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ネルフという監獄
1
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/06/01(日) 15:42:16 ID:???0
今回は初披露となるが、ミシェル・フーコーの「監獄の誕生」よりの考察を行おうと思う。
フーコーは、人間の身体は直接に政治の領域の中に投げ込まれており、権力関係は身体に無媒介な影響力を加えており、身体を攻囲し、それに烙印を押し、それを訓練し、責め苛み、それに労役を強制し、儀式を押し付け、それから表徴を要求する、という。
これが複合的で相関的な経済的活用と結びつくというのである。
すなわち、身体の生産力としての効用である。
身体が権力関係と支配関係によって攻囲されるのは、かなりの程度においてまでは生産力としてであるが、身体を生産力として組み込むことができるのは、身体が服従の強制の仕組みのなかに入れられる場合に限られているというのである。
この服従の強制の仕組みのなかでは、服従させる人間の欲求もまた、注意深く配分され計量され、活用される政治的道具の一つとなる。
すなわち、「生産力としての身体=権力と支配に服従せる身体」という図式が成り立つときにのみ、人間の身体は有効な力となるというのだ。
人間を服従させる強制には、暴力本位の手段だけ、あるいは単に観念・形態を主とする手段だけによっては実現されない。その強制は直接的で物理的であってよく、力には力をもってしてでもよい。
物質的な若干の要素を対象にしてもよい。計算され組織化され技術的に考慮されていてもよく、巧妙であり、武器も使わず恐怖に訴えなくともよい。ただしそれは、物理的なものを含んだ身体的な次元にとどまっていなければならない。
このフーコーの指摘することは、そのままありとあらゆる隠蔽工作をこうじて、各々の欲求はどうであれ、人々を使徒との対決に対する生産力に変えているゲンドウのネルフに当てはめることができるであろう。
ゲンドウにとって人間の身体などは人類補完計画にむけての歯車でしかない。
いかに人々を服従させ、仕事をさせる力を有効に引き出すか、そんなことしかしていない。
「権力関係は身体に無媒介な影響力を加えており、身体を攻囲し、それに烙印を押し、それを訓練し、責め苛み、それに労役を強制し、儀式を押し付け、それから表徴を要求する」
ゲンドウという御山の大将が牛耳っている権力の下に、シンジらパイロットを始め、ネルフを組織している人々はみなこれに当てはまっている。
たとえばシンジの場合、ゲンドウ以下ネルフという権力によって身体を攻囲され、エヴァのパイロットという烙印を押され、パイロットとして訓練することを義務付けられ、使徒と戦うという労役を強制され、補完計画のための儀式に至るまでの前提及びそれ自体を押し付けられ、それを自分からやっているという表徴を要求されているだろう。
ゲンドウの行動をみてみるといい。停電の際に自らが率先して手動でエヴァを起動させようとする「態度」を見せている。
これは「人類の滅亡の阻止」という単に観念・形態を主とする手段によっては、人間の身体を生産力として有効にするために服従させる手段とはなりえないということを知っているからだ。
停電の中にシンジたちが独断でネルフに潜入した際、リツコが彼らに向けて「碇司令はあなたたちが来るのを信じて待っていた」というようなことを言っていると思うが、ストーリー全体を通して、他者に真実を語るということを一切せず、最深部にいる人間たちのみに情報を隠蔽していて、人間の身体を生産力といて生かすためにいかにうまく服従させるか、ということしか考えられていないところを見ると、歯の浮いた台詞といわざるを得ない。
シンジたちが自主的に動いてネルフ内に到着しようとしたのも、それはさらにその外層から服従させ、その行動に移させるだけの要素を彼らに与えているからである。
停電だからとか、ゲンドウが息子を恐れていた臆病者だったから、というのはこの場合二次的なものに過ぎない。
シンジたちチルドレンの行動自体、すでにゲンドウの権力下にその身体が政治的攻囲されており、当人たちが意識していようといまいと、知らぬ間に服従の強制の仕組みに組み込まれていたのだ。
まさしくゲンドウにとっては組み立てた後全自動式に目的を果たすために動いてくれる組織の歯車となっていたのである。
(この項続く)
2
