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やる気が出る法

226避難民のマジレスさん:2015/09/29(火) 17:55:02 ID:jDggCKfs0
現生駒聖書学院学院長栄義之の話によれば、生駒IBCは、教義的には三位一体ということだが、しかしなぜか洗礼だけは、「主イエスの御名によって」なされているという。

この筆者は、神学にはまったく暗く、洗礼が「主イエスの御名」によってなされていることがワンネスと三位一体の違いを象徴的に外形的に表す基準だ程度に理解していたので、この話を聞いた時は、頭の中は??????で埋め尽くされたのだが、そこは素人の強み、「へぇそうなんだ」と合点して先に進むこともできる。しかし、世の中には、父と子と聖霊の御名による洗礼を受けた人が、それは本当の洗礼ではなかったと、改めて「主イエスの御名」による洗礼を受けたり、またその逆のケースがあったりということを見聞きすると、実はこのあたり、もう少しきちんとしておくべきだという気になる。

しかし、レナード・クートはそこにはまるでこだわりを持たなかったようだ。

クートはもともと石鹸のセールスマンとして(生駒聖書学院再開後2期生堀田孝雄情報、ただし自伝では石鹸会社社長秘書としてとある)1913年に日本に来日し、ソーントン宣教師の家の2階に下宿しているうちに回心を経験し、伝道者としての歩みをはじめた人であり、しっかりとした神学的トレーニングを受けたことはない人であった(堀田によれば、クートはアメリカ時代に使徒2章で神学博士号を取得しているが、そのときにはすでにサンアントニオのIBCを創設しているから、訓練を受ける側ではなく施す側の人間であった)。

そのためかどうか、太平洋戦争をはさんで、彼の神観は三位一体とワンネしかしクートは、1950年、生駒の聖書学院を再開し、自分の聖書学校に君臨し始めると、UPCIを離脱し、日本ペンテコステ教団を再結成する。現生駒聖書学院長栄義之によれば、この教団は、洗礼こそ「主イエスの御名」によって施すが、教義的には三位一体である。(いくら読み直しても????) スの間を行ったり来たりしているように見える。それもかなりご都合主義的に。


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