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鬼和尚に聞いてみるスレ part5
742
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/30(木) 20:44:02 ID:arkQZP/20
>>740
人が真実に従う時、そこに苦は無く楽があるものじゃ。
例えば人が脳乱して重力の法則に従わなければ、高い所から落ちて苦しむじゃろう。
そのように自由な意思がない人間は楽になるための真実を知らないか、知っても従うことが出来ないのじゃ。
実際に既に苦しい環境に居ながら、他人や家族までも苦しめてますます苦しくなる人間は多いものじゃ。
そのように真実に従うことこそ自由な意志が無ければできないのじゃ。
743
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/31(金) 09:02:10 ID:Fr/mrHgM0
>>742
知っても従うことができない原因としてどんなことが考えられますか?
744
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/31(金) 16:21:42 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
過去に恐ろしいパニック障害の恐怖で苦しんだ経験が1ヶ月くらいあるのですが
かなりのトラウマになっていると思います。
このような恐ろしい経験の囚われを無くすいい方法を教えて頂けないでしょうか?
過去の経験を消そうと記憶を観ようとすると余計捕われてしまうかもしれません。
745
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/31(金) 21:14:13 ID:arkQZP/20
>>743
自己破滅願望とかいろいろあるじゃろう。
ギャンブルをしていれば破産するとわかっていながらやめられないのじゃ。
異性への執着などもストーカーになって逮捕されるとわかっていながらやめられないのじゃ。
自由意志を無くす原因はそのよう人によってさまざま在るじゃろう。
観察して気づくのじゃ。
>>744
それも原因があるからなったのじゃ。
経験は消さなくて良いのじゃ。消えるものでもないのじゃ。
観察によって反応がなくなれば良いのじゃ。
その反応を又恐れて見ないようにしているのが今の状態なのじゃ。
それを観察してみるのじゃ。
恐れがあれば映画を見ているつもりで、自分の身を離れて観察してみるのじゃ。
原因を追究し、その原因から反応が起こり、原因が無いときには反応が無い事を観察するのじゃ。
今はその反応が無いじゃろう。
原因が思い起こされていないからなのじゃ。
思い起こせば反応が出るじゃろう。
少しずつでも観察していけばやがてその反応が消えるのじゃ。
746
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/31(金) 21:34:37 ID:V7QCtwwo0
>>745
ありがとうございます
思い起こされて余計執着が増さないか不安ですが、やってみようと思います
経験が原因なのでかなり沢山原因があるかもしれません
747
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/31(金) 22:54:03 ID:Fr/mrHgM0
>>745
ギャンブルをやめられる人とやめられない人の違いはどこにあるんですか?
なぜ自由意思が働かなくなってしまうほどに執着してしまうんでしょうか?
やめられる人はなぜやめられるんでしょうか?
本当にそれは自由意思なんですか?
こうして話を訊いていると本当は自由意思なんてないんじゃないかという気がしてきました
748
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/01(土) 21:13:16 ID:arkQZP/20
>>746
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>747
本当にやめようと思えばやめられるのじゃ。
本当にやめようと思っていないから執着してしまうのじゃ。
本当にやめようと思ったからなのじゃ。
意志は自由なのじゃ。
2パーセントはあるじゃろう。
749
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/02(日) 00:43:11 ID:Fr/mrHgM0
>>748
もっと身近な事でいえば朝起きなきゃいけない時間に起きるときに起こす気持ちのことでいいんでしょうか
750
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/02(日) 10:03:00 ID:w3pMYdIY0
和尚様の執着のない視点で、価値のある脳機能を順位づけて教えて下さい
751
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/02(日) 14:54:32 ID:fP2nC2Nc0
映画を見るように自分を観察するときのことですが、
映像的には三人称視点になるのでしょうか。
三人称視点で自分を見ることはどうすれば可能ですか?
752
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/02(日) 17:38:12 ID:tgFmSTDA0
先日鬼和尚さまから教えて頂いた肥田式強健術を行っていたところ、数日で気力が
漲ってきたのですが、副作用として胸のあたりが痛くなりました。腹式の深呼吸を
して胸筋の深部が硬くなったのかなと推察しています。
このダメージを和らげるためのストレッチやレスキュー法ががあれば、ご教授ください。
753
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/02(日) 21:28:20 ID:arkQZP/20
>>749
そのようなものじゃ。
おきようとしても直ぐ怠けて寝たくなったりするのじゃ。
やはり2パーセントぐらいなのじゃ。
>>750
①意志も必要なのじゃ。
②観察する機能じゃな。
③集中する機能も大事なのじゃ。
④思考と感情は同じ位じゃな。
⑥記憶は依存がなければ良いものじゃ。
>>751
そうじゃ、三人称になるのじゃ。
映画を見るように、自分の行いや感情を投射するのじゃ。
何度も行えば可能になるのじゃ。
補助に自分の録画とか写真などを見てイメージしてみるのも良いのじゃ。
日々行えばうまくなるじゃろう。
精進あるのみじゃ。
>>752
マッサージをするとよいのじゃ。
http://mododemo.blog.so-net.ne.jp/2013-09-21
このようなマッサージで簡単に治るのじゃ。
やってみるとよいのじゃ。
754
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/02(日) 22:59:37 ID:tgFmSTDA0
>>753
早速マッサージを試してみたいと思います。
ご教授ありがとうございました。
755
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/03(月) 01:18:00 ID:SFAw1WK20
自死はやはり来世にとってはいいことではないのでしょうか?
それとも理由如何によってよくも悪くもなるのでしょうか?
自己犠牲によって救われる他者がいる場合と単に自己欺瞞で自死する場合はやはり
違いますか?人間ではまず無いでしょうが何かの食料になるためとか。
安楽死すること、又は意思に基づいて安楽死させることはどうでしょう?