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/06/23(月) 10:19:29 ID:???0
ネルフの組織機構を説明してみよう。
使途との戦いにおいて、使徒とは、殲滅対象というより処刑の対象であり、その戦いは処刑の儀式であると見て遜色ない。
物理的次元、すなわち時間的にも空間的にも出現するのは使徒に振り回される形で、しかもその襲来を待ち受けるという点においては、ネルフは形式的には受動的であるが、その事実を出来(しゅったい)させたのはほかならぬネルフの中枢にいる人間、すなわちゲンドウらである。
ネルフは特務機関であり、第三新東京市は自治体以上、国家権力以上の権力を有していた。
そこにある規制は、総司令であるゲンドウが絶対的な権力を有しており、それ以外はただの手ごま扱いである。
すなわち、ネルフを国に見立てるならば、ゲンドウは国王であり、使徒はその国王の権力を侵犯し反逆する死刑に値する逆賊であり、作戦指揮官としてのミサトや技術開発担当のリツコらは、ゲンドウの権力下にあって、使徒という死刑囚をどのように処刑するかの身体刑を考案するお膳立て人であり、エヴァのパイロットたちはただその権力下にあって死刑を執行する死刑執行人である。
このように考えたとき、総司令であるゲンドウには最大限の権力を持ち合わせているが、末端にもなればそれはその権力に従うことが大前提となって、支配下にある人間が持ち合わせている権力は最低限しか与えられない。
これはフーコーが説明していることを流用しているわけだが、死刑囚は国王の権力=法律を侵犯し、穢した存在であるが故に、その国王にとってはその権力の効力を公私共に示すべく刑を執行人にゆだねて執行する。
ここにひとつ、この権力関係において、最大の権力を持っている国王と最低限の権力しか持ち合わせていない死刑執行人の関係を見てみると、パイロットたちがいかに自分にパイロットとしての価値があるということをネルフに示そうとしても無意味であることが明らかになる。
国王の権力からすれば、自身の権力を侵害するモノは誰であれ刑罰を科す対象となる。逆に特赦によってその人間を解放するということも彼の自由であり、いわゆる生殺権が彼にはある。
この国王が死刑執行人に死刑の執行をゆだねる、というのは、よどみなく死刑を執行せよ、という義務をその執行人に負わせるだけである。
ではその死刑の執行に手間取り、科せられたはずの身体刑を実践できなかった場合、それはどうなるのか。
これもまた、国王の権力を損ねたということになり、軽罪の扱いとなって、死刑執行人が罰せられることになるのである。
人間が持ち合わせている権力関係の大小はこのように効力を持つことになる。
このように考えると自分はエヴァのパイロットであるというパースペクティヴに、自分自身そのものを投影し、そこに価値を見出そうとすること自体、ゲンドウにとってはいかにしてうまく使徒と言う死刑囚を処刑できるか、という見方だけで見られるのであり、いかにその価値性を認めてもらおうとしても無意味であることがわかるであろう。
パイロットという死刑執行人が、よどみなく死刑を執行できない場合、執行人には罰が与えられるばかりか、即刻切り捨てるというゲンドウの態度はまさに自分の権力の侵犯行為だけが彼にとって最大の関心事であり、そこに親子関係のことなど介入の余地はなく、シンジとゲンドウという関係は、既に疎外化され物象化された関係なのである。
そこに、いかにエヴァのパイロットが彼らしかいないということがあってもである。
(この項続く)
3
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/07/13(日) 21:36:25 ID:???0
ところで、この組織内の権力関係・支配関係は行列によって示す
ことができる。それは情報の度合いや力関係、そして時空の変遷
によっても変わるが、中盤程度のところで見ていただきたい。
今回はそれを行列を用いたネルフ権力の構造を説明してみよう。
実に簡単なつくりでそれを作ることができ、それによって劇中
の人間の権力(力)がどれだけ大きいか示してみたい。
Y:ユイ G:ゲンドウ K:冬月
R:リツコ M:ミサト r:レイ
A:アスカ S:シンジ 0:支配しない 1:支配する
支配される側
| Y G K r R M A S|
支|Y0 1 1 1 1 1 1 1|
配| |
