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悟りのヒント

151避難民のマジレスさん:2014/03/03(月) 06:26:55 ID:.d0FHAfQ0
145 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/02(日) 23:41:09.41 ID:Yn+8JKwp⑴ >セブン   長いんだが、w よければ読んでくれww



上記に「ブッダの沈黙」についてふれられていたけど、キリスト教の方
たちは維摩経という経をご存知でしょうか?
その中に「維摩の沈黙(一默)」というのが、あるのですが、基本、
ブッダのそれと同じだと思われます。

「不二の法門に入るとは、どのようなことなのか?」という問いに
対して、三十一人の菩薩たちが答え、最後に文殊菩薩が、
「一切諸法は語られず、論じられず、説かれず、述べられず、明記されず
言葉で表記されない。それが不二の法門に入ることです。」
と答えます。 続けて、維摩に見解を求めるわけですが、維摩は
それに「沈黙」もって答えます。・・・・・・

146 :パーピマン ◆hVgvvzQ7pw :2014/03/02(日) 23:42:49.20 ID:Yn+8JKwp⑵ これに対する解説として、元来、多く語られてきたことは、
①「自らの見解が「言葉によって説くことが不可能であること」による沈黙」
 (すなわち言語表現を超越した高次のもの)
②言語表現の不完全さの表明
と説明されてきました。  これは、まさに文殊菩薩が端的に『言葉でもって』
指摘したことです。 対して、『維摩は同じことをより端的に』「沈黙」をもって
示した。・・・・・このような解説がなされてきました。
しかし、本当にそうなのでしょうか?

私の見解は違います。
維摩の問いに対して自己の見解を述べた時点で、もうそれは
「対象を立てた」ことになります。その見解が、どのように素晴らしいものでも
それは所詮、「二項の思考」なのです。
維摩が言いたかったことは、ただ一つ。 この三十二人の菩薩も含めて、
全ての衆生が「無明という病」にかかっている。
(ちなみに、この経では維摩が病にかかっていて、それを菩薩が見舞う・・という
設定になっていますwww  その辺も洒落ているところですがww)


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