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鬼和尚に聞いてみるスレ part5
142
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/03/31(火) 21:17:50 ID:VNZDIcc.0
>>140
そうじゃ、自我があれば自分のものと、自分のものではないものがある世界があるのじゃ。
自分のものといっても人や物体だけではなく、社会とか国家とか、ものの見方とか思想信条主義主張も自分のものと自分のものではないものとしてみるのじゃ。
そこに他のものへの恐れとか敵対心とかが生じるのじゃ。
無我になれば自他のものへの区別が無くなり、世界は一つと見えるのじゃ。
請願によるものも居るが、お釈迦様のように請願が無くとも法を説くものもおるのじゃ。
お釈迦様は王子であったから民を導く慈悲があったのかもしれん。
ありがたいことじゃ。
がんばるのじゃ。
わしがついてるのじゃ。
>>141
一番あるのはそのまま自分が消えるという恐れなのじゃ。
自我が自分と思っていれば、自分が消えるという恐れも湧くじゃろう。
それは死の恐れと同じ自己消失の恐れなのじゃ。
自分を知識としてみるならば知識を失う恐れもあるじゃろう。
今まで蓄えた知識に執着し、それを失う恐れが沸くのじゃ。
感情や感覚を失う恐れもあるじゃろう。
自我を感覚や感情の主体として認識していれば、それらを失う恐れも湧くじゃろう。
このように自分が主として自分と感じるものにより、恐れも違うものとなるのじゃ。
その恐れを知ることそのものが自我を知る助けになるじゃろう。
143
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/01(水) 06:31:33 ID:LC3de7YgO
>>142
鬼和尚、ありがとうございます。
>自我があれば自分のものと、自分のものではないものがある世界がある
>無我になれば自他のものへの区別が無くなり、世界は一つと見えるのじゃ。
空間認識の欠如=空間の中での自分の位置づけという感覚がなくなり、宇宙との一体感を実感したりもするようになるのでしょうか?
それとも、宇宙との一体感などの感覚は、「サマディー」や「無我」の時点で既に実感できるものなのでしょうか?
鬼和尚が誓願に付き説かれるのは、認識を滅するところまで至れば、そこは既に現世に対する一切の意味も価値も見出だせない、「絶対幸福」のような境地であり、「法を説く」という強い意思がなければ、生存を維持する意思も起こらないからでしょうか?
ありがとうございます。がんばります。
(´(∀)`)/
144
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/01(水) 12:40:28 ID:7rD9T5220
>>142
ありがとうございます。
確かに自分が消えるという恐れがあります。
自己消失の恐れも縁起によるものなので厭離できるのではないかと思い、試してみたのですが、うまく行きません。
自己消失の観想→恐れの感情 の縁起を観察してみました。
恐れの前に、その恐れのきっかけとなる記憶の想起があると思うのですが、良くわかりませんでした。
知識と忘我の経験から、自我が無くとも大丈夫であることは、表面的には理解しているのですが、いざ、本当に消えるとなると、怖いです。
何かアドバイスをいただけますでしょうか。
145
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/01(水) 21:26:35 ID:Zgl1wKTU0
>>143
サマーディに入っただけでも世界との一体感はあるじゃろう。
自他の区別が止まるからのう。
悟りを得ればもはや世界も宇宙も空間も無いのじゃ。
在るといえるのは意識だけなのじゃ。
そうじゃ、お釈迦様でさえそのまま涅槃に入ろうとしたからのう。
悟ってそのまま涅槃にはぃつた者も居るじゃろう。
請願の力によって大乗の者は悟ってからも法を説くことが出来るのじゃ。
>>144
その自己消失の恐れが、記憶がなくなるのが怖いのか、感覚がなくなるのが怖いのか、
認識がなくなるのが怖いのか、感情がなくなるのが怖いのか、よく観察してみるのじゃ。
その失うことが怖いものが、おぬしが己と思うものであり、おそれの原因でもあるじゃろう。
さらに深く集中し、恐れの原因を探すのじゃ。
146
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/01(水) 22:51:25 ID:LC3de7YgO
>>145
鬼和尚、ありがとうございます。がんばります。
(・(ェ)・)/
147
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/02(木) 00:39:56 ID:k1LksTJ.0
私は順序的に説明のつくことには価値が無いとする科学的虚無主義者であり
科学的に考察してもなお残る神秘にのみ価値を認める神秘主義者でもあります
何かアドバイスください
148
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/02(木) 19:50:39 ID:pEe1v5Oo0
>>145
認識がなくなるのが怖いようです。さらに詳細に観察してみます。
何をしても、どこまで行っても自我という感じですが、忍耐強く励みます。
ありがとうございました。
149
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/02(木) 21:11:46 ID:Zgl1wKTU0
>>146
どういたしまして、またおいでなさい。
>>147
その科学も神秘もおぬしがそう受け入れるから在るのじゃ。
自らの思惑による解釈であり、説明に過ぎないのじゃ。
何も解釈を加えない目で見れば全てが神秘なのじゃ。
何も思わずにただ観るがよいのじゃ。
>>148
よかったのじゃ。
さらに精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
150
:
ざっさん
:2015/04/03(金) 00:04:43 ID:.XzjgYow0
失恋の後、ずっと心に穴があいたようなんですが、どうしたら良いんでしょう??
悲しいわけではないんですが、心が無感覚で頭だけで生きてるように感じるのはやはりつらいです。
ジタバタしても仕方ないとは思っています。何かアドバイスがあったら下さい。
151
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/03(金) 19:51:21 ID:8a0R0suA0
鬼和尚さま、こんばんわー
守護霊とか指導霊とか存在するんですか?
もし存在するとしたら悟ると感じたり見れたりするんですか?
