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鬼和尚に聞いてみるスレ part12

863鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/12/07(金) 22:27:03 ID:1d4drIFg0
>>853 よかったのじゃ。
 日本なのじゃ。
 同じような者の元に生まれるのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>854 それもよいのじゃ。
 欲するものから離れる離欲なのじゃ。
 実践在るのみなのじゃ。

>>855 そのような理解で善いのじゃ。
 それはアートマンなのじゃ。
 認識できない認識の主体なのじゃ。
 アナートマンはそれに至る法なのじゃ。
 全てを非として捉えれば最後にはアートマンに至るのじゃ。

>>856 やってよいのじゃ。
 わしにはそのようなものはなかったのじゃ。
 死によって全て無効となるとわかっていたからのう。
 実践あるのみなのじゃ。

>>857 そのようなことはないのじゃ。
 善事をしていれば環境がよくなるのじゃ。
 そうしたくなければ悟るための修行をしたらよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>858 ならないのじゃ。
 数字で割り切れるものではないからのう。
 もっと疑って善いのじゃ。
 それはおぬしが未だ悟りの道を行く気が無いからなのじゃ。
 曹洞宗や臨済宗でもわが法門でこれまで何人悟ったなどという宣伝はしていないのじゃ。
 法で悟れるという保障はどこにもないからなのじゃ。
 どんな法も何の保障も証明もなされないのじゃ。
 本人のやる気だけが大事であるからのう。
 例えわしの教えた法で千人万人悟ったとしてもおぬし一人が怠慢で悟れなければ何の意味もないのじゃ。
  
 お釈迦様はそのようなことは言っていないのじゃ。
 後世に数えたものなのじゃ。
 例えばビルの火事で焼け死ぬ寸前の者にはしごが渡されたとして、そのはしごで何人助かったのかわからなければ渡れないとか言う者が居たらかなり顛倒している者と誰にでもわかるじゃろう。
 まともな者ならばとりあえず縋ってみて助かれば本物と分かるのじゃ。
 老病死の苦に焼かれる衆生に救いの法が示されたならば先ずは実践してみることが証明になるのじゃ。
 お釈迦様も賢者は舌が汁の味を知るように少しの教えでも直ぐ分かるものじゃと言っているのじゃ。
 直ぐに悟りは得られなくとも実践して苦を滅したり、心が鎮まることを知れば本物と分かるのじゃ。

>>859 おぬしは悟りというものを根本的に勘違いしているようじゃ。
  昔お釈迦様のもとにある比丘が、他の一人の比丘が怠けて困るとかクレームをつけたのじゃ。
 お釈迦様がその比丘を呼び出して聞いて見ると、わしは勤めを果たしていると言ったのじゃ。
 それでお釈迦様はその比丘が悟っているとわかったのじゃ。
 法は宣伝するものではなく、悟りは報告したり、数えたりするものではないのじゃ。
 おぬしはもっと何人も悟らせたと宣伝している偽グルのもとにいくとよいのじゃ。
 そうすれば真実をしることもできるじゃろう。


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