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なめなめおじさんに聞いて見るスレ

285避難民のマジレスさん:2014/08/12(火) 23:15:21 ID:Bwz0R3.60
(雲門録・うんもんろく)
東山水上行・とうざんすいじょうこう

ある僧が、雲門(うんもん)禅師(ぜんじ)に問いかけます。
「如何(いか)なるか是(こ)れ 諸仏出身の処(しょぶつしゅっしんのところ)・悟りの境界(きょうがい)、 とはどういうものでしょうか」。
雲門答えて云(いわ)く。
「東山(とうざん)水上行(すいじょうこう)」、


聖書にあるイエスキリストの奇跡に似たものか、と以前は思っていたので、それ以上には深く受け取らなかった・・・
湖の向こう岸へ弟子たちが船で先に渡っていく時、あとから追いかけてきたイエスが船の横を歩いて供に湖をわたった、と言う奇跡談の事である。
イエスのそれは、信、不信、を問うものだ。
そのようなものかと思っていた。

東山水上行も、東山と言う人物が、イエスのように水上を歩き渡っているのだと、思っていた。、ヽ`(~д~*)、ヽ`…(汗)
伊賀流だったか、甲賀流だったか、忍者が木製の「みずぐも」を履いて城のお堀を歩いて渡る、様な事を言ってるのではなく、まさに水と一如で、吹き渡っていくのだと、思っていた。
 東山とは、個人名ではなかったアセアセ(;^ω^)タラー
東山と言う連山のようである。

東山は水である。
水が東山である。
湖と湖に映った東山は、これとそれに分けようにも、分けられない。
そこが、一の如しである。

東山が、満々たる湖の面(おもて)に姿を映している。
湖に映る東山は、わたしが歩めば、わたしとピッタリ同じく歩む。
わたしが止まれば、東山も止まる。
二は、二では無い、一如である。


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