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哲学的・雑談的 3

61千手★:2007/11/03(土) 13:08:54
わたしのブログにも出しているものなのですが、きちんと検討をしてゆきたいのでここにも出します。
ご検討いただければ幸いです。
http://25237720.at.webry.info/200710/article_16.html

ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲している

『ツァラトゥストラはこう言った』の序説の1の最後に、こんな言葉があった。

 ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲している。(氷上英廣訳、岩波文庫を参照して拙訳。以下同じ。) (S. 12, Zn. 8-9)

今まで気に留めていなかったのだが、容易ではない言葉だ。なぜなら「ふたたび人間になろうと欲している」のなら、この時彼は「人間ではない」ことになるだろうからだ。では、「人間ではない」としたら彼は「何者」なのだ?

 この言葉は、ツァラトゥストラが山を下りようとする時に出てくる言葉だ。そして語りかけている相手は太陽だ。

  見てください! この杯(さかずき)はふたたび空(から)になろうと欲している。ツァラトゥストラはふたたび人間になろうと欲してい
る。 (S. 12, Zn. 8-9)

「この杯」(dieser Becher)とはツァラトゥストラ自身のことだ。その杯にはツァラトゥストラがあなたと呼ぶ太陽のこの上ないよろこび(deine Wonne)が満ちみちているのだ。

  あふれ出ようとしているこの杯を祝福してください。その水が金色にかがやいてそこから流れだし、いたるところにあなたのよろこびの反映を運んで行くように! (S. 12 Zn. 5-7)

 この杯の比喩はリヒャルト・シュトラウスの『献呈』(Zueignung)(作品10-1、詩はギルム(Hermann von Gilm))を思い出させるところがあるが、ここでは杯を満たしてくれるのは「女性」ではなく、「太陽」そのものなのだ。ツァラトゥストラはこの時まで十年間、太陽からその「溢れこぼれるもの」(Überfluss)を受け取ってきたのだ。そのツァラトゥストラが、今やみずから「溢れこぼれ」(überfliessen)ようと欲しているのだ。キーワードは「溢れこぼれるもの」「過剰・過多・豊富」である。ツァラトゥストラは山にあって太陽の溢れこぼれる豊かさを受け取っていた時、「人間」ではなかった。名づければ「太陽の過剰な豊かさを受け取る者」だった。そうしてみずからも蜜を集めすぎた蜜蜂のように、溢れこぼれる豊かさに苦しむ者になった。彼の場合その溢れこぼれるものは「知恵」(Weisheit)と呼ばれる。「知恵」が溢れこぼれるもののツァラトゥストラ的な形である。そしてその「知恵」をいたるところに流れさせることによって、彼は太陽の「この上ないよろこび」を運び伝えてゆくのだ。「あなたのよろこびの反映」の「反映」(Abglanz)、それは流れる水とともにかがやく金色の光なのだが、それは、ツァラトゥストラが太陽から受け取った豊かさのツァラトゥストラ的な形としての「知恵」のことなのだ。ツァラトゥストラの「知恵」は溢れ流れながら金色にかがやくものを伝え与えて行くものなのである。
 であればこう言えるであろう。ツァラトゥストラのあふれる「知恵」の金色のかがやきを受け取る者、その者も人間ではないと。
 われわれはきっと、贈与のニーチェ的な思索の本質に迫ろうとしているのである。


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