756
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/03(月) 17:27:50 ID:zEBi07yM0
阿羅漢にも色々な段階があると聞いたのですが具体的にどんな段階があるか教えてもらいませんか。
というのも、最近マハルシとクリシュナムルティの本を読んで、同じ大悟者であっても両者の間にかなり差を感じたので。
757
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/03(月) 19:09:22 ID:Fr/mrHgM0
>>753
なるほど
今までありがとうございました
758
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/03(月) 22:03:09 ID:arkQZP/20
>>754
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>755
そうじゃ、動機によって違うのじゃ。
他に苦から逃れる手段がないと思うような時は仕方がないじゃろう。
自己犠牲ならば良いことなのじゃ。
自己欺瞞ならば悪い事なのじゃ。
自分が他に手段がなく行うならばそれほど悪くもないじゃろう。
他人を楽にさせる動機で安楽死させるならば良いことにもなるじゃろう。
他に手段がない場合だけなのじゃ。
>>756
阿羅漢に至るまでには段階があるが、阿羅漢になれば同じなのじゃ。
目覚めても教えを説くまでの知識や経験から、語ることも違うのじゃ。
説く対象の人によっても違うのじゃ。
クリシュナムルティは西洋的な教育を受けて、主に西洋人に向けて説いたから今までのものとはかなり違うのじゃ。
>>757
どういたしまして、またおいでなさい。
759
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/04(火) 14:51:35 ID:c7QpE3sE0
>>758
他に取りうる手段がもうなく苦しみを終わらせる時は自己犠牲の自死も
安楽死することもさせることも善にもなるのですね。
ありがとうございます。
760
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/04(火) 20:44:32 ID:arkQZP/20
>>759
そうじゃ、動機によって同じ行いでも善悪の違いが起こるのじゃ。
慈悲によって行う事が善なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
761
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/04(火) 23:30:49 ID:fP2nC2Nc0
>>753
教えていただきありがとうございました。
762
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/05(水) 21:10:20 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんさ(´・(∀)・`)/
鬼和尚に占っていただいたとおり、大きな窓の会社に7月再就職し、現在しかられてばがりいます。
長くいれば良いことあると思うのです、仕事に集中します。
しばらく座禅はやめますが、そのぶんも仕事に集中します。
執着ではない集中を目指します。
763
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/05(水) 21:10:25 ID:arkQZP/20
>>761
どういたしまして、またおいでなさい。
764
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/05(水) 21:12:29 ID:arkQZP/20
>>762
良かったのじゃ。
新人はしかられるのが仕事のようなものじゃ。
中には自分のせいではないような事さえあるが忍耐なのじゃ。
やがてしかられないようになるじゃろう。
それまでがんばるのじゃ。
765
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/05(水) 21:40:46 ID:LC3de7YgO
>>764
(´(∀)`)/鬼和尚、ありがとうございます。
厳しさは、集中するためにはありがたいことでありますので、この機会に、仕事を通しどこまで集中力を高められるかチャレンジしたいと考えております。
仕事後のクールダウンのためのサワーを体か欲しなくなったら、瞑想を再開します。
766
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/06(木) 06:25:31 ID:T8pQSVd2o
鬼和尚は最近いつセックスしましたか?
767
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/06(木) 06:54:55 ID:OoO6MHAw0
どんな生き方をするのが一番ですか?生きている間に何をして過ごせばいいんでしょうか?ちなみに死後の世界とか魂のようなオカルトは信じていません
768
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/06(木) 12:37:54 ID:qYQvs9ck0
鬼和尚、
ダンマパダで
296 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に仏を念じている。
297 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に法を念じている。
298 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常にサンガ(修行者のつどい)を念じている。
299 ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。
とありますが、この「よく覚醒していて」と「念じている」の意味を解説して下さいますでしょうか?
実践しようとするのですが、具体的にどのような行動なのかがよく分かりません。
769
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/06(木) 20:47:20 ID:arkQZP/20
>>765
そうじゃ、がんばるのじゃ。
またおいでなさい。
>>766
もはや覚えてもいないのじゃ。
30年ぐらい昔かのう。
>>767
一番は悟りを求め、一切を捨てて修行に精進するのじゃ。
永遠の安楽が得られるじゃろう。
二番は善事をしながら苦を滅し、人に尽くして生きるのじゃ。
苦はなくなり、福楽が常にあるじゃろう。
三番は善事を行うのじゃ。
苦はあっても福楽は付き従うじゃろう。
>>768
今の言葉で言えばよく集中して、気づいているというような事なのじゃ。
常に注意しているとか、はっきり自覚して観察しているというようなものでもあるのじゃ。
日常でも常に観察して注意していれば、自我に気づく事も容易になるのじゃ。
770
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/06(木) 21:51:15 ID:LC3de7YgO
>>769
鬼和尚、ありがとうございます。
がんばりますo(´(ェ)`)o
771
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/06(木) 22:47:34 ID:CPT01Hp.0
鬼和尚そんなに歳いってるんですか
やはり悟ってもオナニーはすることはあるのですか?
772
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/07(金) 13:06:17 ID:zXulYfnQ0
>>769
ありがとうございます。
念は強く心に思うことではなく、気づいているとか自覚して観察しているというようなことなのですね。
要は仏や法やサンガや自分の身体の真相を観察して注意せよということでしょうか。
また、スッタニパータの彼岸に至る道の章で、下記のような文があるのですが、これも常に注意してはっきり自覚して観察するというような意味なのでしょうか? 特に1068句の解説をお願いします。
1066 師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」
1067 「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えましょう。」
1068 師は答えた、
「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、──それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。
773
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/07(金) 21:31:39 ID:arkQZP/20
>>770
そうじゃ、精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>771
そうじゃ、d@d@eukd@'>
もはや無なのじゃ。
>>772
そうじゃ、サティは気づきであるが、念と翻訳されるのじゃ。
気をつけるのじゃ。
その通りじゃ。
常に仏法僧や心身などに常に注意を向け、観察をするのじゃ。
そうすれば俗世間に染まらず、修行も進むのじゃ。
それも観察し、自覚すべき事なのじゃ。
認識の対象は全て執着すれば苦をもたらす故に、気をつけていなければいかんのじゃ。
そのようなことを説いているのじゃ。
774
:
龍昇
:2015/08/07(金) 22:42:27 ID:SAfdkZxI0
>
>>771
そうじゃ、d@d@eukd@'>
↓(かな入力)
>>771
そうじゃ、じじいなのじゃ。
775
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/08(土) 09:01:59 ID:fP2nC2Nc0
金剛般若経(中村元訳)の4番で、
求道者はものにとらわれて施しをしてはならない、
とありますが、同書の解題にあるように、利己的な動機で他者に施しをしてはならない、
という意味で正しいのでしょうか?
