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詩・歌・管・弦 part 2

55千手★:2007/08/06(月) 01:36:15
>>37-54 の纏めをしておきます

シュトックハウゼンの「創造的エクスタシー」
<img src ="http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/588/19/N000/000/000/SeyaSigeharuKokeshiMini.jpg&quot; alt="瀬谷こけし">
「七つの日より」と題された文章の中でシュトックハウゼンはこう言います。
"Musikalische Meditation ist keine Gef&uuml;hlsduselei, sondern &Uuml;berwachheit und --- in den lichtesten Momenten --- sch&ouml;pferische Ekstase."
(Karkheinz Stockhausen, "AUS DEN SIEBEN TAGEN",Texte zur Musik 1963-1970, Verlag M.DuMont Schauberg, S.125)
「音楽的メディテーションとは、感情的なたわごとではなく、超覚醒であり、そして---最も輝かしい諸モメント(諸瞬間)においては---創造的なエクスタシーなのである。」(拙訳)

この「創造的エクスタシー」がシュトックハウゼンに直観音楽にはあり、
それが彼の音楽の類を絶した魅力であることであることに同感できるなら、
その直観音楽は、
ベルグソン的な(「継続」と「異質性の湧出」からなるものとしての)「持続」の、
「現在における異質性の湧出」のところの、
絶対的異質性の湧出を、現実に形あるものとして見せてくれる、ものであり、
それは創造的な瞬間であるという、
そのような見通しをもって、ベルグソン=篠原理論は読んでゆけるだろう、と思います。
(篠原資明『ベルグソン』(岩波新書1040)p.26参照)

こういう問いが出せるのでしょう。
シュトックハウゼンの言う
創造的エクスタシーにおいて生じる絶対的な新しさは、どんなリズム的分節も絶したものなのか?

YES、と答えたい気がします。

それを「無限に」(『七つの日より』の中の)は語っている!
「自分は好きなだけ多くの時間と空間をもっている」という確信をもって弾かれる一つの音は、分子のリズム、原子のリズムを越えた
新しい端緒を開きうるはずです。新しい端緒を開くこと、それが創造的エクスタシーであるはずです。

「無限に」(UNBEGRENZT)は次のような指示による曲です。

UNBRGRENZT

Spiele einen Ton
mit der Gewissheit
dass Du beliebig viel Zeit und Raum hast

無限に

音を一つ弾け
好きなだけ多くの時間と空間をもっているという
確信をもって
(拙訳)

シュトックハウゼンの直観音楽、『七つの日より』という曲の本質は
この「無限に」の曲に極まるでしょう。
創造的エクスタシーを端的に語る言葉でしょう。
これが曲の指示です。


*注
「リズム的分節」:『七つの日より』の中の「上に向かって」「下に向かって」等を参照してください。そこに区別されるべきいろいろなリズムの差異が示されています。


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