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鬼和尚に聞いてみるスレ part5
1
:
避難民のマジレスさん
:2015/02/20(金) 23:12:17 ID:cud.kRqg0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。
前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part4
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1407234590/
590
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/06/13(土) 00:02:53 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
最近は資産作りに取り組んでいます。
以前書き込んだ方法とは異なる方法です。
そのせいで一日当たりの睡眠時間が以前よりもだいたい2時間くらい減っています。
睡眠不足は感じていますが、まったく苦になりません。
それに朝寝坊することもありませんし、昼間の仕事中に眠くなることもありません。
睡眠不足が苦にならないのは修行の成果でもあると思いますが、
睡眠時間を減らしたまま長期間過ごすのは、肉体の疲労が回復できないと思います。
このあたりのさじ加減はどのように図っていけばよいのでしょうか。
591
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/13(土) 09:57:37 ID:P.PEnNUg0
>>587
ありがとうございます。
心に現れなかったにも関わらず、お釈迦様が衆生のために12縁起を説いたということは、自分の心の中の縁起を観るための良いヒントになるということですね。
以前、ブログで生→老死に関して解説して下さっていましたが、改めて
無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死
それぞれの定義を少し詳しく教えて下さいますでしょうか。
592
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/13(土) 21:05:12 ID:ZdlnzaYI0
>>589
今生きている者にも心遣いや優しい言葉で慰める事が出来るように、死者も心を込めて供養すれば慰められるのじゃ。
行いとその報いを他人が変化させる事は生きている者にも死んだ者に対してもできないのじゃ。
例えば現世の法律でも犯罪をした者の身代わりになることなどできないようにのう。
>>590
昼寝するとか瞑想を長くするとよいのじゃ。
少しの時間でも寝たりする事が出来る者は、忙しくても元気なのじゃ。
瞑想によって眠りを補うとか、ヨーガのシヴァアーサナなどをして肉体を休めるとよいのじゃ。
>>591
無明とは自分があるという観念なのじゃ。
行とは分別の働きなのじゃ。
職はそれによって物事を認識する事なのじゃ。
名色は言葉とイメージなのじゃ。
六処は六つの感覚器官なのじゃ。
蝕は感覚なのじゃ。
受は感受することなのじゃ。
愛は愛着なのじゃ。
取は執着し欲することなのじゃ。
有はものごとが有るという観念なのじゃ。
生は生あるものという観念なのじゃ。
老病死は人のもつ苦なのじゃ。
593
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/13(土) 22:34:02 ID:hzMYYWtw0
>>592
死者でも慰めることは出来るのですね。カルマや徳は誰にも渡せないと。
ありがとうございます。
594
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/13(土) 23:06:20 ID:tHj0j65Y0
鬼和尚さん、便乗質問みたいですが死者というのは心の中の死んだ人の存在のことでしょうか?
595
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/14(日) 10:40:44 ID:OdMybscU0
>>592
ありがとうございます。
識は阿頼耶識、行は末那識と理解して良いでしょうか?
また、私が通常行なっている苦滅の法の縁起では
触→受→愛→取→苦
というようなものが多いように思います。
自我を観る場合にはさらに微細になり、
触→受→識→行→名色(認識対象)→識→行→六処→識→行→自我(六処に投射)
というような縁起になるのでしょうか?
識と行の順番が分かりません。
あと、無明は自分があるという観念ですから、自分という観念(=自我) とは厳密には違いますよね。
鬼和尚は説いていますが、お釈迦様が12縁起で自我を縁起によって観るように説かなかったのはなぜでしょうか?
当時の人々は自我に相当する言葉を持っていなかったのですか?
596
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/14(日) 21:20:45 ID:79rLlUrQ0
>>593
そうじゃ、自らの心と行いを清めるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>594
死者は生きている者と同じように、心の中の観念としてあり、存在としてもあるじゃろう。
心の内と外に境界を作れば迷いと成るのじゃ。
全ては意識であり、生きながら意識の表れである人が、死んでも意識の現われとしてあるのじゃ。
肉体と言う現に見えるものが無くとも、意識としてあり続けるのじゃ。
生きている者には夢とかでしか会えないから、心の中にのみあるとか思うのじゃ。
内も外も同じと知れば死者もまた意識の現われなのじゃ。
>>595
そのような理解でよいのじゃ。
それはおぬしの心の中にだけ起こっている働きである故に、他の誰もわからないのじゃ。
それを自らの注意深い観察によって明らかにするのじゃ。
それがおぬしだけが出来る、おぬしだけの道なのじゃ。
そのようなものじゃ。
昔の人は王様とかバラモンが死ねとか言うと命令どおり死ぬような
共同体による幻想観念が人の肉体をも支配していたからのう。
個人的な自我などは近代の産物とも言われるのじゃ。
597
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/15(月) 02:29:43 ID:QMm34KcU0
>>595
>個人的な自我などは近代の産物とも言われるのじゃ。
それはよくいろいろな人が言っていることですが、一部のインテリたちの
間違った見解ではないでしょうか?
