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[人生相談板] 悟りを開いた人に聞いてみるスレ の避難所10

110避難民のマジレスさん:2014/09/24(水) 23:25:58 ID:XcGbfdZI0
対象スレ:坐禅と見性第99章君子南面、君子は南に向かい坐る
粘着することによってのみ存在しうるそこらのゴミ在日の食用狗厚顔無恥ID:yV3xRK7g

野狐禅とは、禅宗において、禅に似て非なる邪禅のことである。正邪があるのか。
「無門関」第二則の「百丈野狐」に出る語である。公案だが。
野狐は低級な妖狐の1つを意味する。差別は無いぞ。
野狐精、野狐身、また生禅ともいう。結局、なに?
「仏法は無我にて候」として真実の仏陀は自我を空じた無我のところに自覚体認されるはずのものなのである。
徒に未証已証という、独り善がりの大我禅者をいう。
いわゆる魔禅の1つ。
 以上、Wikipediaより引用抜粋・・・アラララァ〜 ̄|_|○ドテッ

 この公案、禅に関心を持つものなら、知らぬ人はいないだろう。知、不知を言うのか!?
一老人が、弟子から『悟った人は、因果に落ちますか』と訊かれ、『悟った者は因果には落ちない』と答えたが、五百生の間、野狐身に墮ちてしまった公案である。
つまり、悟りの境地にない者が、自ら悟ったと独りよがりで増上慢の魔禅、似非禅を例えたものである。不落で良い。
また、野狐禅が、如何に人生を無駄にさせ、狂わすことになるかという事例でもある。そこには、無い。
この例えを、実地に身をもって示してくれているものが、ポッタンというこのスレ主である。そうかあ、ども!
キャバレーの女から金色の炎を見て悟ったと言い、自称、独覚(どっかく)無師独悟(むしどくご)のポッタンである。無視しよう。
 しかし、その説法は真理さとりの連発である。そそ。
一貫した特徴は、禅を心のあり方としてではなく、知的に理解するものと根本的な勘違いしていることである。禅は非心である。
それ故、言葉に執着すること尋常で、文字語句を追いかけては振り回され、転倒(てんどう)するものが、多い。踏んだ、踏んだ。
曰く、「悟りとは自由と平等である」。曰く、「眼横鼻直とは、目は水平で平等である、鼻は直(たて)で主体性を言う」。
曰く、「主人公とは右頬を打たれたら、左頬を出し相手をして打たせることである」、また、最近では、「同行二人どうあんふたり」などと舌鋒鋭い。
時には、道元とはかけ離れた現在の「曹洞宗は色即是空はあっても、空即是色がない」 と、見事に喝破する。
これらの爽快な快挙を集めれば優に数冊の本が出来る程である。
ポッたんは十牛図の言う「にってんすいしゅ」 空即是色の体現者である。
これからも禅の大道(だいどう)一本道(いっぽんみち)を指し示してしてくれる。
 だが諸氏の中に、こころある人があれば、野狐の公案の真正面から参禅していくのがよいだろう。
このスレは、進む方向性ベクトルを同じくするものの集(つど)いである。


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