(つづき)
今やわたしの解釈を示さなければならない。わたしの解釈は氷上訳をさらに進めることによって導かれてくるものだが、それは、「この書を読むことによって、この書にふさわしい人が生まれてくる」ということを願って付けられた添辞だろう、ということだ。とすると読者はどこにいるのだろうか。まさにこの"und"(「と」、英語の"and"に相当)のところにである。ひとは、読者は、この「万人」("Alle")と「無人」("Keinen")の丁度中間にあり、同時に「万人」であり「無人」であるのである。ひとは生成の中に置かれる。
この拙論の読者はジル・ドゥルーズが純粋な生成を性格づけるために語る「同時に二方向」("deux sens à la fois")という定式を思い出すかもしれない。ニーチェの"für Alle und Keinen"という定式をきちんと考えようとすれば、ひとはこのドゥルーズの定式に達するのである(だから"und"を「、」で区切る訳は誤りなのだ)。
ニーチェの「添辞(副題)」を訳してみよう、「万人であり同時に何者でもない者のための書」。「生成する者のための書」と訳してもいいかもしれない。こう訳せば立派な副題である。『ツァラトゥストラ』を読む人は、この「生成する者のための書」という副題の主旨を最後まで忘れないでほしい。