また、同経における「施し」とはどのような行為を指しているのでしょうか?
776
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/08(土) 10:39:50 ID:YWqLYYqo0
>>773
確かにお釈迦様は、経のあちこちで観察するようにと述べていますね。
おかげさまで経の理解が深まりました。ありがとうございました。
自我の起こりが観察できるよう、引き続き精進します。
777
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/08(土) 21:42:51 ID:arkQZP/20
>>774
そうじゃ、ごくろうさんじゃ。
じじいなのじゃ。
>>775
それは金剛経の特殊な方法であり、我とか個我の囚われを離れ、受ける者という囚われを離れ、
施すものという囚われをも離れて施すことなのじゃ。
そのように施せば大きな報いがあるというのじゃ。
さらに読み進めば明らかになるじゃろう。
全ての施しなのじゃ。
食物などの物でも、教えを与える事でも全てが布施となるのじゃ。
>>776
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
778
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/09(日) 08:22:26 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん地球全体の人が完全に悟り地ーん黙々したら不味いとブラ不満は思うのでしょうか?
まあ色々な夢が観られなく少しの悟ったひと位が満足なんですか?でも蛸足配線の夢は
私はだれ此処はどこと元を忘れているのですかでもある物はある無い者は無いか
779
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/09(日) 19:41:03 ID:Xu2JjkC.0
人が多い場所に入ると、
少しだけ喉と胸の当たりが絞まって固くなる、
刺激があって、感覚があって、体が反応する。
自動でおこるというか、反発を感じるというか。磁石の同じ極と極を合わせるような感じ。
こういうのが、縁起なのか?
この緊張が無くなれば、人生楽になると思うんだが、
家に帰って座禅を組んでも、自分の部屋だから刺激がなく、緊張も起こらない。
胸、喉の緊張を積極的に思い出してみて、
どのような考えが、その緊張を作ってるかを探るっていう方法は間違ってるか?
似たような質問を何回かしてるが失礼。おねがいします。
780
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/09(日) 21:00:32 ID:dGpDObYM0
>>778
そのような事は思っていないのじゃ。
多くの者が悟りを得られないのは本当は悟りを得たいと思っていないとか、恐れがあるからなのじゃ。
それもいずれ必ず死ぬという自分の状況がわかっていないからなのじゃ。
本当に死を超えた悟りが得たいと思うならば、直ぐにでも悟りを得られるのじゃ。
>>779
そのような反応が縁起なのじゃ。
それも原因がわかれば滅する事ができるじゃろう。
考えではなく記憶なのじゃ。
執着とか恐れとかの記憶が原因となるのじゃ。
よく観察して原因を探すのじゃ。
781
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/09(日) 22:32:57 ID:LC3de7YgO
>>780
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)/
>多くの者が悟りを得られないのは本当は悟りを得たいと思っていない・・・からなのじゃ。
それもいずれ必ず死ぬという自分の状況がわかっていないからなのじゃ。
「死」を真剣に意識することは、思いの外難しいです。
だいぶ以前「水垢離」等も、身体に死の危機感を感じさせることにより、眠っている生命力、脳の能力、火事場の馬鹿力みたいなものを発揮させる修行法であるという事を読み(「象気功」)、困り果てた時に試したことがあります。
これも、慣れると爽快感のある単なる健康法みたいになってしまいますが、
貧弱な想像力故に真剣に自己の「死」を思えぬものにとって、たとえ一時的にも身体に「死」を意識させるような、冬場の冷水浴びのような行為は、有効でありましょうか?
782
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/10(月) 01:04:27 ID:w3pMYdIY0
認識力が大人のまま子供と同じ目線で遊ぶってどんな感じなんですか?
783
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/10(月) 10:26:40 ID:HH3XytK.0
鬼和尚、
例えばダンマパダに、
144 鞭をあてられた良い馬のように勢いよく努め励めよ。信仰により、戒しめにより、はげみにより、精神統一により、真理を確かに知ることにより、知慧と行ないを完成した人々は、思念をこらし、この少なからぬ苦しみを除けよ。
のようにありますが、ここでの信仰は以下の辞書(デジタル大辞泉による)ものと異なるように思います。
1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。
2 特定の対象を絶対のものと信じて疑わないこと。
お釈迦様の説く、信仰と信じることについてお教えください。
784
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/10(月) 13:06:18 ID:fP2nC2Nc0
>>774
教えていただきありがとうございました。
ケチなので布施をする場面で苦が生じます。
その苦の状態を観察し、しかし結局布施しないというのは正しいでしょうか?
785
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/10(月) 20:21:50 ID:arkQZP/20
>>781
そのようなことも自分を知る役には立つじゃろう。
何でも試してみると良いのじゃ。
昔は死人を見て修行したというがのう。
今は無理であるから自分の身で試すしかないのじゃ。
>>782
楽しいじゃろう。
おぬしも楽しんでみると良いのじゃ。
忘れていた情熱が蘇るじゃろう。
>>783
お釈迦様は別の所で何ものも信じるなかれとも言っているのじゃ。
信じることなく、自ら止観によって確かめたる事で確立するのが信仰なのじゃ。
それは宗教よりむしろ科学の者が他人の言葉を鵜呑みにせず、実験や観察によって確かめる事に近いのじゃ。
そのようにして修行の道を行くならば、迷う事も惑わされる事もないのじゃ。
>>784
しなくてよいのじゃ。
自由なのじゃ。
金銭などを布施しなくともよい無財の七施というのもあるのじゃ。
わしのブログなどを参考にするのじゃ。
786
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/10(月) 21:05:26 ID:LC3de7YgO
>>785
鬼和尚、ありがとうございます(´・(ェ)・`)/
「死」は最大の「苦」であるはずなのに、それを思い描くことはつくづく難しいと思います。
鬼和尚が以前、 どうしても死を克服しなければならない事情があったので修行に真剣に取り組んだと言った趣旨のことを書いていらした記憶があるのですが、それって、具体的にはどんなことだったのでありますか?