お釈迦様の時代から、個人的な自我を持っていたからこそ起きる
さまざまな確執や争いがあったはずで、「俺が〜」、 「私が〜」 という
個人的自我が目覚めていなければ 「悟り」 を目指す意味もないはず
です。
ソクラテスの周りでもそうですし、孔子様の周りもそうですし、日本の昔
の社会を見ても、弥生時代頃からは個人的な自我が出て来ていると
思われます。
598
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/15(月) 05:07:51 ID:tHj0j65Y0
>>596
> 心の内と外に境界を作れば迷いと成るのじゃ。
そのあたりもっと観察してみたと思います。ありがとうございます。
599
:
素人A
:2015/06/15(月) 06:43:52 ID:IWxIjSAg0
ブラフマンいや仏教では編だ如来が編み出した正解いや世界だから求めれば阿弥陀になる空、それから枝分かれして法も変化
に変換されて此の世うになつた私たちの不味い煩悩も元を正せば阿弥陀の性格が影響している。暢気に南無阿弥陀仏と難解も
唱えれば救うのか?いい加減な阿弥陀仏貴方の不味い考えでこの世うになつた。でも阿弥陀さんが我々とたいして代わらん人
だと解れば、人のいい私としては何とか役に立とうと思うけど?頭も知恵もないし、阿弥陀さん皆でアートため息つけば少し
は気が晴れて空には満点の星の輝きがある風景だ。浄土真宗やキリスト教は考えが唯物論のようで、毎日とななえれば毎度
コントロールされて唯仏論になつたのに効き目なく唯物論のいま。死んでも修業は至難だろう?でも我々じゃ証が無い世ね、
でも此の世も元々の阿弥陀の応用というかパクリから出来ている法と思えば、即死してもあまり代わり映えのしないと思うが
正解いや世界だと妄想する。嘘でも何でも毎日現れればほんとになる。よくわからん正解は無とは何もないということでは
無いようだし私の能力では無理解という事か、つまり私の頭や目や身でぼんやり身ても一部しか身縁し今朝も妄想?
600
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/15(月) 17:07:20 ID:wzaF4XgM0
>>596
自分の心の中がどんな縁起になっているのか、観られるのが楽しみです。
これまで生まれ変わって過ごしてきた時間のうちで、今が最大のチャンスだと思います。
このチャンスを活かして自己の観察に励みます。
お答えくださりありがとうございました。
601
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/15(月) 21:29:28 ID:79rLlUrQ0
>>597
それらの多くは同族的な帰属意識でも起こるものじゃ。
わが国とかわが民族のためとかじゃな。
未だにそれを自我の一部として受け入れている者もいるじゃろう。
どこにも帰属しない本当に独立した個人の観念こ現代でも珍しいものじゃ。
それも論じるべきものではなく、観察によって気づくべきものなのじゃ。
>>598
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>599
それらは頭で考えるものではないのじゃ。
ひたすら集中し、感得するものなのじゃ。
集中すれば一体になった感覚が得られるのじゃ。
それまで精進あるのみなのじゃ。
>>600
そうじゃ、それはおぬしだけが出来る未知への挑戦なのじゃ。
少しずつでも進めばやがて悟りはやってくるじゃろう。
それまで精進あるのみなのじゃ。
602
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/15(月) 22:04:42 ID:TuyaCvks0
和尚様
愛する物の別れが苦しい場合もやはり原因がなければその苦が
生じないと観るのでしょうか
また私が想像ができないので、お聞きするのですが
そのような愛着の存在しない人生とはどのようなものでしょうか
603
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/16(火) 21:15:44 ID:79rLlUrQ0
>>602
そうじゃ、そのような場合は執着が原因となるじゃろう。
執着が無ければ愛別離苦もないと心の中に観察するのじゃ。
執着が無くとも愛はあるのじゃ。
昔、一休和尚が説法の折に見かけた美人に一晩付き合えとなんぱしたのじゃ。
その美人は人妻であったから断り、旦那に告げたのじゃ。
旦那は一休の信奉者であったから、せっかくだから行って見よと言ったのじゃ。
人妻が一休の家に行くと、もうその気がうせたから帰ってよしとか言ったのじゃ。
それを聞いて旦那はさすがは一休和尚じゃ、とますます尊敬したのじゃ。
そのように愛はあっても執着が無いから苦も無いのじゃ。
604
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/17(水) 00:34:34 ID:aO61iQho0
例えば、鬼和尚さまの生活している家に1000匹のゴキブリが出たとします。
寝ている時にも口の中に入ってきたり、飯を食べている時も茶碗の中に侵入したり。
そういう時、鬼和尚さまはどう対処なされますか?慈悲をもってバチンと叩き潰されますか?
そもそも鬼和尚さまは、ゴキブリに恐怖心はありますか?
605
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/06/17(水) 19:28:20 ID:2A0R7gMc0
鬼和尚
私はよく、
ある特定の思い、考えをするとき、
きまって身体がこわばるのを感じます。
これは、自我が強烈に投射されているということなのでしょうか。
606
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/17(水) 21:01:26 ID:79rLlUrQ0
>>604
身動きしたときに潰してしまうかも知れんから追い出すのじゃ。
何も恐れはないのじゃ。
ゴキブリは人を噛む訳でもないのに恐れるのは習慣から来るものじゃ。
本当は体も清潔だと言うからのう。
観念から来る恐れを観察してみるのじゃ。
>>605
そうじゃろう。
その考えに何か強い思い入れがあるのじゃろう。
過去の記憶から来るものかもしれん。
良く観察してみるのじゃ。
607
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/18(木) 21:41:33 ID:fP2nC2Nc0
いつも教えていただき、感謝しております。
花粉症などのアレルギー症状は、
肉体の免疫反応が、何らかの理由により、
正常に働いていないことから起こるものと考えられます。
このような症状が現れている時、
鼻がむずむずするなどといった肉体の感覚を観察することで、
くしゃみ鼻水炎症といった症状は改善しますか?
それとも、症状は改善しないけれども、苦がなくなるのですか?
608
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/19(金) 18:47:38 ID:aO61iQho0
>>606
ゴキブリが怖くないんですかw
僕は超苦手です。黒いテカリ、俊足、飛翔、嫌悪感が凄いです。
自我を観察していきたいと思います。有難うございました。
609
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/19(金) 19:04:35 ID:QfX3qKd.0
そもそも生命として生まれるという概念がすべての苦の原因ということですか?
