Tout autre n'est pas tout autre.
すべての他者がまったき他者なわけではない。
この定式をジャック・デリダ(Jacques Derrida)とその追従者たちに提示したい。
デリダが提示した"tout autre est tout autre"(すべての他者は/まったき他者は、まったき他者だ/すべての他者だ)という定式を批判するためである(デリダ『死を与える』III)。
わたしが開こうとしているのは、きわめてありふれた世界観に他ならない。しかしこの世界観は、アブラハム以前の、つまり三大一神教の誕生以前の思考と生活の地平を開くのではないだろうか。ともあれもういちど称えてみよう。
"Tout autre n'est pas tout autre."
「すべての他者がまったき他者なわけではない」