152
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/03(金) 20:31:51 ID:k1LksTJ.0
明晰夢の見方を教えてください
153
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/03(金) 20:57:28 ID:s0XpAys.0
>>150
そのような時でもおぬしは幸福であることが出来るのじゃ。
昔のことを思い出したり、先のことを考えると苦しいのじゃ。
もしかして何かの奇跡がおこってうまくいかないかとか思えば苦しいのじゃ。
そのように思うのが執着なのじゃ。
執着から苦が起こり、執着が無ければ苦はないと心の中を観察するのじゃ。
そうすれば苦は消えるじゃろう。
>>151
いないのじゃ。
居たらよいと思う者の心の中だけ居るのじゃ。
迷いを離れていない死人が他の者を守ったり、指導したり出来るはずも無いのじゃ。
人は自ら自分を守り、自分を指導できるだけなのじゃ。
自分を自分の主として生きるのじゃ。
154
:
151
:2015/04/04(土) 08:33:57 ID:rKEJ3jxo0
>>153
鬼和尚さま、おはようございます
やっぱり、いませんか
なんか心細いけど仕方ないですね
お返事ありがとございました (・∀・)/
155
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/04(土) 16:55:13 ID:LC3de7YgO
不ニであり、自他の別がないのであれば、死人もこれから生まれてくる人の別もないわけで、死者が迷いの中にいるとしても、それも、迷いのない死者と何等変わりはないと言うのが道理かなと思うのであります。
問題は生存中の個々の迷いでありますが、これもまた、「不ニ」の実感が得られるまでは人類共通の迷いでありましょいから、自分から積極的に迷いから脱却しようと志さない限り、輪廻があろうとなかろうと、他の誰かとしての自分が迷い苦しみ続けるのでしょう。
その「不ニ」なる実感と言うのをなんとしても得たいものだと思うのであります。
直接知る人でも歴史上の人でも、死者は自分の潜在意識中に生きており、それが、「ちえ」を授けてくれたり、助けてくれたりすることがあるのかなと思えることがあることは、幸せなことであり、彼等が助けてくれるように、出来るだけ正直に生きて行きたいものであります。
鬼和尚、こんな理解でも良いでしょうか?
(´・(ェ)・`)/
156
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/04(土) 20:48:58 ID:wr8he4Ck0
>>152
寝る前に夢の中で夢とわかるなどと暗示を唱えたりするのじゃ。
自分の好きな場所の夢を見るとかの暗示を唱えても良いのじゃ。
眠りに入るところを観察していると夢に入ってもわかるのじゃ。
毎日やれば少しずつ出来るようになるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>154
どういたしまして、またおいでなさい。
>>155
そのような理解でも良いのじゃ。
後は実践あるのみなのじゃ。
157
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/04(土) 21:49:16 ID:SlB5RJYc0
鬼和尚、よろしくお願いします
無明とは何なのでしょうか?
また前世と来世を知らない心は無明でしょうか?
また六道の世界を知らない心は無明でしょうか?
158
:
sage
:2015/04/04(土) 22:08:02 ID:KNO8iJug0
鬼和尚
世の中には飢餓、貧困、その他さまざまな原因、障害で苦しんでいる弱者がいると思いますが、
彼らをほうっておいて、自分が悟ることを最優先させて良いのでしょうか。
目の前で倒れている人を助けるのは当然ですが、離れたところにいる社会のどこかで困っている人を助けなくていいのでしょうか。
159
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/05(日) 19:42:58 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんは。
鬼和尚は、悟る以前、前世の記憶をもつものとしての自我を持っていたとのことでしたが、それは修行の過程で、前世を知るに至ったのでしょうか?
また、死苦克服のために修行に取り組んだとのことですが、始めてからどのくらいの期間でサマディ、無害、最終的解脱に至りましたか?
また、その間に、一貫して1日20分程度の瞑想でしたか?
鬼和尚が金剛般若経を読んでるときに悟りを得たとお聞きしたので、一時期暗誦に取り組みましたが、今一つピンとこず、今のところ暗誦できるのは、般若心経と信心銘だけです。
特に信心銘が日々の瞑想に役立っているように感じます。
他におすすめのものはありますか?
(´・(ェ)・`)ゞ
160
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/05(日) 20:53:35 ID:wr8he4Ck0
>>157
無明とは自己があるという観念なのじゃ。
本当は無い自分があるという謬見が無明なのじゃ。
前世とか来世は関係ないのじゃ。
六道も関係ないのじゃ。
自分という認識が謬見と知ればそれらも謬見であったとわかるのじゃ。
>>158
良いのじゃ。
さまざまな原因によって苦しむ者はこの娑婆世界に尽きることは無いのじゃ。
それらに関わっている内に寿命は尽きるじゃろう。
修行者でさえも老病死の苦から離脱しては居ないのじゃ。
まず自らの苦を滅しなければ他人の苦も滅することは出来ないのじゃ。
自分の修行を優先させるべきなのじゃ。
>>159
前世の記憶ではないのじゃ。
今の世の記憶を持つ者と認識していたのじゃ。
10年ぐらいで悟りを得たのじゃ。
それまでは無我もサマーディも無かったのじゃ。
瞑想の時間は数えていなかったのじゃ。
20分とかずーっとやっていたこともあったのじゃ。
助けになるならばリラックスする音楽なども聞くとよいのじゃ。
ヒーリングミュージックとか自然の音なども良いのじゃ
161
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/05(日) 21:33:01 ID:LC3de7YgO
>>160
鬼和尚、ありがとうございます。
勘違いしていなであります。
10年間、金剛般若経以外にたくさんのお経を読んだりしていたのですか?
ヨガや気功法、呼吸法等の身体技法にも取り組んだりしましたか?
(´・(ェ)・`)/
162
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/06(月) 09:44:15 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。
便乗質問させてください。
>それまでは無我もサマーディも無かったのじゃ。
禅定なしでいきなり悟ったということでしょうか?
尋牛から悟りに至るまでの過程がとても知りたいです。
もしよろしければ、お時間がある時にでも
自伝のような形で書いて頂けないでしょうか。
163
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/06(月) 21:12:57 ID:wr8he4Ck0
>>161
そうじゃ、いろいろな般若経とか原始仏典とか密教の経典もよんだのじゃ。
しかし意味も不明なものが多いから余り役にはたたないのじゃ。
自分を観察し、自分の心に対する理解を深めるほうが良いのじゃ。
ヨガもやってみたのじゃ。
健康に良いのじゃ。
>>162
そうじゃ、禅定などの瞑想は自分の心を観察する助けになるだけなのじゃ。
心が観察できるならば瞑想もいらないのじゃ。
わしのブログに書いてあるのじゃ。
後は自ら実践あるのみなのじゃ。
164
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/06(月) 23:18:39 ID:FqjD2ybs0
>>163
和尚、お返事ありがとうございました。
ブログの方を確認してみることにします。
引き続き実践に励みます。
165
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/07(火) 06:54:24 ID:LC3de7YgO
>>163
鬼和尚、ありがとうございます。
横レスですが、禅定=サマディは、その無心の状態から我にもどる瞬間を自我の生じる瞬間を目撃し観照がおこるチャンスと捉える意味で重要と理解すれば良いでしょうか?
