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マハシ・ゴエンカ・パオ・その他いろいろ

1避難民のマジレスさん:2015/01/15(木) 05:55:04 ID:W41QNet60
 
マハシ・ゴエンカ・パオ・その他いろいろ

2おじゃる:2015/01/15(木) 06:10:01 ID:W41QNet60
 
金剛般若経 第二十八章
師は、スブーティ長老に、こう答えた
「(功徳は)積むべきだが、囚われてはならない
 それゆえ、このように説かれるのである
 『囚われないもの、それこそが功徳である』」

なにものにも囚われることなく、植えさせて頂く功徳によって
想いを手放し、想いが落ちて

厚い雲の隙間から
妄想に影響されることのない『あおぞら』を見て触れて知覚して住んで
この『あおぞらから → 変化していく雲を観察していく』というような感覚で

この『あおぞら』の立ち位置から
平等性智(びょうどうしょうち)の立ち位置から

息を吐く時に自分の幸せを白い光の形で衆生に与え
息を吸う時には衆生の苦しみを黒い煙の形で受け取る

と導いていく
ttp://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/816/1/culture5_79-93.pdf

3おじゃる:2015/01/15(木) 06:13:04 ID:W41QNet60
 
>何を以って法灯明と言うのか

中阿含経などに説かれた、『菩提分法』

ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1483660814
空海がその著書「弁顕密二教論」の中で『三十七菩提分法是れ法宝なり』
道元禅師が「正法眼蔵」の第六十で
『三十七菩提分法、即ち仏祖の眼晴鼻穴、皮肉骨髄、手足面目なり
 仏祖一枚、これを三十七菩提分法と参学しきたれり』

ttp://p.booklog.jp/book/69908/read
カマラシーラ『修習次第』初篇 私的ノート 28ページ参照
…カマラシーラから聞かれた、修行者の『修習次第』はこのように終結する
何であれ「原因から生じる事物」と「その原因」。これらをブッダは切り離した
それらを滅ぼしつくすものは、立派な修行者の論理である
四念住(四念処)・四正断(四正勤)・四神足(四如意足)・五根・五力・七覚支・八正道

八宗綱要 法相宗
十八界 無為法も含まれる
有為法 縁起したものがある
無為法 縁起したものを離れることがある
ttp://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf

4おじゃる:2015/01/15(木) 06:15:05 ID:W41QNet60
 
私は、どの宗教団体にも所属してないので、創価の信者でもないけど、とりあえず

ttp://www.geocities.jp/kokoronoshikumi/hokekyo.016.html
如来寿量品 第十六 自我偈
凡夫は(正しい心を失って)意識が転倒しているため
心が驕(おご)り欲のおもむくままになり
五官の(眼耳鼻舌身から受ける色声香味触に対する)欲望の虜(とりこ)になってしまい
悪道に堕ちてしまうから
ブッダは常に、仏道修行に励む者と、励まない者とを知っていて
その相手によってさまざまに工夫しながら

ttp://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
スッタニパータ
1026 無明が頭であると知れ。明知が信仰と念いと精神統一と意欲と努力とに結びついて、頭を裂け落とさせるものである
1119 つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ

と↑このように、いろいろに法を説いていくのです

5おじゃる:2015/01/15(木) 06:20:13 ID:W41QNet60
 
(「仮設としての」という意味で、とりあえず仮に)
我癡・我見・我慢・我愛が
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続けて

衆生は無始からの(輪廻を繰り返し)無明を持っている
真如に薫習し、その薫習によって妄心を生じている無明薫習に依存して

無明の暗闇に覆われて渇愛によって掴んで離さないような固執も生じて

『過去からの、心の流れ(心相続)がある!』と掴もうとしている想いに依存して
『自分がある!周囲環境もある!』と掴もうとしている想いに依存して、それ故に

中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二

諸法の、実相は、性空であるが故に、如来の滅後について
有るか? 無いか? 有であり、無であるのか? と思惟してはならない
如来は本より、畢竟じて、空なのだ
況して、滅後は言うまでもない