787
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/11(火) 10:02:33 ID:HH3XytK.0
>>785
ありがとうございます。
何ものも信じるなかれというのは、下記のカーラーマ経「自ら確かめよ」でしょうか。
1. 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文(じゅもん)、神の啓示などに頼ってはいけない、
2. 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
3. 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
4. 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
5. 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
6. 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
7. 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
8. 自分の見方に(見(けん))に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
9. 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
10. 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、
(
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi12.html
より)
自ら止観によって確かめ、まことであるものをまことであると知るのですね。
お釈迦様は「疑いを滅ぼして汚れなしにおもむく(ダンマパタ295)」と説いています。
私の場合、例えば自我の成り立ちを全て観られたら無我になるというのは、サマーディなどの体験から
95%くらいは本当だと思っていますが、残り5%くらい疑いが残っているように思います。
それで、100%本当かどうか、自分でどうしても確かめたいという心の動きがあります。
このような場合、苦滅によってこの疑いを消して進んだほうが良いのか、それともこのまま進めて良いのか、
お教えください。
788
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/11(火) 10:49:38 ID:fP2nC2Nc0
>>785
ブログ拝見いたしました。
自分はモノのみならず心もケチだったと感得しました。
無財の七施から実践していきたいと思います。
ありがとうございました。
789
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/08/11(火) 19:52:04 ID:vD63OfvA0
鬼和尚
ダンマパダの
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」
ですが、悟ったら心はどうなるのでしょうか。
790
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/11(火) 21:20:14 ID:arkQZP/20
>>786
わしは子供の頃死にかけたのじゃ。
それ故に死に付いて考えるようになったのじゃ。
現世の活動も全て死によって絶たれるのじゃ。
死を超越しない限り生きていることも無意味と気づいたのじゃ。
おぬしも死について考えてみるのじゃ。
>>787
他にも在ったのじゃ。
経の名前は忘れたのじゃ。
それでもよいのじゃ。
疑いが修行の妨げになったら消すと良いのじゃ。
そうでなければ持ったままでも良いのじゃ。
何故ならば一旦、観照が起こったならば、もはや観念が邪魔になることもないからなのじゃ。
一瞬の気づきによってすぺてが変わるのであるからのう。
そのまま進んだら良いのじゃ。
>>788
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>789
全てが心であったと気づくのじゃ。
それでないものなどなかったとわかるのじゃ。
そうであるから心によって全ては作り出されるのじゃ。
791
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/12(水) 12:38:28 ID:Zcl18UUU0
>>790
ありがとうございます。
疑いが修行の妨げになったら消そうと思います。
ここのところずっと、自我の観照のために自分の観察に励んでいるのですが、進んでいるのか戻っているのか、妨げがあるのかないのか、よく分からなくなっています。
先日、苦が減っていると思っていたら、実際は修行が進んで苦が無い自分という偽りのイメージを持っていたことに気づきました。
自分自身に対してできるだけ正直でいたつもりが、苦滅の意志を起こすことを避けるために、苦を自分自身に隠していたと知り、驚きました。
他にも善を為す自分とか、不動心を身につけた自分とか、智慧がついてきた自分とかのイメージに囚われている可能性があります。
このような状況なのですが、何か修行のアドバイスをいただけますでしょうか。
792
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/12(水) 12:53:47 ID:B3W5kGZY0
鬼和尚さん
わたしも、
>>788
さんと同じく無財の七施、とくに眼施をしようと思います。
わたしは道を歩いているときや街を歩いているときなど、人や自転車を警戒しているので、目付きがあまり優しくありません。
それを直したいのですが、良い方法はありますか?
優しい眼差しというのは、どうすればできていると言えるでしょうか?
変な顔や目付きになっても良くないので、何かコツがあれば、ぜひ教えてください。
793
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/12(水) 21:04:13 ID:arkQZP/20
>>791
そのように自分の今の状態に気づく事があれば進んでいるのじゃ。
自分に気づく事を目指して止観があるのであるからのう。
正しい方向に進んでいるといえるのじゃ。
先を予測すれば不安は尽きないものじゃ。
今の自分を観る事に専念すれば不安もないのじゃ。
そして悟りも自ずから遣ってくるものじゃ。
自分の心を全て観察し尽くすことに専念するようにするのじゃ。
>>792
笑顔で見れば良いのじゃ。
笑顔の眼は人に癒しをもたらすものじゃ。
眼の下の筋肉に力を入れれば笑顔の目になるのじゃ。
鏡を見て研究すると良いのじゃ。
794
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/13(木) 01:43:08 ID:Own5k0sI0
酒、女はしないのですがタバコとパチンコがヤメられません。
パチンコは半端に勝つので余計ヤメられず煙草はやめても
ひと月が限界でした。
好きくらいならいいのでしょうが中毒、執着、依存にならないためには
どうすればいいでしょうか?
795
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/13(木) 09:42:49 ID:nRbSMXGI0
>>793
鬼和尚さん、ありがとうございます。
目の下に力を入れるのは、ちょっとまだ上手くできませんが、
鏡を見て研究してみます。
とにかくあまりむっとした顔にならないようにしてみます。
ありがとうございました。
796
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/13(木) 13:59:59 ID:pImkm.yg0
和尚さま
タイムマシンとか未来予知とかって、
理論上は可能と思われますか?