ただその禅定も、意識されない程度の深まりが必要であり、一体感の心地よさを味わっている自我の意識もない域まで行かなければならず、その域まで行き、そこから戻る瞬間を捉えようとするほうが、観察もしやすく、観照も起こりやすい。
禅定の中に身をおくことにより、宇宙との一体感に耽溺するだけでは、魔境に溺れるようなものでしょうか?
一所懸命何かに打ち込んでいたり、雑念の海でボーッとしていたりする時に、突発事故等で我に返る瞬間に気付ければそれでもよく。そのためには「公案」のように「自分とは何か」を問い続ける。
ただ、そのような偶然に頼るのではなく、「止」で集中力を高め、「禅定」を得、その高めた集中力で「観」=観察を行い、「観照」を起こす。
こんな理解で良いのでしょうか?
(´・(ェ)・`)/
166
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/07(火) 10:11:26 ID:pwXGZEKw0
鬼和尚様
観の行についてお聞かせください。
手のひらを対象として観察をしているのですが、空の法
などの力を借りると、時に、手が指や掌といった区別の
消えた像として見えることもあります。
一方で、そうした分別を離れた観察ではなく、ただ単に
対象に集中しているだけ(手のひらが大きく見える感じ)
の時もあります。
こうしたことも慣れによって、観は観、集中は集中と使
い分けれるようになるものでしょうか。
コツのようなものがあれば、教えていただければ幸い
です。
167
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/07(火) 16:38:41 ID:wH0JIS760
鬼和尚、
投射されている自我の観察について、お教えください。
複数の対象にそれぞれ自我が投射されているのを観察する時に、どれもが自分が行なっているように感じられるのですが,注意の向かいかたや状況により、その自分感(?)に濃淡があるように感じられます。
例えば、思考を観察している時に、思考する自分と観察する自分の両方を感じられるのですが、より観察している自分の方を強く感じるというような具合です。
これは正しい観察でしょうか?
また、そうだとすると自我の投射というのは、ある・ないだけではなく、その中間、弱い投射とか強い投射もあるのでしょうか?
168
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/07(火) 20:29:44 ID:k1LksTJ.0
正直人間はもう右脳だけでいいと思うのですがどうですか
また、どうしたら右脳だけ活性化しますか
169
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/07(火) 21:04:40 ID:GhwtfI9A0
>>164
どういたしまして、またおいでなさい。
>>165
そうじゃ、集中による忘我であるサマーディが重要視されるのはそのためなのじゃ。
忘れている自己が、縁によって起こる瞬間が見やすくなるのじゃ。
集中が浅ければ長く続けなければいかん事も瞬時に起こせるのじゃ。
そのサマーデイにも囚われれば執着になるものじゃ。
そのような理解でよいのじゃ。
後は実践あるのみなのじゃ。
170
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/07(火) 21:27:35 ID:rKQHHqk20
>>166
それでよいのじゃ。
空を観想することが出来ているのじゃ。
その方がおぬしにあっているのかもしれんのじゃ。
何度も経験を重ねれば使えるようになるのじゃ。
全ては集中が基本になっているのじゃ。
集中力が増しているとより簡単に出来るのじゃ。
しかし力んでいてはいかんのじゃ。
集中しながらもリラックスして行えば最も良くできるのじゃ。
そのこつが把握できるまで精進あるのみなのじゃ。
>>167
おぬしがそう感じるならばそれが正しいのじゃ。
対象によって違うこともあるじゃろう。
同一化の度合いが違うのじゃ。
肉体でもつめより指や手のほうが自分のものと感じるじゃろう。
本当は同じなのであるが観念によって違うのじゃ。
迷わずに進むのじゃ。
>>168
おぬしがそう思うならばそうじゃろう。
絵をみるとか音楽を聞くとよいというのじゃ。
何でも試してみるのじゃ。
171
:
166
:2015/04/07(火) 21:46:41 ID:.93.THqA0
>>170
ご回答ありがとうございます。
確かに、力が入りすぎているところがあると思います。
めげずに精進したいと思います。
172
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/08(水) 01:18:13 ID:LC3de7YgO
>>169
鬼和尚、ありがとうございます。
鬼和尚の説法を読み、質問する機会をいただいているお陰で、理解は少しずつ進んでいるようでありますが、充分な実感は伴っておりません。
鬼和尚でも10年修行されたのですから、龍明ごときが1〜2年で何とかなろうとするのが、端から無理でありましょう。
ただ、鬼和尚が独力で探り当てた悟りのための方法論を懇切丁寧に解説していただいてるのですから、もう少し短期間で・・・と願っております。
がんばります(´・(ェ)・`)/
173
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/08(水) 12:06:52 ID:zymYeoR20
>>170
真実を求めてきたのですが、その真実に対する観念があることに気づきました。
秩序の世界に執着しているようです。
迷わずに、自らを灯明として進みます。
気づかせてくださり、ありがとうございました。
174
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/08(水) 20:58:16 ID:GhwtfI9A0
>>171
そうじゃ、肩の力を抜けば何事もうまくいくのじゃ。
精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>172
自分を見極めようとしていれば悟りは自ずからやってくるじゃろう。
精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>173
そうじゃ、何ものにも囚われずに進むのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
175
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/08(水) 22:21:30 ID:k1LksTJ.0
100分DE名著という番組で仏教をやっていますが観ていますか?内容はどうですか?
176
:
<削除>
:<削除>
<削除>
177
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/09(木) 20:31:13 ID:GhwtfI9A0
>>175
見ていないのじゃ。
ダンマパダなどを広めるならば良いことじゃ。
実践するのはもっと良いことじゃ。
178
:
sage
:2015/04/10(金) 05:34:41 ID:laoL/b6I0
鬼和尚
鬼和尚のブログは著作権フリーでしたよね。
twitterというインターネットのSNSサービスで試しに鬼和尚の言葉を世界へ向けて配信するbotというものを作ってみました。
すでに確認を撮らず作ってしまいまして、すみません。著作権的に問題がありましたら、お申しください。削除しますので。
179
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/10(金) 12:13:33 ID:8sDhNKjA0
鬼和尚、
自我の抵抗と、それへの対処法について教えてください。
思考の観察をしていて、思考が自分だと感じられる時には自分の声が認識されます。
そこでその声を他の声に置き換えられないかを試してみました。
しばらくそうしていると、強い拒否の感情がわき起こり、さらにしつこく行なっていると吐き気を感じて、それでやめてしまいました。
おそらくこれらは自我の抵抗なのではないかと思います。
そこで2つ質問がございます。
自我の抵抗にはあと、逃避して他のことに熱中しようとすることが自分の観察で分かっていますが、その他に何かありましたらお教えください。未だ気づけていないものがあるのではないかと思いまして。
また、これらの自我の抵抗に対しては黙々と観察することで対応してきているのですが、しんどいし、逃げたいです。
観察すべきだと言う心の声が聞こえるのですが、もう少しなんとかならないものでしょうか?
