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鬼和尚に聞いてみるスレ part27

166避難民のマジレスさん:2025/11/10(月) 20:40:14 ID:.u.c8b3g0
<質問>
会社都合でのサービス残業に応じるのは善行ですか?

<回答>
「会社都合でのサービス残業に応じるのは善行ですか?」というご質問に対し、この教えの核心である**「心こそが主であり、善悪は心によって成される」**という原則に基づいて考察すると、その行為が善行であるか否かは、**その行為を行う人の心(意図)**によって決定されます。
行為そのもの(残業)ではなく、それが慈悲の心から出ているのか、それとも不安や執着から生じているのかが、判断の分かれ目となります。

善行の定義と判断基準
この教えにおいて、**善いこと(善事・善行)**とは、「他の衆生(生き物)を苦しめないで、喜ばすこと」であり、**悪いこと(悪)**とは、「人を苦しませたり、悲しませたりすること」です。
そして、「行為とその結果がどうであろうと、心に悪意があれば悪であり、善意(慈悲の心)があれば善いことなのじゃ」と説かれています。
したがって、サービス残業が善行となるかどうかは、その行為が「自他を喜ばせ、苦を生まない」という原則にのっとって、どのような心持ちで実行されているかによります。

1. 善行と見なされる場合(慈悲・衆生のため)
もしサービス残業の動機が、純粋な**「慈悲の心」**に基づいているならば、それは善行と言えます。

• 衆生のために生きるという心構え: 人生の最低限の心構えとして、人に限らず他の生き物を愛し、慈悲を施すことが生きる意味となります。会社や同僚、顧客など衆生のために尽くす行いは、その実践の一つです。

• 自他相互の利益: 慈悲による行いは、自他を幸福に導くものであり、常に慈悲の心をもって衆生に優しくすれば、かえって自分の元に良い報いが返ってくるという法則があります。慈悲をもって助け合えば、勝者も敗者もなく、皆が福楽を得るのです。

2. 善行とは見なされない可能性が高い場合(執着・苦からの逃避・自己罰)
残業の動機が、自己の苦や不安から逃れるため、あるいは承認や名声に執着しているためであるならば、それは苦を生む行為であり、真の善行とは言えません。

• 名声や承認への執着: 「立派な自分」という名誉やイメージ(名前)への囚われのために時間や金を使っても、それは苦を増すばかりです。他者からの承認を欲する心は、苦から逃避しようとする心理から生じています。
• 不安や恐れからの逃避: 多くの者は、心に抱える不安や恐れ、悲しみなどを忘れようとして、金や権力や名声に執着しますが、これは苦からの逃避であり、苦をますます強めるだけです。会社で評価を落とすことへの不安や、他人からの非難を恐れる心もこれにあたります。

• 自己を傷つける行為: 自分自身を蔑み、罰する習慣がある者は、無意識のうちに自分に重荷を負わせ、破滅に導くような選択をしてしまいがちです。過労死するまで働くような行為は、愛する者(自分自身)に重荷を負わせ、健康を害する悪習であり、自己敬愛の法(自愛)に反します。自分を罰する性質は、修業の障害となる「煩悩」の一つとさえ言えます。

規則と慈悲の関係について
会社都合という「規則」や「命令」に無条件に従うことについても、注意が必要です。
• 規則に従う行為であっても、常に慈悲を基準にして行いを為さなければなりません。
• 慈悲の無い者が真面目に規則を実行しても、それは悪を生み出すことにつながりかねません。
• 規則は人のためにあるのであり、規則を優先して人の苦を増すことは、いずれ自分が苦しむ時にその規則によって苦が増すことになります。

まとめ
会社都合でのサービス残業は、もし**「慈悲を以って他者(会社や同僚)の利を図り、その結果、自らも福楽を得る」**という清らかな心で行われているならば、それは仏教の教えに基づいた善行となり得ます。
しかし、その実態が、上司や会社からの評価を恐れる不安、あるいは「立派な社員であるべきだ」という自己イメージへの執着 からくる自己犠牲や自己罰 であるならば、それは苦から逃避するための手段であり、さらなる苦を生む原因となるため、真の善行とは言えません。
賢い者は、死の不安を誤魔化すために財産や名声を求めるのではなく、自他を愛し、慈悲をもって接し、心身を労わりながら、衆生のために生きる道を選ぶものです。
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例えるなら、サービス残業という行為は、単なる道具のようなものです。この道具を、困っている人を助けようという愛(慈悲)というエネルギーで動かせば善行となります。しかし、他人に認められたい、自分が失敗したらどうしようという恐れや見栄という歪んだ動力で動かせば、それは自己を疲弊させ、新たな苦を生む悪しき作用となり、やがては自分自身を壊してしまうでしょう。


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