す|G0 0 1 1 1 1 1 1|
る| |
側|K0 0 0 1 1 1 1 1|
| |
|r0 0 0 0 1 1 1 1|
| |
|R0 0 0 0 0 1 1 1|
| |
|M0 0 0 0 0 0 1 1|
| |
|A0 0 0 0 0 0 0 1|
| |
|S0 0 0 0 0 0 0 0|
4
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/07/17(木) 21:22:09 ID:???0
正確に言うと、この上に「裏死海文書」という書物を据え置くことが
できる。なぜなら裏死海文書はそれ自体は人間ではないが、劇中の人
間の行動、とりわけサードインパクトに向けて動きを見せている人間
はその支配を受けているからだ。
ところで、この行列はシンジが圧倒的な権力支配を受けていることを
示しえるであろう。互いに人間味のある関係というよりは、支配欲に
執心しているところがある。
圧倒的な権力支配を受けているシンジはいかに抗おうとなかなかこの
構造自体は変えることができない。なぜなら支配する側は一貫して支
配し、いかに自らの恐怖と戦うために人を有効活用するかということ
しか考えていないからである。
後半において、変貌したのはアスカとシンジくらいだろうか。ただこ
の行列は、私もそれが完全であるとは考えていない。人間であるから
それは変遷もするだろう。不完全性定理の話ではないが、数学と数学
的では意味が異なる。数学は答えをひとつに導き出すが、数学的は多
岐にわたって解釈できるのだ。
時期によって、あるいは人の捉え方によって、この行列は作り変える
ことができる。
ただしこれは組織内の単純化された構造なので、その点については留
意いただきたい。
6
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/10/17(金) 03:03:17 ID:???0
17〜18世紀頃、つまり古典主義時代における刑罰システムのなかに据え
置かれていた処刑場は、至上者としての王の、その栄えある支配権力と、
その誇示を受ける大犯罪者との、身体を張った関係によって象徴される。
それは公開処刑という形で、一種の宗教的儀式のように民衆に対する見
世物として位置づけられていた。
バタイユは至上者としての王の奢侈さについて述べているが、フランス
革命より前の時代において、民衆にとって王は奢侈的であるのは当然と
みなされていた。奢侈的であってこそその華々しさが、民衆にとって輝
いて見えるのである。フーコーは当時のその王の奢侈さを示す場が刑罰
制度の処刑場にて表されていたと指摘するのである。
ところで問題なのは、この時代の処刑における犯罪者、すなわち死刑囚
となるものへの罪の訴追である。今の我々から考えれば想像もつかない
方法だが、その訴追には、誰が、どのようにして罪を犯したかを詳細に
取り調べることは含まれていない。少しでも疑わしい人物をとっつかま
えて拷問にかけ、その罪を無理やりにでも自白させることに重きがおか
れるのだ。冤罪であろうがなかろうが関係なく、拷問は既に刑罰のお膳
立てとして用意されているものなのである。
死刑囚の有罪無罪の厳格さを問わないという点で曖昧なまま、死刑囚の
身体は、国王の権力の正義や大義という、唯一絶対の真理を生産するた
めに利用されるのである。この見世物としての公開処刑は、国王の奢侈
さを示すものであるから、「いかにしてその死刑囚を華々しく散らせる
か」に着眼点が置かれ、民衆はそれを見てその犯罪や国王の主権に対し
て恐怖や驚異的な感情を覚え、精神を形成する。
(この項続く)
7
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/10/18(土) 02:26:42 ID:???0
フーコーはこの古典主義時代における儀式としての公開処刑の有様を
「エクラ(輝き)」というキーワードを使って説明する。これは派手
に砕け散る様子、そこから生ずる爆裂音・閃光などを指し、たとえと
しては威光や壮麗さといった意味を持った語である。要するにこの時
代の刑罰制度における公開処刑は、国王や民衆にとってお祭りであり、
花火のようなものだったのである。
エヴァという作品を通して描き出されている使徒と戦いなどはこの花
火(=エクラ)をいかにして描き出し、見せつけるかに尽きている。