苦から脱出するには要は生まれなければいい?
少なくとも人間界以下に生まれなければいい?
老病死にも色々なレベルがあると思いますが不治の病、殺される、
又はどうしようもない事故、災害での死は前世の業とは関係ないのでしょうか?
それともやはりそれまでの行いの結果として起こるのでしょうか?
これはどのような行いをしても避けられない生命として元々包含されているもの
であって不幸な病や死 などは行いに関係なく誰にでも起こるということでしょうか?
610
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/19(金) 21:18:23 ID:79rLlUrQ0
>>607
観察するだけならば症状は改善しないのじゃ。
しかし集中していると気が集まって血行が良くなり、改善する事もあるのじゃ。
観察よりも集中がいるのじゃ。
観察出来れば苦はなくなるじゃろう。
>>608
そうじゃ、そのような感覚こそ観察してみるのじゃ。
強い感情は観察が容易になるのじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
>>609
生あるものという観念が無ければ良いのじゃ。
観念が無ければ苦は無いのじゃ。
そのような事が起こる可能性がある世界に生まれる事が報いなのじゃ。
そこで起こることの一つ一つが報いと言う事でもないのじゃ。
偶然もあるじゃろう。
たんなる不養生で病になることもあるのじゃ。
全てが報いではないが、それが起こる環境にしか生まれなかった事が報いなのじゃ。
611
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/20(土) 17:39:18 ID:6EUkWmiQ0
>>610
>生あるものという観念が無ければ良いのじゃ。
>そのような事が起こる可能性がある世界に生まれる事が報いなのじゃ
生まれる環境が一番業に関わってくるのですね。それは意志と言うか好みでは選べないと。
ありがとうございます。
612
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/20(土) 21:14:41 ID:79rLlUrQ0
>>611
そうじゃ、それが行いの報いなのじゃ。
善いことをすればそのような事も無い世界に生まれる事も出来るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
613
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/21(日) 07:18:58 ID:fP2nC2Nc0
>>610
教えていただきありがとうございました。
集中とは、数息観をすることでしょうか。
数息観をすると、花粉症などのアレルギー症状が
緩和しますか?
614
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/21(日) 17:15:31 ID:HF1Z5IZA0
鬼和尚、
以前己の追求に関して、
> 先ずはその自分という感覚がどのようなものであるか見極めるが良いのじゃ。 常に観られるようにするのじゃ。
> そして主体という観念がそれにどのような影響を及ぼしているかとか、何が原因でそれが強くなったり弱くなったりするかとかを、追及し観察すると良いのじゃ。
との回答をいただきました。
結局主体という観念があるときには、自分という感覚に、「それは実際に自分が行なっている」というような現実感を与えていると観察しました。
さらにそれが強くなったり弱くなったりするのは、集中の深さと浅さが原因となっているようです。
試しに自分のイメージを呼び起こしているときには、主体の観念は、現実感が感じられる主体の感覚として、思い出している行為に投射されており、想起された自分のイメージ自体の現実感は強くないです。
このように自我の観察には進歩が見られているようですが、未だ自我の観照には至りません。
もしかして、しっかりと観察できているのではなく、おぼろげながら観察したことについて推論を加えて答えを得ているのではないかという疑念があります。
そのように観察ではなく観念の遊戯に陥っている場合は、ご指摘いただければありがたいです。
またもし何かアドバイスなどがありましたら、お願いします。
615
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/21(日) 20:54:10 ID:79rLlUrQ0
>>613
数息観は集中力を身に付けるためのものなのじゃ。
集中は文字通り患部に意識を集中するのじゃ。
そうすれば血行が良くなって良くなる事も在るじゃろう。
原因がわかって治る事もあるじゃろう。
試してみるのじゃ。
>>614
推論しているのかも知れん。
それでも少しは自分が見えているじゃろう。
自我の観念によって起こる事も観てみるのじゃ。
自分があると思えば、自分の好みも起こり、好む事への執着も起こるものじや。
そして好むものへの執着によって苦も起こるじゃろう。
それら全ての縁起が観られれば全体を観た事になるのじゃ。
そして自分と言う観念が無いとき、自分の好みもなく、好むものへの執着も無く、苦もないと観察するのじゃ。
そうすれば観念との自己同一化も消えるじゃろう。
616
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/22(月) 20:30:03 ID:fP2nC2Nc0
いつも教えていただきありがとうございます。
>観察するだけならば症状は改善しないのじゃ。
>しかし集中していると気が集まって血行が良くなり、改善する事もあるのじゃ。
>観察よりも集中がいるのじゃ。
>集中は文字通り患部に意識を集中するのじゃ。
言葉の定義上で、私に混乱があります。
観察・・・患部の感覚に意識を向ける
集中・・・患部に意識を集中する
このふたつの違いがよくわかりません。ご教授お願いいたします。
617
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/22(月) 20:36:37 ID:79rLlUrQ0
>>616
集中している時は感覚は無視してよいのじゃ。
実際に強い集中のサマーディでは肉体の感覚が無くなり、針を刺しても平気に成るのじゃ。
ただひたすらに患部に集中するだけなのじゃ。
気が集中して患部は熱くなるじゃろう。
試してみるのじゃ。
618
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/23(火) 12:56:52 ID:9jY3uYWM0
>>615
自我の観念によって起こる事も観てみました。
自我の観念により、かなりの自由が制限されていることが分かりました。
1人で過ごす分には、もはや自我を持つ事には何のメリットもないようです。
ただ、やはり観察して得られた結果に推論を加えているようにも感じられます。