180
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/10(金) 17:01:44 ID:fUPJkZqs0
鬼和尚
以前質問させていただいたのですが、猫が死ぬ所を見てしまいそれ以来死からの逃避(その記憶からの逃避)が強く起ります
常に自我に強く執着していて、娯楽への強固な逃避心が起ったり、利己的な心が強くなったり、色々な害悪を被っています
鬼和尚のブログに載っている観察もやったりしましたがダメでした
自我への執着が取れる何かいい方法があれば教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします
181
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/10(金) 17:18:44 ID:jfWCoXjM0
悟った後も、師に対する帰依や感謝の念は残るのでしょうか?
182
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/10(金) 20:57:29 ID:ShY.Ag860
>>178
良いことじゃ。
どんどんやってよいのじゃ。わしは無であるから著作権など無いのじゃ。
正に菩薩の行いじゃ。
>>179
良い工夫なのじゃ。
自我の抵抗は人によってさまざまであり、いくらでもあるものじゃ。
ただ単に修行がしたく無くなるというものさえ、自我の抵抗であったりするのじゃ。
その他に何かと言い訳を作って修行や自我を見ないようにすることもあるじゃろう。
修行しようとすると用事を思い出すとか、時間がなくなるとかいくらでもあるものじゃ。
自分を気をつけてみていくしかないのじゃ。
空観などをすると少しは楽になるじゃろう。
自分が自分でなく空であれば苦も無いのじゃ。
183
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/10(金) 21:17:01 ID:ShY.Ag860
>>180
猫が死ぬところを見たといってもそれによって起こる苦は人により違うものじゃ。
猫が死ぬのがかわいそうであったのか、グロいものをみた嫌悪感かなのか、
猫を助けられなかった罪悪感なのか、猫の身に同一化して死を恐れたのか、さまざまに違うじゃろう。
それらの違いがはっきりわかるまで自分の心を観察するのじゃ。
それから原因を探すのじゃ。
自分の体や心が空であるとイメージすれば苦は和らぐじゃろう。
空であり、無であり、夢幻のようなものと見るのじゃ。
>>181
残そうとすれば残るじゃろう。
無くそうと思えば無くせるのじゃ。
悟れば既に心も自在なのじゃ。
184
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/10(金) 22:28:12 ID:fUPJkZqs0
>>183
思い出しただけでも死からの逃避心が起るのでそこまで細かく観察できていませんでした
猫の身に自分を同一化したからかもしれません
>自分の体や心が空であるとイメージすれば苦は和らぐじゃろう。
空であり、無であり、夢幻のようなものと見るのじゃ。
参考にさせて頂きます、ありがとうございます
185
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/04/11(土) 10:41:01 ID:A4Tf7GlE0
鬼和尚
観察が進み、厭離が進み、
関連付けが減り、逃避が減り、
やりたいことをやる時に諦めという言葉が無くなり、
子供のころの理由も対象もなくワクワクしていた感覚がわずかですが蘇ってきました。
186
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/11(土) 11:17:18 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、おはようございます。
4月12日(日)午前5時〜6時にNHKで、ベトナムの臨済宗の禅僧ティク・ナット・ハンの教え、第二回「ひとりひとりがブッダになる」を放映する予定とのことであります。
彼の教え「マインドフルネス」はとは禅とは全く異なるものなのでしょうか?
平和活動であったティク・ナット・ハンですが、師は悟りを得ていたと思われますか?
187
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/11(土) 17:11:03 ID:r3AXvjuU0
>>182
ありがとうございます。
空観もやってみます。
まずは自分の手などを無いものでもあるものでも無いと観想して、手を見ても、「手」の言葉やイメージが浮かばなくなったら、心の各作用に適用していくという進め方で良いでしょうか?
188
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/11(土) 21:01:01 ID:AE2PX4UI0
>>184
そうじゃ、いろいろ試してみるのじゃ。
それによってもつと自分を知ることが出来るじゃろう。
またおいでなさい。
>>185
良いことじゃ。
さらに精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>186
呼吸に集中することであるから数息観とおなじじゃな。
悟っていないのじゃ。
社会など無いのじゃ。
無いものを変えようとか良くしようとするのは妄想に囚われているのじゃ。
>>187
手の次は足とか胸とか腹とか頭などを空と観想してみるのじゃ。
それが出来ただけでもかなり変化するじゃろう。
それから感覚を空として、思考とか感情などの心を空と観るのじゃ。
迷ったら又手が空であると基本に戻ってやり直すと良いのじゃ。
189
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/11(土) 23:46:50 ID:LC3de7YgO
>>188
鬼和尚、ありがとうございます。
>社会など無い
>無いものを変えようとか良くしようとするのは妄想に囚われている
悟れば、社会などないというのが真理と知り得たとしても、悟るまでは、社会の中で生きていると感じざるを得ず、その社会は、何とかして社会をより良くしたいという人の、仮に妄想だとしても、自由、平等、平和、安定、調和、博愛、といった理念(妄想)を追求してきた人達の努力で、今があると思わざるを得ません。
大乗の悟った人達は、菩薩の誓願により、現世にとどまり、衆生を悟りに導くこと以外は、本来、社会などないのだから、悟ってない人達の社会を少しでも良くしようとする努力には一切関与しない、あるいは、関与すべきではないのでしょうか?
あるいは、本来ないものを良くも悪くもできないということなのだから、悟った人はそれらの努力には一切関与して来なかったということなのでしょうか?
(´・(ェ)・`)ゞ
190
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 00:51:58 ID:QMm34KcU0
>>189
>悟ってない人達の社会を少しでも良くしようとする努力には一切関与しない、
>あるいは、関与すべきではないのでしょうか?
>あるいは、本来ないものを良くも悪くもできないということなのだから、悟った人は
>それらの努力には一切関与して来なかったということなのでしょうか?
↑それが「小乗仏教」と呼ばれて来た考え方ですね。
191
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 03:46:06 ID:k1LksTJ.0
記憶に依存しない視覚って視野の周辺にいくにしたがってぼやけたりノイズがちになっていくんですか?
192
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 12:59:17 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちは。
不二なれば皆同じ・・でありますので、自他の別なければ、必然的に社会も妄想にすぎない。
↑このような捉え方も、「空」等と同様な観念を破壊するための観念ではないのでしょうか?
