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なめなめおじさんに聞いて見るスレ

83 エッチでリッチな なめなめおじさん ◆sQELVfrnG.:2014/04/14(月) 19:30:32 ID:8QQmyexk0
Q.釈迦が悟ったものはなにか? 苫米地さんの解釈は正しいですか?

色即是空、空即是色は間違いだそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=6U9EURzHXQg



ベストアンサーに選ばれた回答

「釈迦が悟ったもの」について、動画の中で苫米地氏が言っていることは、言い方は様々な言い方で言えますが、基本的には正しいです。
悟りとは「すべてのものが同じように重要だったときに、釈迦に見えたもの」であり

「自分とは、今の自分だけを選び出す部分関数であり、だから自分を正確に見ることができると、宇宙を正確に見ることができる」
大雑把に言うと、苫米地氏が言っていることはこういうことです。

ただ、悟りについては、もっと簡単に、もっと適切な言い方ができます。
苫米地氏自身も言っている通り、自分とは実在しない「点」そのものです。
それは概念であって、実在するものではありません。

しかし、(自分の)意識や身体は実在しています。
つまり、悟りとは「自分は実在ではないこと」
「ここで実在している意識や身体は、自分ではなく宇宙であること」に気づくことです。

その時、これに気づき、これを体感しているのは(自分ではなく)宇宙ですから、
全宇宙のありように正確に気づくことができるのです。
この説明の仕方の方が理解しやすいのではないかと、ぼくは思います。

「色即是空、空即是色は間違い」については、苫米地氏自身の空の捉え方に問題があるのではないでしょうか。
(まず前提として、般若心経が「由緒正しい」ものであるかどうかということは、今のぼくたちにとってはどうでもいいように思います)
彼は空を、何よりも情報量の少ない概念(有と無の上位概念)として、彼自身の情報空間の中に位置づけていますが、この空の捉え方は根本的に間違っています。
空はいかなる概念としても位置づけることができません。

ぼくは空を、宇宙の実相(真のありよう)と捉えていますが、これは当然、本来概念に置き換えることができないものです。
色(苫米地氏は物質と言っていますが)は概念であり、空は概念に置き換えることができません。

したがって、論理的には<色即是空 空即是色>はそもそも訳が分からない言葉なのです。
ただ、そうなっているのは、自我がこれを認識対象として扱っているからなのです。
自我が実在でないことに気づけば、つまり悟ってしまえば、そこに見えるものは色であり、同時に空なのです。
悟らなければ、<色即是空 空即是色>の正しさは理解できないのです。


http://www.youtube.com/watch?v=6U9EURzHXQg


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