縁起だと、
気づき(そうか!)→推論(だとすると…)
でしょうか。
推論は思考ですので、推論が起こっているのかどうかも観察して確かめようと思います。
ありがとうございました。
619
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/23(火) 21:13:31 ID:79rLlUrQ0
>>618
そうじゃ、全てを観察するのじゃ。
推論も観察できれば止まるじゃろう。
それでこそ推論するものも観られるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
620
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/24(水) 21:03:32 ID:fP2nC2Nc0
>>617
患部である鼻は感覚なしでは捉えられないようです。
集中力が足りないのだと思います。
もっと集中力をつけてから再チャレンジしたいと思います。
ご指導ありがとうございました。
621
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/24(水) 21:08:21 ID:ZdlnzaYI0
>>620
そうじゃ、何でもやってみるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。
またおいでなさい。
622
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/06/25(木) 01:19:09 ID:SUG5z7PM0
>>592
ヨーガのシヴァアーサナを毎日続けてみました。
肉体の疲労は軽減するような感じがします。
それと、私は10年前から慢性的に皮膚に湿疹ができていたのですが、
このヨーガをやり始めてから、それが少しずつ消えていっています。
いろいろな皮膚科に診てもらったのですが、原因は分かりませんでした。
塗り薬を継続して使ってきましたが、完治に至っていなかったものです。
これからも続けてみます。
ありがとうございました。
623
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/25(木) 21:46:09 ID:79rLlUrQ0
>>622
良かったのじゃ。
安静にしていれば肉体の治癒力も最大限にまで発揮されるものじゃ。
肉体の細胞は極小の働きで肉体を治療しているから、安静にしなければうまく働けないのじゃ。
安静になる姿勢こそ万病に効く薬と言えるのじゃ。
さらに続けると良いのじゃ。
624
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/26(金) 12:34:50 ID:EO4mNeKg0
鬼和尚、
鬼和尚の言う「一つの意識」と凡夫の持つ観念の関係についてお教えください。
観念は実体ではないので、一つの意識には入らないのでしょうか?
625
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/26(金) 21:33:09 ID:DsxvzEZE0
>>624
観念も意識の現われではあるのじゃ。
それは本来智慧の基盤として働くべきものなのじゃ。
言葉とイメージによる記憶が観念を形作っているのじゃ。
それを自我が無い状態で働かせれば、真実をありのまままに知るための道具となるのじゃ。
しかし自我があれば観念を実体と混同し、それに執着したり、好悪によって真実を歪めて迷いの元となってしまうのじゃ。
そのように意識の表れであり、真実を知る道具として仕えるのが本来の観念なのじゃ。
626
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/27(土) 18:17:54 ID:2eLvpbuk0
>>625
ありがとうございます。
実体感の有無は、その対象に自我が投射されているかいないか、特に主体の観念があるかないか
で決まるように思うのですが、それは正しいでしょうか?
例えば、自分のイメージを想起してみても、それはイメージであり、実体感は感じられません。
もしそうだとすると、なぜ、主体という観念が認識から起こされたときに、それを実体とを混同してしまうのでしょうか?
もうそろそろ、自我の牢獄から出たいものです。
627
:
無
:2015/06/27(土) 20:20:28 ID:jgzvPgN.0
鬼和尚。この世界は夢であり、アーラヤ識の投影でまちがいないですか?
628
:
無
:2015/06/27(土) 20:55:04 ID:CBNb7nl20
アーラヤ識から送り込まれてくるイメージ(世界観)を変える方法はあるでしょうか。
629
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/27(土) 21:25:59 ID:POreMENg0
>>626
そうじゃ、それらによって自己同一化が行われていれば実体感かもあるじゃろう。
その観念との自己同一化は習慣によって起こるものじや。
今思い浮かべたイメージには実体感が無くとも、何度も思い浮かべていればそう感じるじゃろう。
それも慣れるにしたがって自己同一化が起こるからなのじゃ。
そしてそれが習慣によるものであるから観察によって瞬時に滅する事も可能なのじゃ。
生来のものであれば観察やその他の手段によっても滅する事は出来ないがのう。
>>627
そうじゃ。
そのような理解で良いのじゃ。
各自の記憶によって作られた幻影なのじゃ。
>>628
それも記憶や知識が改まれば変わるじゃろう。
昔の人は世界がお盆のようであり、ふちから海水がこぼれていると思っていたのじゃ。
今は宇宙があるとしているが、それも実は知識でしかないのじゃ。
今までの宇宙論が実は間違いであったとかでも変わるじゃろう。
630
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/28(日) 20:16:14 ID:I70fPQRo0
>>629
主体の感覚がどのように起こってくるのかをもっと詳しく観察できるように、普段からさらに縁起の観察に励むようにします。
ありがとうございました。
631
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/28(日) 20:41:55 ID:POreMENg0
>>630
そうじゃ、自我の抵抗もあるから見難いが勇気を持って進むのじゃ。
進み続ければ悟りは訪れるじゃろう。
またおいでなさい。
632
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/29(月) 20:40:49 ID:y4sOcl9c0
自分は最近、文章を書くことに興味があるんですが、
書くことにおける悟りの境地とはどのようなものなのでしょうか?
