したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚に聞いてみるスレ part12

681避難民のマジレスさん:2018/11/18(日) 15:48:21 ID:PnLtVjMA0
>>672

667です。ということは観察というのは
「全体的に観てみよう」、「部分的に観てみよう」、「今度はこっちの角度から観てみよう」
「視覚じゃなく感覚を感じてみよう」
というように自由におこなっていいものである、ということですか?

それから、以前、いつだったかはっきり覚えてないんですが、自分の場合、快楽への衝動が
湧いてきてその衝動に屈して欲望を満たしてしまった場合、罪悪感に陥ってしまうのだが
どうすればいいか、というようなことを鬼和尚に相談した際、

欲が湧いてきてそれを満たそうとしているなら欲を
満たそうとしている自分を観察するのじゃ、満たしたら満たしたと、
満たさなかったなら満たさなかったと観察するのじゃ、

みたいな答え(一字一句合っているわけじゃないと思いますが)をいただいたんですが、
鬼和尚の「観察する」という言葉の用い方がよくわからなくなりまして、、

どういうことかというと、
仮に、苦を生んでいる観念があるとして、それを何で思いこんでいるのか、
どうやって生じたのか、と内側を観るように掘り下げていって
「あ、こういうことだからこの観念が生じたのか!」というような気づきと共に
その観念が手放される(厭離が起こる)

という一連の流れにおける「厭離を引き起こすもの」として「観察」という言葉
が使われているのだと私は思っているのですが、

それとは別に、
欲を満たしたなら満たしたと、満たさなかったなら満たさなかったと、満たして
罪悪感を感じたならそう感じたと観察するのじゃ

みたいな回答における鬼和尚の「観察する」という言葉は、その一連の行動をひこ起こしている
原因を一回一回根っこの部分まで探れ、というものじゃなく、ただその一連の行動というか反応を
「ただ眺め見ていろ(その一連の行動をひこ起こしている観念がその時点において原因レベルで厭離されなくても)」
とおっしゃっているように感じたのですが、鬼和尚は「観察する」という言葉を
思考観察(流れる雲を見るように思考を眺め見る)という意味でも用いているケースがあるのでしょうか?

基本的には原因の観念を厭離させるものとして「観察する」という言葉を用いられている
のだとは思うのですが、例え原因が厭離されなくても反応や思考を眺める、という意味でも
「観察する」という言葉が用いられているのかわからなくなって質問しました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板