それともただの妄想概念でしょうか。
797
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/13(木) 21:17:52 ID:arkQZP/20
>>794
そのような習慣があるのは何か利益を得ているからなのじゃ。
不安が紛れるとか、何かから逃避しようとしているとかなのじや。
それをよく観察し、どのような原因でその習慣があるのか気づけばやめられるのじゃ。
それによって自分を知る事にもなるのじゃ。
心の中を観察し、原因を追究してみるのじゃ。
>>795
そうじゃ、実践してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>796
少しは出来るじゃろう。
しかし先の事は人の意志によって変化する故に、完全にはならないのじゃ。
それでよいのじゃ。
誰でも努力すれば悟りを得る可能性があるからのう。
798
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/14(金) 10:12:51 ID:LKt8X8Po0
>>797
決まった未来はないということですね。
ありがとうございました。
799
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/14(金) 10:35:29 ID:pImkm.yg0
和尚さま和尚さま
もうひとつ質問させてください。
例えば丁半の博打があるとして、
丁と張れば半になる。
半と張れば丁になる。
こりゃたまらんとなって、
丁を張りたいけど逆をいってくるから半だって感じで、
半に張ればしかし丁になる。
こんちくしょう。お金がなくなってしまったではないか。
意志と逆の張り方をしていれば今ごろホクホクだったのに。
まったく運がない。
というような場合があったとします。この時、
①場の流れと意志との波長がまったく合わないのは、何かしら別の意志によるためでしょうか。
②それともそんなものに関係なく、ただの偶然の産物にすぎないのでしょうか。
③そもそも、運がある、運がない、なんてもの自体が妄想概念なのでしょうか。
800
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/14(金) 17:57:28 ID:W9x6FqRY0
>>793
確かに今以外を思い、迷走していました。
できるだけ今の自分を観て、自分の心を全て観察し尽くすことに専念します。
アドバイスありがとうございました。
801
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/14(金) 21:58:49 ID:arkQZP/20
>>798
そうじゃ、今の実践によって未来は変わるのじゃ。
またおいでなさい。
>>799
① 別の意志ではないのじゃ。
おぬしの潜在意識が破滅を求めているとそのように賭けてしまうのじゃ。
② 偶然でもないのじゃ。
自らの隠された意志なのじゃ。
③ 自ら破滅を求めていれば運が無い自分の環境を作り出してしまうのじゃ。
それも観念ではあるがそのような自己イメージがあれば、ますます自分を破滅に向けてしまうのじゃ。
>>800
どういたしまして、またおいでなさい。
802
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/14(金) 23:29:26 ID:Xu2JjkC.0
いつも回答ありがとう
呼吸について質問がある。
自分はいつも、息を吐く時に腹を締めて、吸う時に緩める(凹ませて戻す感じ)。
人によっては緊張と弛緩が逆らしんだけど、鬼さんはどちら?
803
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/14(金) 23:40:27 ID:pImkm.yg0
>>801
和尚さま、ありがとうございます。
求めていた以上のお答えをいただき、とても感謝しております。
もう少し質問させてください。
(真理を求めている方々がいるような場所で、こういう俗世にまみれた相談をして申し訳ありません)
>おぬしの潜在意識が破滅を求めているとそのように賭けてしまうのじゃ。
賭け事に限らず、うまく行かなくなると
やることなすこと裏目に出るのはなんでだろうと不思議に思っておりました。
表面では「勝ちたい、取り返したい」と思っていても、
深いところでは「こんなの勝てるわけがない。このまま行けば破滅だろう。ああ、はやく楽になりたい」というような
意識を働かせてしまっているのかもしれませんね。
そして自分が負けているイメージを抱きながら賭ける。
そんなだから実際に負けたとき、ほらやっぱりイメージ通りだったじゃないかと確信してしまい、
さらに負のイメージを強化していくことになる。そうこうしているうちに裏目人間の出来上がりという感じでしょうか。
であるなら、
①例えば負けた時はスルーして勝った時は素直に喜ぶなど、今までとは逆のパターンを意識して行うことによって
潜在意識にあるイメージの書き換えも可能となってくるのでしょうか。
②書いていて思ったのですが、よくあるポジティブ思考で幸運をうんぬんという話は、つまるところこういうことなのでしょうか。
③そもそもなぜ、一個人の意識の持ち方ひとつで、ここまで違った環境を作りだしてしまうのでしょうか。
川の流れそのものが変わるのでしょうか。
それとも川の流れは一定で、自らが流れる場所を移動しているのでしょうか。
804
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/15(土) 20:56:17 ID:arkQZP/20
>>802
同じなのじゃ。
腹式呼吸なのじゃ。
胸式の者も居るじゃろう。
好きなようにして良いのじゃ。
>>803
① そのような方法では変わらないのじゃ。
言葉によるアファメーションとか、
密教などで行う神仏のイメージを自分のイメージと合一させる方法などで変わるのじゃ。
② そのようなものじゃ。
自分のイメージが良いと幸運を呼ぶ行いも自然に出来るのじゃ。
③ 流れは変わらないのじゃ。
見る物が変わるのじゃ。
良いイメージの者はチャンスを見ることが出来るが、悪いものは破滅のチャンスを見るのじゃ。
お釈迦様もものごとは全て心によって作り出されると言っているのじゃ。
自分の言葉とイメージが、自分の世界を作っているのじゃ。
805
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/16(日) 18:13:30 ID:pImkm.yg0
>>804
和尚さま、ありがとうございます。
コップ半分の水を見て、
半分しかないと思うか、半分もあると思うかの違いみたいなものですね。
前者は渇きを感じて後者は幸福を感じる。
確かに流れも変らず場所も変わらず。
見ている物が変わるのですね。
また自己イメージの大切さも勉強になりました。
ありがとうございました。
806
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/16(日) 20:48:15 ID:arkQZP/20
>>805
そうじゃ、運も自分が作り出すものじゃ。
またおいでなさい。
807
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/17(月) 00:56:05 ID:y96ppHCY0
>>797
>>794
そのような習慣があるのは何か利益を得ているからなのじゃ。
お答え有り難うございます。お礼が遅れました。
パチンコではなんとか微々たるものですが金銭という利益を得ています。
ですがもっとよく見てみると「やることがなくて暇だ」というのが一番
強いと思います。
ただ生きているだけでは充実感がなく心が虚ろなんだと感じました。
タバコは試しに1日やめてみましたがやはりそれが限界でした。
ストレス感じない程度に節度を守って吸うのがいいかなと思いました。
酒や女性には感じないんですけどねぇ。。好みの問題でしょうか?
