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【sage】雑談スレッド【マターリ】

170よしはら ◆7lqX359TUk:2008/02/17(日) 23:31:27
>169

大変ご丁寧にありがとうございます。

>「民主主義の過程そのものに関わる問題(土俵作りの問題)
については、できる限りその恣意性を排除することが
国会の議決(試合の結果)に対する信頼を確保する上で重要です。」

そもそも成人年齢を20歳とすること自体、歴史的経緯によるものであり、そこには「恣意性」がつきまとっています。
しかし、いったん成人年齢を線引きすれば、それを原則維持するのが、国会の議決に対する信頼確保に繋がる、というご趣旨だと理解しました。

私が掴みかねているのは、「ゆ」さんがおっしゃるところの「国会の議決に対する信頼」が憲法上どのように位置づけられ、保障されるのか、ということです。

国民に信頼されない国会(制度)は、その民主的正統性(legitimacy)を欠くため、より正統な統治形態が民主主義憲法からは要請される、というご趣旨でしょうか。
しかし、統治形態の正統性ということを言うと、国民に支持される統治形態を模索して次々と統治形態を変更していくことこそが、統治形態の正統性確保に役立つとも言えそうです。

「ゆ」さんの議論を拝見していると、プリコミットメント論、すなわち、立憲主義とは民主主義を抑制する消極的な機能を営むものではなく、立憲主義こそが民主主義を可能にする積極的な機能を営むものである。
民主主義が安定する以上、立憲主義は多数決主義として理解される民主主義と矛盾するものではない、という理解と、相当親和性があるように思います。
そして、「ゆ」さんにおいて民主主義は、自己拘束、つまり生者による無制約の多数決主義を認めない、立憲主義を内在させたものとして理解されていると拝見しました。
しかし日本国憲法の解釈として、そのような民主主義理解は必然でしょうか。

本件で言えば、「国会(制度)は国民に信頼されるものでなければならない」という前提が、「だから、より国民に信頼される国会(制度)を目指して、どんどん改革していこう」という主張ではなく、「真に国民に信頼される国会とは、制度がそれほど頻繁には変わらない国会であるはずだ。だから、今得られている国民からの信頼の程度で、憲法が要請する民主的正統性は十分確保されていると考え、あまり国会(制度)を改革するのはやめておこう」という結論に結びつくのは、必然だろうか、ということです。
「今得られている国民からの信頼の程度で、憲法が要請する民主的正統性は十分確保されていると考え」る、という点に対しては、「ゆ」さんのお考えとは異なるかもしれません。
しかし、成人年齢維持の根拠として民主的正統性をもち出し、国会(制度)の変革を抑制しようというご理解を維持するためには、変革が抑制された、現在の国会(制度)への国民の信頼の程度が、日本国憲法の要請する民主的正統性を十分満たすものである、という命題を前提としなければ、維持できないものと思われます。


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