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哲学的・雑談的 3

62ほかいびと★:2007/12/04(火) 01:09:52

『▲5▼ 「国際交流」について考える』 のスレッドの7から抜粋いたします。

>『ツァラトゥストラはこう言った』の序説の2でニーチェがツァラトゥストラについて、
>>彼は変身した (aber er hat sich verwandelt)とか
>>ツァラトゥストラは子どもになった (zum Kind ward Zarathustra)
>とか言うとき、ここにはたしかに「ある交流が成立した」ということが含意されているだろう。
>ツァラトゥストラの交流とは、太陽との交流であり、それ以外ではなく、
>従って彼の変身や生成は太陽への変身、太陽への生成以外のことではない。
>例えば「リゾーム」の中で、ドゥルーズ&ガタリが生成のことを語るときにも、
>その源にはこのツァラトゥストラの変身、子どもへの生成があるように思えるのだが。どうだろうか?

手塚富雄訳の「ツァラトゥストラ」(中央公論社版)を
小児がはじめて登場するところまで読み、
なぜか宮澤賢治や岡本太郎のことふと思い浮びました。
この本では子供を小児と訳してました。

獅子は鬼神に、
小児は人間と反対のことをするという
餓鬼に似てる部分があるようにおもいます。

リゾームを出されたのは無造作で自由気ままに増殖する
精神活動が野放し状態にあるということかなと理解しました。

青年→少年→幼年と辿るほど
自由で豊かな情念を普段から抱いてるのであり
そこに気付き、意識化し、現実の社会へ
芸術でも科学でも技術面でもよいから
成果を具現して周りの人々を脅かせ続けることが
大事なんでしょう。
そんなこと、おもいました。


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