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鬼和尚に聞いてみるスレ part12

651避難民のマジレスさん:2018/11/15(木) 00:20:50 ID:PnLtVjMA0
>>648

645です。

「赤い電灯が全てのものを赤い光で染めるのとおなじなのじゃ。」

という鬼和尚の言葉の意味は、

「知識」という大きなカテゴリーそのものを「自分のものだ」
と思い込んでしまうと「知識」という大きなカテゴリー全体を構成している無数の
細かな知識へも「自分の知識だ」というように影響が及んでしまう。

という意味ですか?
そうであれば「知識を因として生じた自我」というものを厭離するためには
「知識は自分(の物)だ」、というたった一つの自己同一化の観念を観察して厭離すればよく、
無数の細かな観念について観察する必要はない、ということですか?

それから、もう一つ質問があります。質問内容が複雑なので前置きが長くなります、すいません。

最近、強烈な死の恐怖に突き動かされて「死の恐怖を消そう!」という衝動が起こり
肉体に対する同一化を解除しようとして、まずは胸を観察して「胸が自分だ」、
という観念を消そうとしたんです。
その際、観察するにあたり思考の介在を挟まずに胸を真剣にただ観たんです。

そしたら、胸の観察を始めて30秒後くらいに、胸のあたりにあった収縮感(自己感覚のようなもの)が、すぽーんと
抜けた感じになって、そしたら「いつものなじみの主体的な自己感覚」、「主体という感覚」が
薄くなって見るものすべてが3D映画のような、眼前に立体的にドーンと迫るような状態
になったんです。
そのあと、胸以外は未だ自己同一化していたので「自分が消される!!」という
恐怖が襲ってきて、なんやかんやでいつもの状態に戻ってしまった、という感じです。
このあと寝て、明日また起きたら恐怖がやってきても同一化の観念を完全に消すために
また再挑戦するつもりなんですが、

私が思うに真剣に観察した結果、もしかしたら胸の自我の厭離が起きたのかな(私個人的には
3Dのような体験は一瞥体験ですらなくて単なる意識状態の一時的な変化なんじゃないか、と勝手に思っています
、まだ肉体の死の恐怖が残存しているからです。)

しかし、確かに死の恐怖から突き動かされた私はその解決に向かおうとする
強い衝動と一緒に胸を真剣にただ観た結果、一部分であれ厭離は起こったのかなと思っています。

ここからが質問なんですが

さっき、太ももへの自己同一化を厭離しようと太ももを思考を一切介在させず、
ただ観ていたんです。しかし本当に「ただ見ている」だけでずーっと見てても
何も厭離が起こらず、胸を死の恐怖に突き動かされて、ただ観て厭離が起きた、
というスピーディーな感じもなく、ただ太ももを見ているだけになって
永遠に何も起こらないんじゃないか、という虚しい感覚になってしまいました。

私のやりかたがおかしいんでしょうか?観察する際は
・思考を挟まない
・ただ観る
・すぐ厭離が起こらなくてもできるだけ見続ける
ということを肝に銘じながらやっているんですが、何が間違っているんでしょうか、

猛烈な死の恐怖から解放されるには本気で観察するしか道が残されていない、というような強力な動機で
観察するかどうか、なんてこともしっかり厭離を起こすためには必要な要因である、なんてことも
あるんでしょうか?


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