ツァラ・ゼミを再開する。こういう仕事もついでの時間がないとできないのだが、さいわい京都造形芸術大学で「ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読む」という授業をさせてもらえることになったので、これを機会に『ツァラトゥストラ』の読解を進めさせてもらう。授業は日本語訳を出発点にして読み進めてゆくのだが、それでも当然内容をきちんと検討するためにはドイツ語の原文に戻って点検しなければならない。このブログでは、前と同じように、論を進めてゆく。日本語がわかれば論旨は理解ができるようにするが、その論証の正しさを理解してもらうためにはところどころドイツ語の理解を必要とする、といったところだ。この授業を機会に、手塚富雄訳(中公クラシックスw17)を手に入れたので、叩き台にするものが増えた。しかし日本語訳の出発点にするのは、今回も同じく氷上英廣訳、岩波文庫の『ツァラトゥストラはこう言った』である。まずは「序説」を最後までやりたいと思っているが、いろいろな都合でどうなるかわからない。先のシリーズでは授業では説明したが、説明がかなりやっかいなところは幾つか飛ばした。今回はそういうところを補えればいいのだが。その余裕があるかどうかは、まあ、やってみなければわからないことだ。まずは4月15日の授業で考えた、巻頭の、"Also sprach Zarahtustra."というタイトルの下につけられた"Ein Buch für Alle und Keinen"という添辞について述べてみよう。