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なめなめおじさんに聞いて見るスレ
316
:
避難民のマジレスさん
:2014/09/11(木) 23:33:51 ID:XcGbfdZI0
仏教聖典を真っ向から読んだのはいつの事だったろうか。
家の宗教のお経は、幼稚園前から祖母のそばに坐って、ある程度はソラで言えてた。
もちろん、呪文のようなものであって、意味など分かるはずも無い。
でも、祖母は喜んでくれて、お菓子を手渡し、ほめてくれた。
それが最初だろうか。
高校生だったか、ラマ教僧侶の「第三の目」と言う本を読んだ。
この場所にいて地球の果てであれ見に行けるのだ、と言う奇跡を書いた本だった。
以後、仏教聖典から離れて、20代後半に夜船閑話(やせんかんな)の文庫本を買い、いつでもどこへでも持ち歩いてパラパラとページをめくっていた。
つまり、まったくの意味不明だった。
ある日、ブリジストンの変速機のついた折りたたんでバッグに入れたら、電車に乗って移動できると言う優れものの待ち乗りデザインのマウンテンバイク・・・
この自転車のうしろに文庫の夜船閑話(やせんかんな)をくくりつけたまま置いて、一本立ての映画を観た。
帰りに自転車が見当たらず、したがって夜船閑話(やせんかんな)も見当たらず・・・
自転車はメーカーの保険で同じものが後日戻ったが、肝腎の夜船閑話(やせんかんな)は保険適用外で戻らず終い。
かってにこれは機が熟してないと判断、あきらめる。。
次は30過ぎてから。
これは読んだ、読んだ、必死に読んだ。
仏教聖典の全集を1冊、1冊、と丁寧に読み込んでいった。
現代語に訳されていたり、サンスクリット本も参照されてたりしたので、二つの文化のありようも面白いものだった。
この時期はとにかく読み漁っていた。
そう言うなかで、しだいに禅の分厚い本を読むようになった。
そう言うとき、カトリックの神父だったのか、プロテスタントの牧師だったか、片手の公案、に取り組んだが、遂に、七転八倒の挙句分かりませんでした、と言う本を読んだ。
片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい、と言うものである。
次に日本人神父が禅の公案に取り組んでさとった、と言う本を読んだ。
わたしは、片手の人がたたく拍手の音を聞いてこい、に取り組んだ、そして、聞いた。
聞いたが、聞こえ無い、色即是空は、空即是色と返すである。
そこが、揀.擇(けんじゃく)しない、である。
夜船閑話(やせんかんな)
http://www.geocities.jp/sybrma/310hakuin.yasenkanna.html
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