633
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/29(月) 21:22:47 ID:POreMENg0
>>632
それも他の道と同じく何度も書くうちに忘我になるじゃろう。
忘我では思いもよらぬ書もかけるじゃろう。
そして忘我から無我になり、融通無碍に書けるようになるじやろう。
更に書くことも忘れ、文字もなくなるじゃろう。
一切を忘れて滅し尽くして悟りは完成されるじゃろう。
その時にはもはや書くことも、書くものも無いのじゃ。
使い終えた法として捨て去られるのじゃ。
634
:
避難民のマジレスさん
:2015/06/30(火) 17:54:44 ID:Rd7bBL2U0
>>633
結局どの道を選んだとしても行き着く先は同じだということですね。
返信ありがとうございました。
635
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/06/30(火) 21:17:25 ID:MSCg2gco0
>>634
そうじゃ、極め尽くせば同じなのじゃ。
途中でやめれば何にも成らないのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
636
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/01(水) 07:56:00 ID:w3pMYdIY0
お絵かきあてゲームというオンライン対戦型ブラウザゲームがあり、
ランダムに出題されるお題にしたがって順番が回った一人が絵を描き始め他の参加者全員でそれを早い者勝ちで当て得点とするのですが
どのような訓練をしたり、意識の配分をすれば描き始めのうちに絵のお題を推定できますでしょうか
637
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/01(水) 16:25:29 ID:U/LsaFRw0
前世を覚えている方がもっと善を積んで次はもっといい環境に生まれようと
すると思いますがなぜ殆どの人は前世を記憶してないのですか?
思い出しては何か都合がわるいことでもあるのでしょうか?
産まれた環境に絶望して悪を起こすほうが多いと思います。
産まれた環境が前世の自業自得とわかってれば進んで悪を起こそうと思わないと
思うのです。
来世にいいところに生まれたいと願って善をするのがダメということでしょうか?
来世に悪いところに産まれたくないという強制的な恐怖心から行う善ではあまり意味が
無いということですか?
638
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/01(水) 20:41:32 ID:POreMENg0
>>636
相手の心に集中して自分が書いてるような気でいればわかりやすくなるじゃろう。
自分が描く気でいれば描き始めからわかるものじゃ。
心が離れると判らなくなるじゃろう。
試してみるのじゃ。
>>637
それは恐れがあるからなのじゃ。
自分が生まれる前に記憶をさかのぼるのは誰でも恐ろしいものじゃ。
死んだときの事を思い出すからのう。
特にひどい死に方をしていれば恐れもひどくなるものじゃ。
自らの心を観察してみるのじゃ。
それでも良いのじゃ。
善を積めば善いところに生まれるじゃろう。
喜ぶものが多ければ善も多いのじゃ。
気にせず善を積むと良いのじゃ。
639
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/02(木) 01:00:04 ID:GI6xw29U0
やっぱり根底に寂しさ みたいなものが強くあります
640
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/02(木) 06:02:51 ID:4hkv64.20
ありがとうございました 次回から試してみたいと思います
641
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/02(木) 09:02:32 ID:JBWg8Yus0
>>638
>それは恐れがあるからなのじゃ。
>気にせず善を積むと良いのじゃ
私は心身的に虚弱のようで生まれつき家庭環境も悪く性格も決して良くないと思います。
現在も正直無職で経済的にも全くダメで自分が一体何をしたためにこの環境に
産まれついたのかわからないと自暴自棄になりそうです。
私は前世は何を行ったのでしょうか?教えてもらえますか?
642
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/02(木) 20:58:22 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)/
瞑想中の幻覚や幻聴、あるいは神仏の実在感等は無視すべき事柄であると思いますが、それと、同様に内心の実感であるところの、観照できたことによる無我の実感は区別がてくものなのでしょうか。
643
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/02(木) 21:33:25 ID:MSCg2gco0
>>639
個我の観念があれば常に孤独感や寂しさがあるじゃろう。
例えばどこかに旅行に行って素晴らしい景色に感動していれば孤独感はない。
しかしそこに誰もいない自分独りと思えば孤独感や寂しさが起こるじゃろう。
自分という個我の観念が起こった故に、孤独感や寂しさも起こったのじゃ。
そのように寂しさが心の中にある個我の観念から起こる事を観察してみるのじゃ。
>>640
そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。
またおいでなさい。
644
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/02(木) 21:49:26 ID:POreMENg0
>>641
それはおぬしが自分の心身を大事にしなかったからなのじゃ。
同じように周りのものも大事にしなかったからなのじゃ。
それ故に心身も環境も良くないように生まれたのじゃ。
そして今自暴自棄になれば同じ事を繰り返し、更に悪い心身と環境のところに生まれるじゃろう。
少しでは在るが自由意志のある人間は、今の状況を変えることが出来るのじゃ。
今からでも心身を大事にして、周りのものも大事にするようにすれば変わっていくじゃろう。
心を改善にするには瞑想をして、心を観察して清めるのじゃ。
体も西式健康法とかさまざま健康法を研究し、実践することでよくなるじゃろう。
周りのもの常に感謝の心で接していれば変わって行くじゃろう。
自他共に利益となる方法を常に探し、実践していけば誰にも喜ばれるのじゃ。
そのようにしてこの世で改心して踏みとどまり、自他の為に善を積み重ねて代わるのじゃ。
>>642
区別が付くじゃろう。
もはや迷う己が無いから迷いも無いのじゃ。
無我でも常に安らぎがあり、智慧も生じるのじゃ。
それは忘れてしまえば効果が無くなる観念とは違うものとして常に在るから間違えはしないのじゃ。
例えば人が長い間、旅行に出ていても家に帰れば安らぎよその家と間違わないように、無我になれば本来の安らぎが戻る故に区別が付くものなのじゃ。
645
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/03(金) 02:21:26 ID:GI6xw29U0
本当に勉強になります
ありがとうございます
酒に溺れてましたが精進します
646
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/03(金) 10:12:49 ID:2wl2DDJA0
>>644
>それはおぬしが自分の心身を大事にしなかったからなのじゃ。
同じように周りのものも大事にしなかったからなのじゃ。