これは結果的に、デビュー当初の「くりぃむれもん−ポップチェイサ
ー−」より爆発アニメーターとして知られていた庵野監督がそのまま
観客にみせている手法にも等しい。
フーコーの、ニーチェを参照においた真理と権力は不可分であるとす
る考察(知=権力)から見ることができる支配関係・権力関係は、劇
中のキャラクター相関図だけでなく、「劇外の観客と製作者」という
関係構図を解析することもできよう。すなわち、どちらにしても社会
の中に投げ込まれた身体が、支配権力を行使されることによって、自
己内に客体化された精神を形成し、それが主体としての身体を拘禁す
るという構図が確認できるのである。
(この項続く)
8
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/10/25(土) 18:03:15 ID:???0
フーコーはassujettissement(アシュジュティスマン)という仏語を
二重の意味を含ませて使った。それは「主体」と「臣民」である。す
なわち行動する主体としての身体は、常に客体化された精神という名
の監獄装置の支配下にあるという意味で「主体=臣民」であるという
のである。
他の項でも説明している対象化論理とも併せて読んでいただきたいと
思うが、フーコーの場合、この精神は実在的だが実質的ではないとい
う。精神とはある種の型の権力の成果と、ある知の指示関連とが有機
的に結びついている構成要素であり、さらには権力の諸関連がが在り
うべき知を誘い出す場合の、また、知が権力の諸成果を導いて強化す
る場合の装置であるというのだ。これがすなわち身体の「監獄」であ
ると説明される。
ところで、この強大な権力は時を経るにつれ、微細かつ緻密化してい
く。たとえば軍隊や学校、病院などの施設においては、人間の身体は
いつ何時にどこで何をするか、記述可能な限り最大限に、時間と空間
及び行動を、碁盤目状に区分され、記号体系化されることで強制され
ている。いわゆる「時間割」などを思い浮かべれば手っ取り早いだろ
う。
これは人間の身体の運用への緻密な取締りを可能にし、体力の恒常的
な束縛を揺ぎ無いものとし、体力に従順=効用の関係を強制する方法
であると説明され、フーコーはこれをdiscipline(ディシプリーヌ)
と名づけている。邦訳では「規律・訓練」などと記述される。
(この項続く)
9
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/12/10(水) 01:01:43 ID:???0
ネルフ統治下にある人々は、まるで懲治監獄に在監し、<行刑的なる
もの>に服役している囚人(délinquant)であるといっても過言では
ない(行刑=自由の剥奪を内容とし、囚人の更生のための矯正に課す
る刑)。それは最高権力を持っているゲンドウがいてもいなくても効
力を持つようになっている。なぜなら「使徒を倒さなければ人類が滅
亡する」という情報=知を、規律・訓練によって、絶対遵守の精神と
して、その統治下にある人々に対象化させているからである。それは
もはや監視するものの眼差しがなくても、自分で自分を監視し、あた
かも自分が監視されているような状況を作り出すのだ。それはフロム
の言う、人々の個人生活において力を振るっている「匿名の権威」に
隷属している状況に近い。フーコーはこの究極の形をベンサムの考案
した監獄用建造物「一望監視装置」になぞらえて説明するのだ。
一望監視装置(パノプティコン)は、文字通り中央に監視塔があり、
その周囲に円形状、あるいは六角形状などに囚人を収監する独房を並
び立てている建造物である。この建造物の仕組みは、この中心の監視
塔に実際に監視人がいようといまいと、そこにあたかも監視人がいる
と思い込ませることが理論上可能とされるものである。
上述で述べてきた「対象化された精神=身体を縛る監獄装置」の機能
は、次の三つの大きな図式を援用している。
1.個人別の孤立化と階層秩序という政治的=道徳的な図式
2.強制労働に適用される力という経済的モデル
3.治療と規格化という技術的=医療的モデル
(この項続く)
10
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/12/21(日) 12:07:22 ID:???0
ネルフ統治下の管理社会は、まさにこの<一望監視装置>の命題であ