本当はただ一つの「意識」に帰するとしても、それが、枝分かれして、鬼和尚のような悟った人やオウムのような狂人がおり、そのような狂人に衆生が騙されないようにと鬼和尚も説法を始めたわけで、これは、覚醒者と狂人と衆生が混在する「社会」を前提としており、鬼和尚の説法は衆生を救うという意味で、社会を良くしようとすることなのではないでしょうか?
平和運動等も広い意味で戦争当事国の衆生や当局に覚醒を促し、「悟り」に導く行為のようにも思えるのでありますが、違うのでしょうか?
釈迦もアチコチの王様の相談にものっていたのではないでしたっけ?
(´・(ェ)・`)ゞ
193
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 19:24:05 ID:0Sk4wvvs0
>>188
ありがとうございます。
体→感覚→思考・感情と進んで行くのですね。
もし、縁起の法のように(一応の)習熟段階があるのでしたら、
その全体をお教えくださいますでしょうか?
194
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/12(日) 21:12:05 ID:AE2PX4UI0
>>189
>>192
社会という無いものを観念によって捕らえれば間違うのじゃ。
在るのは一人一人の人間だけなのじゃ。
一人一人の人間を善行や悟りに導くことが出来るだけなのじゃ。
社会というものには人は慈悲を抱かないのじゃ。
一人一人の人間を見てこそ慈悲も湧いてくるものじゃ。
>>191
そのようなことは無いのじゃ。
何でも見えるが名前やイメージを投射しないだけなのじゃ。
>>193
それは般若心経にも記されているのじゃ。
色受想行識を次々に観て行くのじゃ。
色は肉体なのじゃ。
受は感覚なのじゃ。
想は思考とか感情を含む心の働きなのじゃ。
行はものを分別して認識しようとする心の働きなのじゃ。
識は認識なのじゃ。
それらを次々に観て行くのじゃ。
195
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 21:31:16 ID:.3bKx85Y0
人間も実在しないのでは?
196
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 22:05:19 ID:LC3de7YgO
>>194
鬼和尚、ありがとうございます。
>在るのは一人一人の人間だけ
>一人一人の人間を善行や悟りに導くことが出来るだけ
>社会というものには人は慈悲を抱かない
>一人一人の人間を見てこそ慈悲も湧いてくる
いつも、明快なお答えありがとうございます。
ただ、例えば、「社会」の意味を下の※2の意味としてとらえた場合、ティックナットハンはフランスや(日本)アメリカからの独立運動のただ中で産まれ成長してきたわけで、普通に生きることがそのまま、平和運動をするか、戦争をするかの選択肢しかなかったのではないかと想像されます。
仮に導けるのは個々であったとしても、インターネット等を通して、それを拡げることはでき、まさに、オウム事件を契機に2ちゃんで説法を始められた鬼和尚も同様に、※2の意味の社会に関わっているのではないでしょうか?
ティックナットハンを平和運動という妄想に囚われていることを理由に、彼の悟りを否定することはできないのではないでしょうか?
※【社会】
1 人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。
2 人々が生活している、現実の世の中。世間。
3 ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。
4 共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)
197
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/12(日) 23:40:10 ID:8n4RKFnc0
ISのような暴力に訴える集団にはやはり戦いという名の暴力でしか
対抗できないと私は思うのですがどうでしょうか?
経済制裁や話し合いではどうしても通用しないものもいると思います。
そんなに殺したければ殺せばいいじゃん とはならないですよね?
私はもし自分が殺されそうになればやはり暴力で対抗すると思うのです。
ましてや大事な家族や友人がころされそうになったならなおさら、です。
できるなら逃げるのが一番でしょうが
198
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 03:15:23 ID:fUPJkZqs0
鬼和尚
無我の境地(小悟)を体得した人は日本の中でおおよそ何人くらい居ると思われますか?
また無我に成れれば悪い処には生まれませんか?
2つの質問よろしくお願いします
199
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 07:07:20 ID:.3bKx85Y0
ナットハンの本を読むと鬼和尚の瞑想方法とほぼ同じ事が書かれてるよね。まず数息観から始めるところなど共通点が多い。
200
:
sage
:2015/04/13(月) 09:22:54 ID:LHywX6/M0
鬼和尚
ティク・ナット・ハンは喋る時など瞬きが非常に多いです。
一方、ラジニーシは常に驚くほど瞬きが少ない。というかする感覚が長いです。
覚った人は心が完全に制せられているため、脳と連動している目の瞬きも騒がしくないのでしょうか。
そうすると、津田大介というジャーナリストは喋る時に瞬きをほとんどしないのですが、彼の心は制せられているのでしょうか。
201
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 12:02:47 ID:d1p2ARo.0
>>194
鬼和尚の仏教勉強会の「空の法 実践」
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-43.html
にも、既に書かれてありました。すみませんでした。
また、自分が修行をしているつもりで、いつの間にか法を集める逃避をしていることにも気づきました。
「それは自分の心を見ないための逃避ではないか?」と、しばしば本心に聞いてみる必要がありそうです。
さらに精進します。ありがとうございました。
202
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 13:43:45 ID:QMm34KcU0
>>200
>ティク・ナット・ハンは喋る時など瞬きが非常に多いです。
>一方、ラジニーシは常に驚くほど瞬きが少ない。というかする感覚が長いです。
そのような身体的な反応にとらわれると真実を見誤ります。
ティク・ナット・ハンは脳の血流障害を抱えていたので、その影響もあるでしょう。
(脳出血で倒れ、は現在はリハビリ中です。)
203
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 13:47:31 ID:QMm34KcU0
【訂正】 ↑
(脳出血で倒れ、は現在はリハビリ中です。)
↓
(脳出血で倒れ、ティク・ナット・ハン師は現在リハビリ中です。)
204
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/13(月) 20:59:55 ID:AE2PX4UI0
>>195
実在と非実在にかかわらず社会は観念のみであるから変えることはできないのじゃ。
一人一人の者は法を実践する事によって自ら変わることが出来るのじゃ。
それ故に一人一人の者に法を説くのじゃ。
>>196
出家僧とは社会の活動を全て捨てて、悟るための修行に専念する者なのじゃ。
社会を変えようとかの活動をする者は破戒僧でもあるのじゃ。
社会ではなく自らを変え、一人一人の者を変えなければ成らんのじゃ。
>>197
それが今まで十字軍とかナチスとか世界中の軍隊のしてきたことなのじゃ。
他の組織の暴力を止めるために、それ以上の暴力を行ってきたのじゃ。
一人一人を法に導くことでガンジーのように暴力を使わず多くの者を変えることも出来るのじゃ。
205
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/13(月) 21:03:53 ID:swDn/E620
>>196
数十人位はいるじゃろう。
禅やヨーガで修業する者も多いからのう。
まだ認識があるから行いがあり、行いの結果によって悪いところに生まれる事もあるじゃろう。
良い事をすれば良い所に生まれるのじゃ。
>>200
瞬きだけではわからんのじゃ。
単なる癖で遅いものも居るからのう。
心身の動きも見るのじゃ。
>>201
そうじゃ、精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
206
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 21:53:44 ID:fUPJkZqs0
>>205
ありがとうございます
>まだ認識があるから行いがあり、行いの結果によって悪いところに生まれる事もあるじゃろう。
良い事をすれば良い所に生まれるのじゃ。
そうなのですか。
しかし現代日本人は昔の人と比べて煩悩が多く造る悪業も多いのでほとんどの人が地獄に行くと思われます
悪業の多い者が人間界・天上界に生まれる為にはどのような善業を造ればいいのでしょうか?
