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哲学的・雑談的 3

71千手:2008/02/24(日) 00:18:44
Tout autre n'est pas tout autre. 
すべての他者がまったき他者なわけではない。
この定式をジャック・デリダ(Jacques Derrida)とその追従者たちに提示したい。
デリダが提示した"tout autre est tout autre"(すべての他者は/まったき他者は、まったき他者だ/すべての他者だ)という定式を批判するためである(デリダ『死を与える』III)。

デリダはこの定式によって、息子イサクを殺そうとするアブラハムの状態を、万人がおかれているきわめてありふれた日常的な状態として提示したのである。デリダは、キルケゴールとレヴィナスを同時に標的にし、両者がともに、信仰と倫理とを分かつ境界を提示し得ないことを示したのであるが、しかしそれによってすべての人間(や生物)を「数量」として把握する思考に落ち込んでしまうのである。というのもすべての他者(すべての人間、すべての生物)がまったき他者であるならば、他者を把握するためには数量的な原理以外のものが不要になるだろうからだ。しかし、ニーチェが語るように、本質的に重要なものは「質」にあるのであり、「質的な差異」にあるのである。

わたしが開こうとしているのは、きわめてありふれた世界観に他ならない。しかしこの世界観は、アブラハム以前の、つまり三大一神教の誕生以前の思考と生活の地平を開くのではないだろうか。ともあれもういちど称えてみよう。
"Tout autre n'est pas tout autre." 
「すべての他者がまったき他者なわけではない」


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