如来は、戯論を過ぎるが、而し、人は、戯論を生ずる
戯論は、慧眼を破る!是れでは、誰も仏が見えない

それ故に、私(おじゃる)には(今、現状においては)「仏が見えない」

6おじゃる:2015/01/15(木) 06:22:55 ID:W41QNet60
 
ttp://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
無明の暗闇に覆われて
人はその者自身を未来の生へと
追いやることになる性質を持った
身体的な行為、言葉による行為、心による行為を行う(カルマを積む)(中論26-1)

渇愛に依存して誤ったあり方を掴んで離さないような固執も生じて(中論26-6)

『過去からの、心の流れ(心相続)がある!』と掴もうとしている想いに依存して
『自分がある!周囲環境もある!因と縁の双方の縁起の相応一致もある!』と掴もうとしている想いが現れ(滅し)ている

ttp://www.geocities.jp/tubamedou/Jiten/Jiten01.htm
大智度論 仏教用語辞典

我(が)
衆生を自由に主宰するもの。と妄信している
自らを他に対する特別な存在として妄信している

我所(がしょ)
衆生の手脚を操るもの、色受想行識の五陰、衆生の身心。が実在している。と妄信している
自らの所有あるいは所属、たとえば身体ないし心が他に対して特別な存在であると妄信している
また別の説では、我の所有の略
自身を我といい、自身以外の万物を我所有という
我に対する事物

7おじゃる:2015/01/15(木) 06:24:54 ID:W41QNet60
 
中論觀涅槃品第二十五
諸の因縁を、受けるが故に、生死の中で輪転する
如実に、顛倒を知らないが故に、五受陰に因って、生死を往来する

 − これを対処する為に −

中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我・我所を滅する因縁の故に、無我・無我所を得て、智慧を決定する
(色受想行識の想を滅させる為の)滅尽定を以って、第一と為し、終に、無余涅槃に帰する

中論觀涅槃品第二十五
如実に、顛倒を知るが故に、則ち、復た、五受陰に因っては、生死を往来しない
無性の、五陰は、復た、相続しないが故に、説いて、涅槃と名づける
諸の因縁を、受けなければ、是を、涅槃と名づける

8おじゃる:2015/01/15(木) 06:27:32 ID:W41QNet60
 
八正道
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
正見は「四諦の智」といわれる

この正見は、正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定、によって実現される。八正道は全て正見に納まる

9おじゃる:2015/01/15(木) 06:32:33 ID:W41QNet60
 
釈迦はウッダカラーマ・プッタを訪れたが
それも非想非非想処を得るだけで、真の悟りを得る道ではないことを覚った

村娘スジャータの乳糜(牛乳で作ったかゆ)の布施を受け
気力の回復を図って、ガヤー村のピッパラの樹(菩提樹)の下で
「今、悟りを得られなければ生きてこの座をたたない」という固い決意で観想に入った

その結果
「この悟りの内容を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうし、了ることはできないだろう
 語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った

ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)

身体について…感覚について…心について…諸法について…
(それらを)観察し、熱心に、明確に理解し、よく気をつけていて、世界における欲と憂いを捨て去るべきである

『みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として』

四念処(四念住)の修行を実践するように『自灯明・法灯明』の教えを説いた

ttp://blog.goo.ne.jp/hhynk/e/5dfd915e6ed70b389d597c53a110d757
大念住経(大念処経)
『自分だけではない・周囲環境だけでもない』と知覚して住むことである

10おじゃる:2015/01/15(木) 06:34:38 ID:W41QNet60
 
バラモン教(ヒンドゥー教へと発展・継承されていく)
『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、司祭階級が行う祭式を中心とする
そこでは人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命(輪廻)が決まる
人々は悲惨な状態に生まれ変わる事に不安を抱き、無限に続く 『 輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める 』

仏教
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は『輪廻からの解脱』の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり、『輪廻からの解脱』を目指す

ttp://www.tibethouse.jp/culture/37_04.html
チベット・ニンマ派
『苦集滅道によって→煩悩障(自己に対する執着)と所知障(外界のものに対する執着)を取り除く』と導いていく


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