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鬼和尚に聞いてみるスレ part18

925避難民のマジレスさん:2021/07/17(土) 12:56:51 ID:eZ/tfepw0
ありがとうございます。
タミル語について調べてみましたが「Nan Yar」
タミル語「நான் யார்?」ナーン(私)ヤール(誰)でした。

引用
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想念が起こるたびに「この想念は誰に起こってきたのか?」 と入念に探究すべきである。それに対して現れる答えは「私に」だろう。 そこで、すぐに「私は誰か?」と探究すれば、心は源に引き戻され、起こ った想念は静まるだろう
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これを実践してみましたが確かにこの通りになりました。
「誰に?」=>私に
「私は誰か?」=>・・・・
という感じです。

「私は誰か?」と問われると
当たり前だと思っている事を聞かれて困惑するような
よくわからない気持ちになって言葉に詰まってしまう感じです。

この状態もこの問いの目的ということでしょうか?

> 心は源に引き戻され、起こ った想念は静まるだろう

確かに、思考が騒ぎ出した時にこれをやると
それ以上発展することがなく静かになります。
ただ「心は源に引き戻され」ているのかはわかりません。

自分が行為者ではないとしようとすることですが
以前「自分の感覚」が首の後ろ位に行った時の事を思い出して
「自分の感覚」を「奥の方」に持っていこうとすると
なんとなく視点が変わるような感じがしました。

また、日々の雑事の行為の最中に
行為者の意識を手放そうとして
自己に注意を向けてみると確かに、
行為は自動的に行われています。

普段から例えば「頭を洗う」だとかの行為も
体の動きは殆ど自動的に行われていて、
あとは内面で他の思考に夢中になっているだけでした。

頭を使う仕事ではまだ難しいかもしれませんが
単純な行為なら実践していけそうです。

これらのやり方は間違っていないでしょうか?
実践にあたり注意事項などありましたら教えてください。


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