207
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 22:11:26 ID:FqjD2ybs0
和尚、こんにちは。
六道では、人間界>畜生界という感じになっていますが、
たまに獣の中でも欲が薄く、卑しくもなく、とても素直な者がいます。
釈尊も前世は鹿だったとか言っておられたみたいですが、
修行するしないを除いた一般的な意識レベルにおいてだと、
人間界と畜生界にさほどの差はないのでしょうか。
208
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/13(月) 22:43:31 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、ありがとうございます。
悟りを得た者 = 僧 であり、僧はいかなる意味においても政治や社会に関わるべきでないのですね。
私は、数十人の中に入れるでしょうか?
仮に、入れなくても、今まで到達できた所まででも、十分鬼和尚に感謝しておりますが、どうせなら、悟りたいであります。
悟ったら、私も僧になるのでしょうか?
(´・(ェ)・`)ゞ
209
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/14(火) 02:22:29 ID:QMm34KcU0
>>208
>悟りを得た者 = 僧 であり、僧はいかなる意味においても政治や社会に関わるべきでないのですね。
それはおかしいでしょう。
衣食住のすべての面で僧たちの生活を支えていたのが一般社会の人々だった
のですから、一般の人々が困っていれば僧たちも社会の為にさまざまな助力を
しなければなりません。そうでなければ、僧たちの生活も成り立たなくなってしまう
からです。僧たちと世俗の人々は相互依存の関係にあったと考えるべきでしょう。
また、世の中の人々全員が修行僧になれば、衣食住に関する作業は分担して行う
ことになり、結局またそこで社会というものが形成されて、その中で社会活動という
ものも必要になってきます。人が生きて行く上で社会というものは不可欠な存在で、
社会の存在を無視すれば個々人の生活も成り立たなくなってしまいます。
210
:
sage
:2015/04/14(火) 06:47:02 ID:iOW.tpuo0
鬼和尚
社会が実在しないとすると、選挙など政治などに関することはどうすればよいでしょうか。
私は、政治とか経済について何もわからないので、選挙にいけないのですが、どうすればよいですか。
211
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/14(火) 20:53:06 ID:AE2PX4UI0
>>206
人を喜ばせることをするのじゃ。
人を助け、苦しみから離れさせればそれが善なのじゃ。
悪行を懺悔して二度としないと誓えば悪い報いもなくなるのじゃ。
>>207
人も動物の一種であると今の科学では分類しているのじゃ。
人は思考して自分の行いを決められる分だけ動物とは違うのじゃ。
思考せずに感情のままに生きていれば動物とかわりないのじゃ。
>>208
僧は悟りを目指す修行者なのじゃ。
世間も何もかも捨てて悟りを目指すのが本当の僧の生き方なのじゃ。
おぬしも悟りを得たいと思えば得られるじゃろう。
精進あるのみなのじゃ。
>>210
行かなくて良いのじゃ。
どのようなあり方でも政治は人を法や軍で脅さなければなりたたないものじゃ。
そのようなものと離れて修行に専念して喜びを食む者となるのじゃ。
212
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/14(火) 21:32:05 ID:fUPJkZqs0
>>206
ありがとうございます
213
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/14(火) 22:51:14 ID:LC3de7YgO
>>211
鬼和尚、ありがとうございます。
悟れば、ブッタの仲間入りでありますか?
東大に入るより百倍難しい狭き門でありますが、懺悔と修行を積み重ね、頑張ってみるであります。ι(`(ェ)´)ノ
214
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/14(火) 23:21:07 ID:QMm34KcU0
選挙の投票に行かなくてもよいなどというのは青二才の悟りじゃな。
今の日本が共産主義や独裁国家ではなく、2chなどで自由に宗教
について語ることができるのも、自由主義による選挙が行われている
からであることが理解できないのだろうか? 情けないことじゃ。
215
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/15(水) 01:29:45 ID:k1LksTJ.0
>>177
毎月100分かけて名著を一冊ずつ紹介していく番組でして、涅槃経なのですが見る価値ありませんか?
216
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/15(水) 13:44:52 ID:FqjD2ybs0
>>211
和尚、お返事ありがとうございました。
引き続き実践に励みます。
217
:
そらいろ
◆EHlCk/f57s
:2015/04/15(水) 18:41:36 ID:A4Tf7GlE0
鬼和尚
>>211
>世間も何もかも捨てて悟りを目指すのが本当の僧の生き方なのじゃ。
このように捨てる主体(僧)と対象(世間)がありながら、
なおかつ不二であるにはどのようにすればよいのでしょうか。
218
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/15(水) 20:50:15 ID:AE2PX4UI0
>>212
どういたしまして、またおいでなさい。
>>213
そうじゃ、仏陀とは目覚めた者の意味なのじゃ。
悟った者とは目覚めた者なのじゃ。
おぬしならば出来るじゃろう。
またおいでなさい。
>>215
その経を知らないならば見る価値はあるじゃろう。
興味が出て読みたくなるかも知れんのじゃ。
すでに読んでいるならば見なくて良いのじゃ。
>>216
そうじゃ、実践あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>217
不二であろうとする必要はないのじゃ。
すでにそれであり、それである以外に在り様は無いのであるからのう。
ただ自らの心を直視すれば気づくだけなのじゃ。
一度もそれから離れたことは無かったとのう。
219
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/15(水) 23:32:18 ID:EXsQrA7g0
鬼和尚、悟りを目指すものはオナニーしてはいけませんか?