る監視と同時に観察、安全と同時に知、個人化と同時に全体化、孤立
化と同時に透明化の実現に向けた特権的な場が形作られているといえ
る。さらに補足だが、ここにアメリカの社会学者タルコット・パーソ
ンズの「機能要件」における「AGIL図式」を当てはめてみれば分
かりやすくなる。
パーソンズは人間が単に利益を追求する存在ではなく、価値や理念を
もち、それに基づいた究極的目的、及び道徳的規範によって人々を統
合、社会秩序を維持することが可能であるとした。その社会システム
の構造の存続のための機能要件を4つに図式化している。
A“adaptation”【適応】
−システムの目標を達成するのに必要な道具を提供する機能−
ex.経済流通面における貨幣など
G“goal-attainment”【目標達成】
−システムの具体的な目標を設定し、その各種目標を順位付けして達
成するために諸資源を動員する機能−
ex.政治権力
Ⅰ“integration”【統合】
−システムを構成している諸単位。たとえば行為者や役割などの間の
関係を調整する機能−
ex.コミュニティの影響力
L“latency”【潜在性・形相維持】
−制度化された価値体系を変動させようとする圧力に対してシステム
を安定的に保持しようとするパターン維持、あるいはシステム内に生
じる緊張を処理する機能−
ex.家族、学校、教会など
11
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/12/23(火) 14:30:40 ID:???0
ヨーロッパにおいて、ニーチェによって「神の死」が宣告された時期
と並行しているが、アメリカにおいては逆に、神と真理の絶対性が強
められていったといえる。それはアメリカという国が移民の国であり
「人種の坩堝」といえるくらいに、ありとあらゆる人々が混ざり合っ
ている状態であったが故に、統合することが必要不可欠となったこと
から生じた帰結であるといえる。
パーソンズはこのAGIL図式をあらゆる社会の単位に当てはめる。
上位の社会単位におけるAGILは、その維持を担う、より下位の社
会単位のシステムに分化し、下位システム間で境界相互交換と呼ばれ
る相互依存が生じると、彼は論じた。パーソンズが出発点としたのは
「いかにして一つの社会を形成・統合しうるか」という問いであり、
そこからこのAGIL図式の四機能要件が達成しうることに帰結を見
出したのである。その中でも彼は、「文化システム」による価値理念
「L」こそが他の機能要件を支えると考え、共通の価値と理念こそが
社会秩序の維持に重要な意味を持っているとした。
14
:
【管理人】アイオーン・アブラクサス★
:2008/12/24(水) 22:40:16 ID:???0
(訂正です)
しかし、この「L」を社会秩序の維持のために重要だとするパーソン
ズの考え方には盲点がある。それは抽象的であるということ以前に、
私がこれまで述べてきたフーコーの指摘する監獄と密接に関わってい
る。人々を統合するために共通の価値と理念に普遍的真理を置くとい
うことは、自らのうちに客体としての「偽りの神」を対象化させると
いうことである。それがL=形相維持の意味に当てはまるのは言うま
でもないし、統治機構における一つの知=権力下に隷属化する主体と
しての人間を作り上げるということに他ならない。
これはいわゆる「一般意志」なるものの創出であり、認識の絶対性の
追求であって、人間の本質というものを決定してしまうものであり、
その価値観に基づいた「合理的思考」の名の下に、価値観に反するも
のを合理的に排除できるという危険性を孕んでいるのだ。これはマル
クス主義であろうが資本主義であろうがどれにでも当てはまるであろ
う。なぜならどれもが「L」によってその社会の機能が支えられてい
るからだ。
ここで監獄の機能に戻るが、この「L」に基づいた「当然性」に隷属
している人間というのは、「隷属している」という自覚がない。一つ
の知に基づいた世界がその者にとって明瞭な「コスモス」であり、当
然視している観念に基づいた主観しか持ち合わせていないからだ。こ
の「コスモス」及びそれが硬直化した「ノモス」に隷属している人々
は、上述した監獄の三つの機能の巧妙な仕掛けによって「L」の下に
均質化していくのである。
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