それ故に心身も環境も良くないように生まれたのじゃ。
そして今自暴自棄になれば同じ事を繰り返し、更に悪い心身と環境のところに生まれるじゃろう。
お言葉有難うございます。
たしかに私は現世に居たくないっていう破滅願望があるように思います。
このような環境にはもう2度と産まれたくないので
自分にも人にも優しくできるよう努力いたします。
647
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/03(金) 20:38:00 ID:MSCg2gco0
>>645
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>646
そうじゃ、今善を行い続ければこの世でも福楽は訪れるじゃろう。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
648
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/03(金) 20:58:43 ID:LC3de7YgO
>>644
鬼和尚、ありがとうございます(´(ェ)`)/
がんばります。
649
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/04(土) 09:49:29 ID:fP2nC2Nc0
仕事で同社員に認められたいという執着による苦を消したいです。
止観の法で消せますでしょうか。
また、執着を消すと仕事のやる気がなくなるのでしょうか。
650
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/04(土) 20:14:53 ID:MSCg2gco0
>>648
そうじゃ、精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>649
消えるじゃろう。
その原因を探すと良いのじゃ。
親に認められたいという執着が残っているのかも知れん。
そのような原因がわかれば消えるじゃろう。
その執着だけが仕事の原動力になっていればやる気はなくなるじゃろう。
お金とか精進の希望とかがあればやる気は無くならないじゃろう。
自分の心を観察してみるのじゃ。
651
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/05(日) 16:15:00 ID:w3pMYdIY0
自我を投射すべき正しい存在があるのに、錯誤して別のものに・・・というならともかく
本当は自我を投射すべき対象などなく、全て観察によって遠離してしまうのですよね
ということは投射という行為自体が自我と密接に関係有るのですよね
投射とは何なのでしょうか
652
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/05(日) 20:40:20 ID:POreMENg0
>>651
それは記憶による分別の働きなのじゃ。
人が何かを見た時、例えば石を見た時は知覚した物体を記憶と照合し、
記憶の中から石という名前とイメージを知覚したものに結びつけるのじゃ。
そのように記憶を結びつける働きを投射というのじゃ。
知覚したものは本当は石ではないかも知れないが、それに石の名前とイメージを投射してしまうのじゃ。
その働きがあれば知覚の主体に自己の名前とイメージが付き纏い、苦も起こるのじゃ。
653
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/05(日) 23:06:40 ID:6I0OJoUY0
和尚さま
恩という概念は、道のじゃまになるでしょうか
何かから与えられたから、その恩を返さなければならないという
概念は邪魔になると思うのですが
悟った先にも、恩を感じることはあるのでしょうか
654
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/06(月) 03:29:33 ID:w3pMYdIY0
仏の智慧を教えてくださってありがとうございました@@
655
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/06(月) 20:23:46 ID:POreMENg0
>>653
囚われなければならないのじゃ。
どのような概念もそれに囚われて修行をやめてしまえば道の邪魔になるのじゃ。
囚われなければ何も邪魔にならないのじゃ。
感じようと思えば感じられるのじゃ。
感じなくしようとすれば感じなく出来るのじゃ。
もはや概念の奴隷ではないから自在なのじゃ。
>>654
どういたしまして、またおいでなさい。
656
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/06(月) 21:30:46 ID:fP2nC2Nc0
>>650
苦が消えると聞き大変うれしいです。
止観の法をがんばります。
人から認められたいという欲求は、
きっと後天的なものなのでしょうね。
ありがとうございました。
657
:
653
:2015/07/06(月) 22:04:29 ID:6I0OJoUY0
和尚様
返信ありがとうございます。悟りの境地は、
何者にも囚われることなく自在であるのですね。
精進します
658
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/07(火) 20:55:29 ID:POreMENg0
>>656
そうじゃ、全ては消す事が出来る観念なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>657
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
659
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/07(火) 22:40:59 ID:fP2nC2Nc0
>>658
いつも教えていただいてありがとうございます。
苦を生じさせて、体の感覚を観察していますが、苦の原因がわかりません。
苦の原因とは、いったいどのように知れるものなのでしょうか?
何を第一の手がかりとすべきですか?
660
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/08(水) 20:37:32 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、生きることはたった一回のことだと思うのであります。
悟りを目指すこと以外に何か他にあるとしたら、何か・・・ありませんよね
661
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/08(水) 20:58:31 ID:POreMENg0
>>659
苦の原因となるのは大抵、執着が第一なのじゃ。
何かに執着する事があれば、それが苦の原因となるじゃろう。
執着があるから観念に囚われ、苦を起こすのじゃ。
自分の心に何か執着がないか、良く観察してみるのじゃ。
それが判れば句の原因もわかるじゃろう。
>>660
悟りを目指すのが一番の道なのじゃ。
しかし、悟りは得ずとも人々に尽くそうとするのも善いことじゃ。
その道を選ぶのも自由なのじゃ。
自ら後悔しない道を選んだら良いのじゃ。
662
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/08(水) 22:44:34 ID:zmlx3PgM0
教えていただきありがとうございました。
1)直接の苦の感覚を観察し続けることで、原因が判る
2)可能性のある執着をひとつひとつ想起することで当たっていき、
直接の苦の感覚が再現されるものが原因と判る
1)と2)どちらが適切でしょうか?