808
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/17(月) 06:16:53 ID:fP2nC2Nc0
いつもご教授ありがとうございます。
例えば、電車で席をゆずるという施しをする際に、
1.席をゆずるという行動をしたいが為に、まずは自分の席を確保する
2.最初から席を確保することはしない
という2つの行動がある場合、人に喜びを与える、という観点から
1のほうがすぐれた功徳の積み方と言えますでしょうか?
809
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/17(月) 10:32:30 ID:WWQkaV3A0
>>808
そんなのは成り行きで良いのじゃ。
810
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/17(月) 10:38:41 ID:pImkm.yg0
和尚さま和尚さま
よく思考を止めればいい、と聞きますが、
意もまた六根のひとつであり、刺激に対して法というアウトプットを行うのであれば
見るつもりもないのに目が物を見てしまうのと同様に、思考を止めることは不可能ではないでしょうか。
止める、というのは、
例えば何かに集中しているときに話しかけられても気が付かない、
声は耳に届いているけど、音に対してのアウトプットを行わないというように、
呼吸や腹の凹みなど別のことに集中することによって、
意が受けた刺激を反応させないということなのでしょうか。
811
:
sage
:2015/08/17(月) 18:59:36 ID:QMm34KcU0
>>808
>席をゆずるという行動をしたいが為に、まずは自分の席を確保する
それは人に喜びを与えるのではなく、人を恐縮させるだけだから
「功徳」の正反対でしょう。「我」を強めるだけの愚かな態度です。
812
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/17(月) 20:47:24 ID:arkQZP/20
>>807
そうかもしれん。
暇だと思ったら何か別のことをしたら良いのじゃ。
瞑想とか、スポーツとか好きなことをするのじゃ。
それが習慣になればやめられるじゃろう。
実践してみるのじゃ。
>>808
同じなのじゃ。
どちらも席を譲るという行いをするものであるからのう。
行いで判断するのじゃ。
>>810
瞑想が深くなれば思考が止まる事もわかるじゃろう。
思考が止まっても意識はあるのじゃ。
反応もなくなるじゃろう。
もともと無かったものであるからのう。
813
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/17(月) 22:26:13 ID:fP2nC2Nc0
>>812
教えていただきありがとうございます。
では、通勤の満員電車で、
1.席に座りたいのに座らない。
2.座れることなら座って、落ち着いて自己観察をする。
の2つとではどちらが功徳を積むことになりますか?
814
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/08/18(火) 01:50:23 ID:8./NUO520
鬼和尚
肉体の感覚(視覚、聴覚、触覚など)についてですが、
無思考になぞらえて言うと、
無感覚というのはあり得るんでしょうか。
815
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/18(火) 11:43:47 ID:F9pNORl.0
鬼和尚いつもお疲れ様です
816
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/18(火) 13:59:44 ID:LKt8X8Po0
>>812
和尚さま、ありがとうございます。
意識と思考は別物なのですね。
明確な境界というのはあるのでしょうか。
例えば瞑想しているときに、ごーんと鐘がなったとした場合、
鐘の音が耳に届いて、
なんか複雑な回路をとおって、
これは鐘の音だと認識して、
それに関する記憶の妄想が始まるのですが、
どのあたりまでが意識なのでしょうか。
それとも、これらとはまた違ったものなのでしょうか。
817
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/18(火) 15:55:57 ID:WWQkaV3A0
細かいことはどうでもエエのじゃ。
818
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/18(火) 21:13:18 ID:wzaF4XgM0
鬼和尚、
金剛般若経の空観の実践についてお教えください。
例えば、
10.c … 如来は、『体、体、というがそんなものはない』と仰せられたからです。それだからこそ、<体>と言われるのです。
師よ、それは有でもなく、また、無でもないのです。それだからこそ、<体>と言われるのです。」
のようにあります。
鬼和尚が以前ブログの金剛経解説で、何度も繰り返せば認識の働きが止まる効果があると述べられていますが、
これは、金剛般若経を自分に説かれてることとして真剣に繰り返し読むということで良いのでしょうか?
あるいは、日常生活で実際にものを観た時に、例えば机を観たときには、「これは机ではない。それだからこそ、机と呼ばれる。」
などのように頭の中で繰り返し唱えるのでしょうか?
819
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/18(火) 21:29:06 ID:arkQZP/20
>>813
1じゃろう。
他人に座らせるために立っていれば功徳なのじゃ。
自分の修行は功徳のためではないのじゃ。
>>/814 出来るじゃろう。
目で見ても見えず、耳で聞いても聞こえない事も出来るじゃろう。
集中が深くなればそうなるのじゃ。
お釈迦様は瞑想中に隊商が横を通ったが何も見ず聞こえなかったというのじゃ。
>>815
おぬしもご苦労さんなのじゃ。
>>816
思考も意識の働きなのじゃ。
自我が無ければ真実を知るための能力として働くのじゃ。
全ては意識なのじゃ。
違いは無いのじゃ。
>>818
日常生活で実際にものを観た時に、行うのじゃ。
それが実践なのじゃ。
繰り返し行えば確かに効果は出るじゃろう。
経を何度も読むのも良いのじゃ。
助けになるじゃろう。
読む度に新しい発見があるじゃろう。
820
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/08/18(火) 23:10:02 ID:CA022eks0
鬼和尚
昔からよくある自分の行動パターンについて、なんでこうなっちゃうんだろうと思ってたんです。
先日その行動パターンが出た瞬間に、潜在意識とでも言うのでしょうか、それがチラッと垣間見えたんです。
それで分かったんですが「なっちゃう」のではないんですね。
自らそうなるように「している」んですね。
821
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/19(水) 02:42:57 ID:8dvcmnIA0
以前にも臨死体験と本当の死語についてお答えいただきました。
臨死体験で自分の体を上から見た、又は手術中の経過を見た、
屋根に普段ないはずの物があるのを見た、という報告で
実際に第三者が事実確認している事例もそこそこありますよね。
これはつまり現世においてまだ身体機能、脳機能が少なくてもあるためにいわゆる
すべてのことが見通せる状態、になっていたということでしょうか?
