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なめなめおじさんに聞いて見るスレ

146 エッチでリッチな なめなめおじさん ◆sQELVfrnG.:2014/04/23(水) 18:38:02 ID:8QQmyexk0
結摩経とはどんなお経なのか

結摩経が書かれた時代は、日本では縄文時代であり、かたやインドは貨幣時代。そのなかにはまさに現代にも通じる様々な出来事—-差別や欲望から発生する悩みや苦しみ、等々、があり、それらの悩みからおこる苦しみから開放されるにはどうしたらいいのか。

この時代の一般人である、結摩居士が、知恵の文殊たちとの様々な問答を行いながら、真理を追求するという形だそうで、まるで演劇をみるような、シナリオ形式になっているとのこと。

そのやり取り、会話はわくわくするようなものだそうですね。

悩みを抱えながらも、忙しい市井の人びとは、そんな座禅なんか組んで悟りを開くことはできない。そんな時間もない。一体どうしたらいいのか。だいたい出家なんかできない。

結摩経では、そんな人びとの訴えに様々なアプローチを通して、だれでも悟りをひらくことができるんだと述べているようですが、その考え方とは—-

結摩経の教えること。

森谷さんは、まず、縁という考え方が大変重要な位置を占めているとおっしゃっています。

縁というと、なにか古くさいもののように感じてしまいますが、それは物事を成り立たせているあらゆる条件、というか。

私たちが、いま、ここにいる、ということ。それはなにかが一つかけても、成り立たないことである、というぐらい、様々な事象から成り立っている—-それらのこと、一つ一つが縁であるとおっしゃっています。

例えば、このインタビューも、森谷さんがいて、聞き手の住田アナウンサーがいる。住田さんは森谷さんに会いに、この場まで様々な交通機関を使い、やってきました。もし、途中で住田さんが交通事故に巻き込まれれば、いまはありません。

縁とは、それらを成り立たせている条件であると、森谷さんはおっしゃっています。

このいま一瞬のためにすべてがある。

縁とは非常にミクロとマクロまで形づける、有機的に絡み合った、コスモロジーの世界であると。

一瞬であるということは、その次の一瞬というように、たえず変わります。変化しつづけること。それの連続であるということ。

で、あるならば、私たち自身も変わっているわけですよね。私たちの頭の中も常にちがうことを考えています。意識する、しないにかかわらず、猛烈なスピードで、流れています。

わたしが変わるなら、他の人もかわっている。人に対する固定観念は当然まちがってきますよね。

あの人はよい人だった。そのことは固定的ではありません。そのよい人が、罪をおかすこともある。なぜなら、一瞬でかわっているのだから。

善悪はとなりあわせ。実は同じものである。

罪を犯した人が、では善人となることができないのか。そんなことはないだろう、と。

ここにすべてが平等である、という考え方が成り立つであろう、というのが結摩経では説かれている、と森谷さんは、大変わかりやすく (注 : もちろん、きいているわたしの解釈がはいっていることはお許しください)おっしゃっています。

そして空。

これは般若心経でも出てきますが、空とはどういうものか。

つづく


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