今は1)を行っています。
663
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/09(木) 18:18:30 ID:w3pMYdIY0
他人の目を必要としない芸術行為はあり得ますか
664
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/09(木) 20:56:52 ID:POreMENg0
>>662
それはおぬしのやり易い方を選ぶのじゃ。
何度も試してみて自分がやり易く、判りやすいほうを体得するのじゃ。
全ての者にやりやすいという方法はないからのう。
実践してみて自分には何が適切な法なのか、選ぶ事も修行なのじゃ。
>>663
在り得るじゃろう。
芸術家が自分のために作品を作る事も良くある事じゃ。
死んでからわかったりするがのう。
自分を満足させるのも芸術なのじゃ。
665
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/09(木) 23:58:34 ID:Uus.3Yrk0
もし自分が死んだ際に心がけておくべきことは何かあるでしょうか?
666
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/10(金) 20:32:17 ID:fP2nC2Nc0
>>664
1の実践は、体の反応の観察が、苦の原因究明に至るメカニズムが、
理性で理解できないため不安になったのでした。
(2はなんとなくわかる気がする)
しかし、自分的には1のほうがよいように感じるので、
メカニズムがブラックボックスでも、こちらでトライしたいと思います。
貴重な教えをありがとうございました。
667
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/10(金) 21:19:25 ID:dPYpivQs0
>>665
一切の執着を捨てて、全てに感謝して逝くと良かろう。
もはや行いは出来ないから心を清めるのじゃ。
今までの生涯であった全てに感謝して終わりを良くするのじゃ。
執着があればこの世に縛られるのじゃ。
潔く次の世に逝くと良いのじゃ。
>>666
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
668
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/10(金) 21:40:45 ID:wopGbEH.0
鬼和尚
私は慈悲心を著しく失ってしまい(=自我が肥大化)、それによってもの凄く執着心が強くなりました
元の自分くらいの慈悲心を取り戻すにはどうしたらいいでしょうか?
取り戻すのはもの凄く大変な気がしてならないのです、多少の慈悲の行いをしてもすぐ
今の慈悲の無い心に戻ってしまうからです
慈悲心を取り戻さないと悟りを求めるどころではないですしどうしたらいいでしょうか?
毎日生き地獄です
669
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/11(土) 17:41:37 ID:3V/YOenE0
>>667
臨終の際でもできることはあるのですね。
執着せずきっぱりあっさりさよならする、そのように心がけます。
ありがとうございます。
670
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/11(土) 21:30:30 ID:dPYpivQs0
>>668
慈悲は心の中にあるものじゃ。
今もおぬしの心にあるじゃろう。
習慣によって見ないようにしているだけなのじゃ。
自我がどれほど肥大しても人はたった一人ならば生きる意味も無いものじゃ。
ただ独りでいて周りに衆生がいないならば、自我が大きくとも小さくとも何の意味があるじやろうか。
常に周りの者との関係で、自我も肥大したり執着も強くなるじゃろう。
それを自分の心の中に観察するのじゃ。
自我が肥大したのも、執着が増したのも周りの者達との関係によって起こった事じゃろう。
それを観察して気づいたならば、泥の中にも宝石が埋もれているのを見出すように、慈悲は初めから心の中にあったと気づくじゃろう。
>>669
どういたしまして、またおいでなさい。
671
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/12(日) 14:54:23 ID:V7QCtwwo0
>>670
ありがとうございます
気づくことによって苦が少なくなれば幸いです
672
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/12(日) 20:22:14 ID:ebGS7o0w0
>>671
そうじゃ、気づく事によって人は重荷を下ろし、苦を滅して楽になるのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
673
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/12(日) 23:40:00 ID:2Pcbq20M0
鬼和尚の仏教勉強会という本を出版されてたんですね
びっくりしました
674
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/13(月) 11:13:37 ID:Hagm7lPQ0
えっ、本当?
出版社は?値段は?
675
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/13(月) 12:52:02 ID:zz3du5Nk0
鬼和尚、
大縁方便経を読んでいて、その実践方法が分かったように思いますが、以下で正しいでしょうか?
つまり苦滅の法と同様に、例えば老死と出てきたら自分の中の老死という観念を呼び出して、その原因は何かとか、その原因が無ければ老死という観念が無くなるとかを縁起の例を参考にして観察するということです。
難しいのは「老死」を一般的な概念ではなく自分自身のこととして思い浮かべて観察することでした。
しつこくやっていると、具合が悪くなったり世界が揺らぐような感覚が生じるのですが、それだけ効果は大きいと考え、続けてみようと思います。
また、これらの縁起の観察に関して質問があります。
大縁方便経では、
言葉とイメージ→阿頼耶識(識)→言葉とイメージ→感覚(触)→感受(受)→愛着(愛)→執着(取)→ものごとが有るという観念(有)→生あるものという観念(生)→老死などの苦(老死)
という縁起が説かれています。
この中では記憶に依存した観念として、言葉とイメージ、有、生、老死があり、
それ以外の今・ここで観察できる実在の心身の働きとして、識、触、受、愛、取があると思いますが、そのような理解でよろしいでしょうか?
とすると、「言葉とイメージ→感覚」など(観念→実在)の縁起の観察はどのようにすれば良いのでしょうか?