臨死中で自我の働きが失せたためお釈迦様が世間を見渡せたような境地と
同じことが起きていたのでしょうか?
完全に死に落ちると以前和尚様に教わったとおり深い夢の中で混沌とした
観察さえも大変な次元になると。
822
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/19(水) 10:38:00 ID:pImkm.yg0
>>819
和尚さま、ありがとうございます。
>自我が無ければ真実を知るための能力として働くのじゃ。
やはり自我をなくすことが全てなのですね。
その自我を無くことですが、座禅をしている最中に起こるものなのでしょうか?
よく、蛙が池に飛びこんだときの音や、小石が竹にあったときの音などで見性したという話は聞くのですが、
座禅の最中に起こったという話はあまり聞いたことありません。
であるなら、座禅における修行とは何を意味するのでしょうか。
それを起こすための下ごしらえのようなものなのでしょうか。
823
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/19(水) 12:57:31 ID:2xof5STw0
>>819
ありがとうございます。
日常生活で実際にものを観た時に、行うのですね。
このことについて、もう少し詳しくお教えください。
例えば机を見て、机という言葉が思い浮かんだ瞬間に、
「これは机ではない。それだからこそ机と言われる」
と、頭の中で、繰り返し唱えれば良いのでしょうか?
それで、頭の中に机という言葉とイメージが浮かばなくなれば成功ということですか?
824
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/19(水) 19:59:17 ID:VhAK0xtc0
ご教授いただきありがとうございました。
苦が修行の動機になるとすれば、
功徳を積み、来世によい環境に生まれた場合、
修業の道とは反対の方向に向かいませんか。
また、修行を積むことは、功徳を積むことにならないのでしょうか?
825
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/19(水) 20:02:31 ID:q3e6w7wk0
鬼和尚さん、また質問させてください。
ある人に嫌なことを言われて、嫌な気持ちになってしまったのですが、こういう場合の、苦の滅し方の適用の仕方を教えてください。
まず、原因を探ると、自分の存在を軽く見られた気持ちがすることと、
そんなことを言う人とは思っていなかったので、その人に対する失望感が、
嫌な気持ちになっている原因です。
これらの原因がなかった場合を想像するには、どうしたら良いのでしょうか?
その人がそんなことを言わなかったと想像すればいいのですか?
それとも、その人はそんなつもりではなかったと想像すればいいのですか?
いまいち苦を滅するのが上手く行かないので、教えてください。
826
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/19(水) 21:44:52 ID:arkQZP/20
>>820
そうじゃ、自分で仕向けているのじゃ。
そのようにして心は自分の環境を作っているのじゃ。
良い気づきなのじゃ。
>>821
肉体以外の意識の作用なのじゃ。
肉体はそれを記憶に照会して意味づけしているだけなのじゃ。
まだ自我はあるのじゃ。
無我によって起こる智慧とは違うものなのじゃ。
>>822
深い瞑想の最中に、サマーディにまで至れば自我を忘れるのじゃ。
離れて観察して自我が観念でしかないと気づけば、無我になるのじゃ。
通常の集中状態をヨーガではダーラナと呼ぶのじゃ。
それから深化して努力しなくても集中が続く状態をディヤーナというのじゃ。
禅はその音訳の省略したものなのじゃ。
更に深くなれば自我を忘れるサマーディに入るのじゃ。
その時、刺激があると自我は忘れられるものであり、観念であると気づくのじゃ。
>>823
そうじゃ、そのように実践するのじゃ。
何度も繰り返せば実際に効果はあるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
827
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/19(水) 21:50:29 ID:arkQZP/20
>>824
そのような事もあるじゃろう。
しかし、お釈迦様のように恵まれた環境でも老病死の苦はあると気づいて修行の道に入る事もあるのじゃ。
功徳は他人を喜ばせることから生じるのじゃ。
自分の修行は功徳はないが最も安楽に近づくものじゃ。
>>825
そのように感じるということは自分の心の中に他人への期待があったからなのじゃ。
その期待が無くとも嫌な気持ちになるのか、心の中にイメージしてみるのじゃ。
期待が無ければ嫌な気持ちになることもないと観察するのじゃ。
原因は常に自分の心の中にあるものじゃ。
心の中の執着が苦を起こすのじゃ。
828
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 08:18:23 ID:w3pMYdIY0
和尚様 殺意とは何ですか? 分類できる場合は分類して教えてください
829
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 09:31:03 ID:WWQkaV3A0
>>828
人を殺したいと思うことだ。
830
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 12:01:41 ID:w3pMYdIY0
アホか貴様 殺すぞ
831
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 12:15:16 ID:eF3dyhpk0
>>826
般若心経の空観では「空」としてのイメージを持ってしまい、実践がうまく行かなかったので
空観自体が自分には向かないかと思っていました。
しかし今回の金剛経の空観では、机が机で無くなる感覚が分かりました。
おかげさまで、観察に加えて空観も修行に取り入れられそうです。
金剛経も繰り返し読もうと思います。
ありがとうございました。
832
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 12:36:48 ID:pImkm.yg0
>>826
和尚さま、ありがとうございます。
少し確認させてください。
>深い瞑想の最中に、サマーディにまで至れば自我を忘れるのじゃ。
>離れて観察して自我が観念でしかないと気づけば、無我になるのじゃ。
①これはサマタとヴィパッサナのことでしょうか。
>それから深化(進化?)して努力しなくても集中が続く状態をディヤーナというのじゃ。
②これは瞑想時でなく普段の状態でもジャーナの状態が維持できるということでしょうか。
>その時、刺激があると自我は忘れられるものであり、観念であると気づくのじゃ。
③そのような状態の時に、蛙が古池に飛びこんだ時の音(刺激)などを聞いて、それが起こるということでしょうか。
833
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 13:01:43 ID:q3e6w7wk0
>>827
鬼和尚さん、ありがとうございます。
その人に期待していたものが確かにあったと思います。
ただ、これからも付き合っていく人なので、その人に期待しない状態がイメージできません。
それどころか、わたしは周りのすべての人に、はっきりしない無意識の漠然とした期待を四六時中持っているような感じです。
例えば、乱暴な運転をしている自転車が向かってきたら腹が立つし
掲示板で人を傷つけるような書き込みを見れば腹が立ちます。
でも、こういう、周りの人への漠然とした期待もすべて執着なのですか?
