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哲学的・雑談的 3

189千手:2008/12/09(火) 03:40:22
『正法眼蔵』の「無情説法」を私のように、法華経の根本主張が残している問題への解答として読み取ることが既になされているのかどうかを私は知らない。
或いは当り前のことかもしれず、また道元の専門学者からは問題にもされないことかもしれない。
誰か問うた事のある問題提起であり、解釈なのだろうか?
『正法眼蔵』を『法華経』から解釈するということは、あるいは『法華経』が残している問題に道元がどう取組んでいるかを考えるということは、日本仏教史の研究が当然しなければならない研究のはずなのだが。
 まあ、私も辻さんの本を読んでから言うべきなのだが、まずは最近発見したことを書きとどめておくことにしよう。


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