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詩・歌・管・弦 part 2
94
:
千手★
:2007/10/07(日) 08:05:06
>>93
>その当時(あるいは現在)の「私」が鬱であった(鬱である)と確定できますか。
ずいぶん勘違いをされているようです。
佐藤さんのこととするのは失礼だから、私が誰かから「鬱病だ」と言われたとした場合のことを想定してみただけのことです。
私が「鬱」でないからかもしれませんが、私が誰かから「お前は鬱だ」と言われたら、私はそれを非常に鬱陶しいことだと感じるでしょう。
これは二人称の相手に対して感じる鬱陶しさです。
もしpentaさんの説くように、
>>91
>私の考えでは、鬱病は三人称的な一般論を生きることであり、遠方の第三者の視線を恐怖することです。
が「鬱病」の真相を衝いているとしたら、この「定義」は鬱病者が自分を鬱病と認識するのに役立つと思います。
それゆえそれは充分一人称的だと思います。
ですがそういう世界は、はたからみて非常に鬱陶しい世界です。自分の人生に踏み出していないようにみえるからです。
結局「鬱病」とは、「おれはだめだ」と世間の中で考えることなのでしょうか。
それなら中島みゆきの「エレーン」の世界とはずいぶん異なっているでしょう。
むしろ石川啄木の作品の主調ではないかと思います。
ニーチェが記述するルサンチマンの生理状態(『この人を見よ』)とも関連しそうです。
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