状態の復元だといっています。それは単に「死」からの「復活」
であるという表現をしたくないだけだけではないかな、と私には見えま
したが・・・。

『アイオーン』には「自己(内なる神)の全体性の元型は常に存在して
いる」とあり、これは人間の肉のうちにア・プリオリに存在しているこ
とには変わりがないわけで、結果的にはグノーシスにおける認識の光を
当てて本来的自己の覚醒を促すということとは変わりはないと思いまし
た。ユングがことあるごとにニーチェを意識して非難するのは、みだり
に「神は死んだ」ということを挑発的に口にするからではないか、とこ
のように思います。個人的な考えでしかありませんが・・・。

方法論上、ユングはユング、ニーチェはニーチェですので、言っている
ことは同じでも、いっぺんに述べようとするとごちゃごちゃになってし
まいかねない、でも表現方法はそれに則らねばならないと改めて思いま
した。本当に申し訳なかったです。

かつてユイの目的などをお話していたときに神人合一とか超人とかアブ
ラクサスとかを述べていましたが、『アイオーン』のユングはどうもそ
れをキリストとかに見立てているので、どうしたものかと思案していま
す。もっとも、最後の初号機をして単に「自己なるものの元型を具現化
したヒトの証(シンボル)」といえば、私の考えでは済んでしまうこと
だといえますが。


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