220
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/16(木) 01:02:43 ID:LC3de7YgO
>>218
鬼和尚、ありがとうございます。
頑張って、生涯をかけてブッタを目指します
今、歯の治療をしているのですが、ガリガリと削られるときに、一瞬前のビクッとするような痛みを常に毎瞬間記憶にとどめないようにしよいなんて変なことを試してみると、それだけで、そんなことをやってる自分がなんか愉快で、記憶に基づき次の瞬間を予想して苦しんでる自分ではなくなるような気がチョピッとしたであります。
o(`(ェ)´)o
221
:
sage
:2015/04/16(木) 05:30:22 ID:lCBMm4ns0
鬼和尚
社会とか国家というのは単なる言葉であり、観念であり、妄想であるとすると、
多くの人々は妄想の中で生きているということになります。
そう考えると、例えば、コンビニでお金出してパンを買うという取引が成り立つのも不思議に思えてきます。
未だ悟りを得ず、社会という妄想の中で生きている人間は、お金というただの金属や紙であるとみて、取引などという妄想を行ってはなりませんか?
222
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/16(木) 09:35:40 ID:V7QCtwwo0
鬼和尚
私は心の中で数えきれない程親を殺したことがあります
なのでもう禅定を得ることは出来ないのでしょうか?(悟りは言うまでもないと思います)
223
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/16(木) 21:31:43 ID:AE2PX4UI0
>>219
してもよいのじゃ。
なんぱもするとよいのじゃ。
夫婦で悟りを目指すのじゃ。
>>220
何でもやってみたらよいのじゃ。
精進あるのみじゃ。
またおいでなさい。
>>221
妄想と知りながらもやってよいのじゃ。
人と同じ事をして導くことも大事なのじゃ。
妄想を妄想と知りながら行い、囚われなければ良いのじゃ。
>>222
出来るのじゃ。
悟りも得られるじゃろう。
昔、アングリマーラは999人の人を殺したが懺悔してお釈迦様の弟子になり悟りを得たのじゃ。
悪いことをしても懺悔告白して反省すれば許されるのじゃ。
そして悟りも得られるのじゃ。
親とは離れて生きるとよいのじゃ。
224
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/16(木) 22:32:30 ID:V7QCtwwo0
>>223
懺悔することが重要なのですね
ありがとうございます、まだ希望があると聞いて安心しました
225
:
219
:2015/04/17(金) 00:45:36 ID:EXsQrA7g0
ありがとうございます
226
:
sage
:2015/04/17(金) 04:53:42 ID:3bOqHkQ.0
鬼和尚
悟りの境地からすると善悪は実在しますか。
悟りの境地ではあらゆる二元対立から自由ですか。
227
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/17(金) 11:14:13 ID:35boRoDA0
臨死体験などで自分の体や周囲の世界を意識の点のような感じで見たと
多くの人が語っておりますが和尚様は死ぬと深い夢の中のような
混沌として実態がない観察すらも困難な世界だとおっしゃっていたと思います。
ということは臨死体験したひとはまだ完全に死んでなくイメージだけで世界を
見ていたということでしょうか?
臨死体験がイメージだけのものであったとしたらまさにこの浮世は
死ねば消えてなくなってしまい記憶の中でしか語ることの出来ない
物語、幻想、ホログラムだとなってしまうと思います。
228
:
sage
:2015/04/17(金) 12:27:34 ID:Lljt3GBA0
鬼和尚
鬼和尚に教えて頂き、たくさんの苦が減り生きることが楽しくなったのですが、
一方で苦が減ったために瞑想をする動機が弱くなり、怠けてしまっています。
死を想って修行に励もうとも思うのですが、なかなか死に対する切実感がありません。
修行するために必要な動機をうまく出す方法を教えてください。
229
:
善慧
:2015/04/17(金) 20:01:19 ID:sxwG/km20
鬼和尚さま、お忙しい中恐縮ですが、道元禅師の現成公案について教えてください。
家が曹洞宗なので、両親の法要でいつも読まされていたのですが、
せっかくなので少し勉強しようと色々な解説を読んだところ、
ますますワケがわからなくなってしまいました。
特に「前後際断」の部分でひっかかってしまいます。
薪と灰、冬と春といった変化は、内在するそれぞれの現れであって、
不可逆なことから状態の遷移とは異なる、と考えてはみたのですが
それが生と死において、なぜ不生、不滅と結論付けられるのかがわからないのです。
仏法や法輪、仏転という言葉の意味もちゃんと理解できていないので、謎が深まります。
以下がその部分です。
「かのたき木、はい(ひ)となりぬるのち、さらに薪とならざるごとく、
人のしぬるのち、さらに生とならず。
しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。
このゆへに不生といふ。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。
このゆへに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。
たとへば、冬と春のごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。」
現成公案の全原文はこちらです。(リンクフリー)
http://www.geocities.jp/sybrma/48syoubougenzou.html
分不相応な質問ですが、かみ砕いて教えていただけないでしょうか。
どうかよろしくお願いします。
230
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/17(金) 21:00:05 ID:swDn/E620
>>224
そうじゃ、必ず悟りを得られると確信を持って進むのじゃ。
またおいでなさい。
>>225
そうじゃ、罪悪感とか自己嫌悪とかも持つ必要はないのじゃ。
生きている証拠と思って進むのじゃ。
またおいでなさい。
>>226
本当は一切の観念は無いのじゃ。
しかしそのように説いてはいかんのじゃ。
善悪は無いと説くのは外道なのじゃ。
六師外道の中には善悪も無と説くものがいたが、お釈迦様はそのように説くべきではないと論破したのじゃ。
一切は無と知りながら、なおも善悪とその報いはあると衆生のために説くのが真のお釈迦様の智慧であり、それを伝えるのが真の仏道なのじゃ。
>>227
そうじゃ、死後の世界とかの観念を見ているのじゃ。
死んでも観念からは逃れられないのじゃ。
現世もまた夢であるがのう。
231
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/17(金) 21:22:10 ID:AE2PX4UI0
>>228
昔は不浄観といって実際に死体を観察して肉体への執着や死をおもう修行をしたというがのう。
今はそのようなことも難しいものじゃ。
喜びを求めて修行すると良いのじゃ。
