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鬼和尚に聞いてみるスレ part12
254
:
避難民のマジレスさん
:2018/10/05(金) 12:33:03 ID:56j19/gs0
和尚さま
本当の慈悲と哀れみについて教えてください。
辛いニュースなどを聞いた時に、
どうか悩み苦しみがなくなりますように、と思うことがあるのですが、
私自身も辛い気持ちになってしまいます。
知り合いが病気になったと聞いた時も、
やはり慈悲の念を浮かべるものの辛い気持ちになります。
要は、
辛い話を聞いた → 自分も辛いから相手を哀れむ
というような感じになっているのですが、
自身が暗い気持ちになるのは、なにか間違ってるような気がしてなりません。
禅の話で、
虎に追われた人が崖まで追い詰められた時に、隣で咲いてる花を見て喜んだ。
という話があったと思うのですが、これは完全に、
虎に襲われた → 恐怖しないといけない
という習慣を抜けだしていると思います。
お聞きしたいのは次の三つで、
①同じように、辛い話を聞いた → 自分も辛い思いにならないといけない、というのは習慣でしかないのでしょうか?
②だとすると、辛い話を聞いた → 自分は花を見て喜んでいる、というのは薄情な気がするのですが、どう思われますか?
自分も辛い気持ちになって「苦しみがなくなりますように」と願うのは、ただの逃避だと思います。
自分は喜んでいるのに「苦しみがなくなりますように」と願うのは、対岸の火事を見てほっとしているだけのように思えます。
③であるなら、本当の慈悲や哀れみとは、どのようなものを言うのでしょうか。
ご教授いただければ幸いですm(__)m
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