そういった期待をしないでいるコツはありますか?
常に期待して生きてきたようなものなので、何をどうしたら、期待していない状態になるのか、わからないです。
期待していない状態をどうしたらイメージできるでしょうか?
834
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/20(木) 20:54:23 ID:arkQZP/20
>>828
>>830
のような感情じゃ。
怒りによって起こるのじゃ。
三毒の一つなのじゃ。
>>831
よかったのじゃ。
またおいでなさい。
>>832
① そうじゃ。心が止まり、観察が可能になったのじゃ。
② 普段ではなく瞑想中なのじゃ。
努力しなくとも集中状態が続くようになった段階なのじゃ。
③ そうじゃ、忘れていた自我が思い出された瞬間に観察できるのじゃ。
>>833
その期待もまた原因によって起こるものじゃ。
孤独感とか、不安とか、体験の記憶とかで起こるじゃろう。
そのような原因から期待が起こり、原因が無ければ期待も無いと観察すると良いのじゃ。
835
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 21:07:16 ID:IrTmcwvc0
>>824
教えていただきありがとうございました。
お釈迦様は、「求道者の道に向かうものは、とらわれずに施しをしなければならない」
とおっしゃいましたが、功徳を積む(施しをする)ことは、修行とは関係ないのですね。
施しは、修行の成果には、つながり得ないという理解で正しいでしょうか?
836
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/20(木) 22:04:19 ID:w3pMYdIY0
懇切丁寧に教えて頂いて うーれしくて感動で頭が┗(^o^)┛パーーン
837
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/21(金) 10:13:44 ID:pImkm.yg0
>>834
和尚さま、ありがとうございます。
>普段ではなく瞑想中なのじゃ。
瞑想時のことは何となく理解ですのですが、疑問なのは普段時における見性のことです。
掃除中に瓦のかけらが青竹にあたる音を聞いて見性しり、風呂に入ってる時に見性したり、
桶の底が抜けて水が落ちたのを見て見性したり。
和尚さまも金剛経を読んでいる時に起こったとブログで書かれているようですが、
①これらは突然に起こるものなのでしょうか。
②割合で言えば、瞑想時よりも普段のときに起こる方が高いのでしょうか。
また、修行をしていても、てんで上手くいかない。
いつまでこんなこと続くのだろうか、と悩んでいた僧が、
作務の最中に見性して悩み苦しみがふっ飛んだ、という話も聞いたことありますが、
③苦悩という煩悩がある状態であっても、見性は起こるということでしょうか。
重ね重ねの質問となりますが、前々から疑問に思っていたことでありました。
なにとぞご教授ください。
838
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/21(金) 12:45:57 ID:CfikwJtk0
>>834
鬼和尚さん、ありがとうございます。
期待にも原因があるとは思いつきませんでした。
どうして周りの人に無意識の期待をしてしまうのか、原因を探ってみました。
たぶん、子供の頃ずっと、周りの人すべてを大切にしなさいと教えられてきたからだと思います。
さらに、そうやって、みんなが周りの人を大切にし合うような社会が理想的な社会だとも教えられてきました。
たぶん、これが自分の思考の土台のようになっていて、だから人を大切にしていない人を見ると怒りが起きるのだと思います。
そういう教育を受けなかったと想定してみると、そんなに人に期待しないでいられる気がします。
かわりに、自分の行いだけを見て、他人の行いは見ない、という教育を受けたことにしようと思います。
まだ完全ではないですが、人に期待しない状態がイメージできてきた気がします。
鬼和尚さんのおかげで、いろんな気づきがありました。
ありがとうございました。
839
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/08/21(金) 21:27:32 ID:arkQZP/20
>>835
そうじゃ、善事は環境を良くするのじゃ。
修行は自分の心を清め、整えるのじゃ。
善事を行えば修行の助けになることもあるのじゃ。
両方に励むのじゃ。
>>836
どういたしまして、またおいでなさい。
>>837
普段でも時折、人は自我を忘れている瞬間はあるのじゃ。
その時に観られることもあるのじゃ。
① 突然起こることもあるじゃろう。
② 瞑想中のほうが多いじゃろう。
それを目指しているのであるからのう。
③ 煩悩は悟る寸前でもあるものじゃ。
三毒の欲や怒りや愚かさであるからのう。
完全に消えるのは悟った後なのじゃ。
>>838
良かったのじゃ。
良い気づきなのじゃ。
止観の素質があるようじゃ。
更に修行を積むと良いのじゃ。
またおいでなさい。
840
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/22(土) 07:00:50 ID:RKrUXRoI0
>>839
ありがとうございました。よくわかりました。
混んでいる電車では、立つようにします。
その際、「私は座りたかったのにあえて、他人に席を譲ったのだ」などと
自我が生じると思いますが、そのときは、その心を観察するようにしてみます。
841
:
避難民のマジレスさん
:2015/08/22(土) 08:36:05 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
お釈迦様も鬼和尚も、法を金で売らないように述べられましたが、オショーは、そうではなかったようです。
https://www.youtube.com/watch?v=yRo_L1RiGWw
お釈迦様と鬼和尚のその見解の理由をお教えください。
また、上の動画ではオショーは値段がついていないと人は法の価値を理解しないからだと述べていますが、その見解について鬼和尚はどのように判断されますか?
悟りを得るための方法として、自分の本心を観ることを勧めている点で三者は共通ですが、その他のことで見解が異なるのが興味深いです。
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