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悟りのヒント
371
:
避難民のマジレスさん
:2014/03/10(月) 07:40:50 ID:.d0FHAfQ0
渡辺玄宗
http://www.ryusenin.org/content/view/158/41/
泉龍寺で本格的な仏道修行を始め、基本的な仏教の勉強をしました。その後、28歳の時、富山市の修行道場である光厳寺に移り、36歳まで8年間修行僧として過ごしたのです。禅宗の雲水修行はもともと、出家得度したお寺で基本を学び、何年かしたら天下の修行道場で本格的に学び、そこも長くは居ないで、他に何カ所で修行して、最後は大本山に登るのが、修行の一つのパターンであったのです。
光厳寺時代には、東京哲学館(現東洋大学)仏教専修科に入学し、3年後に卒業し、さらに比叡山に登り天台教学をみっちり学びました。
36歳の時、初めて永平寺に入門し、2年間修行しました。この間、眼蔵会などがあり、大変打たれるところがありました。その中で、玄宗禅師は自問自答して、「自分は頭が悪いから、とても学者にはなれない。自分は口下手だから布教師にもなれない。残るは坐禅をするしかない」という結論に達したのです。永平寺時代に生涯坐禅に生きる覚悟を決めたのです。
若い時に一念発起して、自分を見つめ直し、生涯の進路を決めることは大事なことです。大成した人は皆そうしています。
永平寺の2年間の修行の後、今度は鎌倉の円覚寺で5年間修行しました。昭和の初めごろまでは、宗派を超えて修行することが出来る雰囲気がありましたが、今日ではそれはムリです。本来修行道場は、雲水がどこから来ても、受け入れられるようにしなければならないと思います。
44歳の時、富山市の光厳寺の住職に迎えられ、雲水の指導にあたることになりました。しかし玄宗禅師は、まだまだ本当の自分を決着していない、本当の自分を分かっていないと悟り、56歳の時、再度円覚寺に行き、宮地貫首について修行することにしました。2年半の修行の後、宮地貫首から印可証明を受けたのです。円覚寺では都合7年半、徹底的に臨済宗の修行を行ったのです。
純粋寄り臨済宗禅系、せったんと毛並みが違う師匠の下の修行に戻った訳か・・・
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