サマーディに入ればこの世を越えた喜びがあるものじゃ。
お釈迦様も瞑想を楽しめといっているのじゃ。
姿勢を正しくして上体から力を抜き下腹に力を入れていれば自然にサマーデイにはいれるじゃろう。
試してみるのじゃ。
>>229
焚き木が灰になってから焚き木に戻らないように人が死んだらもう生に戻らない。
そうであるのに生きている者が死になったといわないのは仏法の決まった言いようである。
それが不生なのじゃ。
死も生にならないといのが仏の転じる法輪なのじゃ。
それが不滅なのじゃ。
生きるというのは赤子から大人になるように変化していく状態なのじゃ。
死と言うのも肉体が動かなくなり分解していく変化の状態なのじゃ。
そうであるから生きる事、生がどこかにあってそれが死と成るということはなく、死というものがどこかにあって生になるということもないのじや。
冬が春になるのではなく、季節が変化していくだけであるのと同じなのじゃ。
というような意味じゃな。
人が観念として生きる事、生というものがあると考えれば、それが死になるという観念にも陥るのじゃ。
実際には生が死になるのではなく、肉体の変化が一連であるに過ぎないのじゃ。
肉体が生まれて成長し、老いて行くまでを生と呼び、肉体が動かなくなったら死と呼んでいるだけなのじゃ。
本来はそのような観念としての生は無く、その終局である死もまた無いのじゃ。
故に不生であり、不滅なのじゃ。
232
:
善慧
:2015/04/18(土) 00:46:37 ID:Ydtn.Yo20
鬼和尚さま、詳しい解説ありがとうございます。
難しく考えすぎて明後日の方向にいってしまってましたが、
生と死も観念に過ぎないとは思ってもみませんでした。
一方で死後の世界や生まれ変わりに変な希望を持っていたことに気づきました。
死後の世界については
>>227
さまの質問とも重なりますね。
何も知らなかった私が色々なことを学べるようになったのは
鬼和尚さま、こちらに集われる皆さま、掲示板の管理人さまのおかげです。
本当に感謝しています。どうか皆さまに良いことがありますように。
233
:
sage
:2015/04/18(土) 06:32:40 ID:S6zPJprc0
鬼和尚
鬼和尚は自我を滅して悟りを得るには、まず自立した自我を確立することが重要であると言われましたが、
私は自我が確立しておらず、対人関係においても自分の信念が不明確であるために、
自己を主張することができず、相手の態度に合わせてしまいます。
自我を確立するためには、自分の信念、信条をはっきりさせなければならないと思います。
何が正しいのか、どう行動することが正しいのか、
自らの行動規範をどのように決めればよいですか。
何を信じて行動すればよいでしょうか。
234
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/18(土) 09:35:32 ID:zymYeoR20
鬼和尚、
最近ようやく思考に巻き込まれずに思考を観察できるようになってきました。
止観に励んで1年半ですが、できると思って続けていれば、できるようになるものなのですね。
それで、可能な時は常に縁起に気をつけつつ観察しながら過ごし、巻き込まれているのに気付いたら、また観察に戻るといった過ごし方を始めています。
何かこの段階でアドバイスなどがありましたら、お願いします。
235
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/18(土) 21:24:30 ID:AE2PX4UI0
>>232
良いことじゃ。
紳士に学ぶ者は100年無駄に生きるのにも優るものじゃ。
またおいでなさい。
>>233
他人の反応ではなく、自分の心からの欲求に目を向け、実現していくようにするのじゃ。
自分の中に必要なものは全てあるものじゃ。
それによって自分を知ることにもなるのじゃ。
他のものに何も求めず、自分自身の心からの声を聞くようにするのじゃ。
そうすれば自我も確立するじゃろう。
>>234
良かったのじゃ。
続けていれば思考が止まり、それでも意識はあると分かるようになるじゃろう。
無念無想の状態なのじゃ。
知らなければ驚いて不安になり、瞑想を止めてしまうかもしれんのじゃ。
瞑想によって現れる心の段階は、世間の常識を超えるものじゃ。
思考は主体ではなく、主体に不可欠なものですらないのじゃ。
あらかじめ知っていれば恐れることでもないと分かるのじゃ。
思考が消えて意識があっても恐れず、その状態にも囚われずに進むのじゃ。
236
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/19(日) 09:26:09 ID:Ir41i7rE0
鬼和尚
心の奥へチューニングを合わせ静まったところに留まると
自分は動きようが無く、体と外部の世界も同列になって全てが自分ではないけど自分の中で起きているという感覚になります。
体の外から気づいている感覚なのにそれは体の内側に感じられ、体も世界も静止した自分の中で動いているという感覚。
これが観照ですか?
237
:
sage
:2015/04/19(日) 12:34:07 ID:ysqXQOls0
鬼和尚
怒りを鎮める方法を教えてください。
実家暮らしなのですが、両親と犬にイライラしてしまって、彼らが立てる物音を聞いただけでイライラしてしまいます。
なるべく外に出て距離を取るようにしていますが、どうしても一緒に生活しなければならない時間があるので、怒りの鎮め方を教えてください。
238
:
sage
:2015/04/19(日) 14:46:32 ID:KUnUwgnw0
鬼和尚
最近の自分はものすごく無気力で生きていること自体に苦痛を感じます。
とりたてて不幸なことが起きたわけではなく人並みに暮らしてはいるのですが
出世や金儲けなど世間の重要とされる価値観に価値を感じられず何をしても空しいです。
この苦しみから逃れるにはやはり悟りを目指すしかないのでしょうか。
239
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/19(日) 16:15:04 ID:IJ1xbrcA0
>>235
恐れず、囚われずに進みます。
ありがとうございました。
240
:
避難民のマジレスさん
:2015/04/19(日) 22:00:17 ID:QMm34KcU0
>>238
オカシイではないか?
おぬしは
>>228
で 「たくさんの苦が減り生きることが楽しくなったのですが、」
と書いていたではないか。あれは嘘だったのか?
241
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2015/04/19(日) 22:18:30 ID:AE2PX4UI0
>>236
かなり深い瞑想の境地なのじゃ。
忘我のサマーディに近いのじゃ。
しかし自我が完全に観察しなければ観照ではないのじゃ。
更に精進あるのみなのじゃ。
>>237
なぜ怒りが起こるのか、その原因を追究するのじゃ。
瞑想状態では空間も自分と感じるから音に敏感になったりするのじゃ。
あるいは音に怯えて攻撃されるとか思っているからかも知れんのじゃ。
そのような原因がわかればそれも滅することが出来るじゃろう。
>>238
そうじゃ、悟りを目指すが良いのじゃ。
世間の価値が虚しいと思うならば、それが自他を生かす道となるじゃろう。
自分と他人のためにも悟りへの道を行くが良いのじゃ。
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