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鬼和尚に聞いてみるスレ【1】

728473:2013/09/22(日) 23:40:15 ID:rv7HtzzQ0
無数のパターンの、自己の保全を顧みず、溢れる愛情とエネルギーをもって周りを幸せにし、そしてそれは帰ってきて、
いつ死ぬかもわからぬ生を楽しみ、師を楽しむ、という観念がある。

しかし、こういったを観念当てにしようとした途端、私の存在の次元は観念に堕ちてしまう。
自分の自然、宇宙の自然、今ここ、ではなく、根拠のない観念が作り出す幻がそれにって変わろうとしてしまう。

そして、決してとってかわれはしない。
真実にはとってかわれないし、観念の次元に堕ちるということは、全ての観念が自分にとって力を持つということを意味する。
自己保全の、権力の、恐怖の、金銭の、欲望の、それからの逃避の観念も同時に力を持つこといなる。

宗教的観念で己を偽るぐらいなら、肉体保全の観念に正直に生きた方がましだと言いたいところで、それはある程度正しい。
しかし、どちらも観念であるがゆえに、どちらかが完全に主導権を握るということは無い。
肉体保持だって、それを観念によってすると苦しいが、自然発生的に行うのなら苦は無い。

観念に頼るとどうなるのかというと、混乱するのだ。
全き混乱の中に人間はある。
その混乱ゆえに明快な生き方の指針を求めようとする。
しかし、その指針、新たな観念を求めるということが、混乱の次元、観念の次元にとどまらせる。それは悪循環なのだ。

結局できることは、ただ混乱しているという事実に覚め、自然発生的なものが出てくるのを待ち、ただそれに立ち会うということ。
宗教的な存在にあろうとせず今愛がが出てくるなら愛し、明日のための貯金ではなく、今稼ぐならただ、今稼ぐ。
ただ目覚め、自然発生的な生を生きるということが宗教の核心であり、そこにつなぐものとして道徳的なものはある。
いずれ捨てられるものとして祖師は語る。
さもそれに従うと解放があるかのように語るのは似非もいいところで、混乱の元凶だ。


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