思い浮かべて生じる感覚は、感覚というイメージであり、実在ではないようです。
676
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/13(月) 20:21:59 ID:sMw.o/uo0
鬼和尚、
身体の厭離についてですが
脳の厭離はどうすればいいのでしょう
677
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/13(月) 20:29:05 ID:sX9nOJOw0
鬼和尚
希望とは何でしょうか。
自分は希望がないと抑うつ的になってしまう気がするのですが、
何を希望にして生きていけばよいですか。
678
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/13(月) 20:55:51 ID:dPYpivQs0
>>673
>>674
そうじゃ、誰かがネットで出したとかいっていたのじゃ。
わしのブログは著作権フリーであるから誰でも出せるのじゃ。
おぬしも出して良いのじゃ。
>>675
そのように自分で想起してしまうと、観念を観ているだけになるのじゃ。
観念が自然に連続して起こる心の働きを観察するのじゃ。
それは自ら想起しなくとも、常に起こっている働きなのじゃ。
何かを見たり聞いたりして認識した時、そこにすでに自我は投射されているのじゃ。
認識そのものが自我にとってどのような関連があるか、分別しているからなのじゃ。
それをありのままに観察するのじゃ。
自らの意思による想起ではなく、起こっては消えていく連続した心の働きをただひたすら観察するのじゃ。
自我もその中に起こっては消える観念として観察されるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
679
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/14(火) 06:27:56 ID:w3pMYdIY0
普段使っているドライヤーの温風のような風に家の内外が常に包まれているのですがどのようにして死を回避したらよいでしょうか
絹を自作する実験キットでカイコに同じことをしたので因果応報ですか?
680
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/14(火) 18:52:36 ID:B61mFmrc0
鬼和尚。たまには鬼和尚のホームページの質問コーナーにもに書き込みお願い致します
681
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/14(火) 19:10:48 ID:HH3XytK.0
>>678
行を間違ってすすめるところを、ご指摘くださりありがとうございます。
自我の観照のためには余計なことをせず、自然に心に起こる縁起をただひたすら観察しつづけるのが良いのですね。
以前、経を読む場合には、同時に観察をすることを意識せず、他人事と思わずに自分に引き比べて読むと述べられていましたが、大縁方便経なども同様で良いでしょうか?
また、お釈迦さまは何度も12縁起などで観察の例を挙げていたようですが、弟子たちはその言葉を一心に聞いているときに自然に観察が起こったのでしょうか?
682
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/14(火) 20:44:41 ID:ebGS7o0w0
いろいろ見落としていたようじゃ。すまんのう。
>>676
脳もまた観察の対象となり、その働きを感じることも出来るのじゃ。
何かをものすごく考えると、脳の前辺りが熱くなったりするのじゃ。
感情にも脳の一部が熱くなったり反応するのがわかるのじゃ。
そのように脳もまた観察の対象となるものじゃ。
観察すれば厭離もできるじゃろう。
最近の脳が全てという唯脳主義に囚われていると、脳が主体だから観察できないと思うのじゃ。
脳もまた主体ではなく観察の対象なのじゃ。
>>677
修行して悟りを得る事を希望とするが良いのじゃ。
不死の境地に至り、智慧が生じ、もはや一切の苦が永遠に無くなるのじゃ。
全人類の大いなる希望なのじゃ。
>>679
水をどんどん飲んでデパートとかコンビニとか図書館とかに行くと良かろう。
違うのじゃ。
懺悔をして二度としないと誓えば許されるのじゃ。
>>680
近く行くじゃろう。
楽しみに待つのじゃ。
683
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/14(火) 20:54:00 ID:dPYpivQs0
>>681
良かったのじゃ。
ありのままに観察すればそれが真の変容を引き起こすじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
そうじゃ、それこそが経を読む効果を生むのじゃ。
お釈迦様の弟子達もそのように聞く事で観察が起こり、厭離が起きたのじゃ。
経の最後にはそれを聞いた弟子達が優れた境地を得たと書いてあるものもあるのじゃ。
わしも経を読んで変容が起こったのはそのような因があったからなのじゃ。
684
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/14(火) 22:49:46 ID:sX9nOJOw0
鬼和尚、有難うございます。
悟りを得たならば、人生の意味や存在の意味など哲学的な根源的な問いの答えは得られますか。
それとも、こういった問いを考えなくなるだけですか。
逆に言うと己の死を受け入れられないから、こういった疑問が沸き上がってくるのでしょうか。
685
:
避難民のマジレスさん
:2015/07/15(水) 19:09:44 ID:F3Uh0Ekk0
>>683
鬼和尚もいつか、スッタニパータの「二種の観察」の現代版を、
ここかブログで説いてください。
経も読みつつ、止観に精進します。
ありがとうございました。
686
:
676
:2015/07/15(水) 19:49:56 ID:A9HqdV1A0
>>682
鬼和尚、ありがとうございます。
がんばって実行してみます。
で、ですね
脳も観察されるものだとすると
それを観察してるものはどこにいるのですか?
体内ですか?体外ですか?
連続の質問ですみません。
どうかお教えください。
687
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/15(水) 21:40:25 ID:dPYpivQs0
>>684
悟りを得たならば智慧が生じ、幾らでも答が出るものじゃ。
人生も存在も悟りを得るためにあったと意味をつけることも出来る。
その問題が不安から起きたと知ることも出来るじゃろう。
自ら正しいと思う答が正しいともわかるじゃろう。
観念には観念の答を幾らでもつけられるともわかるじゃろう。
>>685
いつかかくじやろう。
精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>686
観察があれば観察するものが居るというのが観念なのじゃ。
恐れを乗り越えて観察が観察するものなく起こっていると知るが良いのじゃ。
うちでもなく外でもなく、どらでもないのでもないのじゃ。
内外共に観念でしかないのじゃ。
それを気づくために修行あるのみなのじゃ。
688
:
686
:2015/07/15(水) 23:40:08 ID:1xOGKUXM0
>>687
鬼和尚、ありがとうございます。
その境地に辿り着くのは
来世になってしまう気がしなくもないのですが
行けるところまで行ってみます。
ありがとうございました。
689
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/07/16(木) 20:23:19 ID:hkx4Bhrw0
>>688
そうじゃ、精進あるのみなのじや。
またおいでなさい。
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