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新エスペラントNEPO*進行中

1ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:18:27
NEPOとは、Nova Esperanta PosteulOの略です。
訳すと、新エスペラント後継者、です。

エスペラントは好く出来た素晴らしい人工言語ですが、
貴方は、次のように思った事はありませんか?

①エスペラントの単語は合成語が意外と少なく、
 ヨーロッパ語をそのままエスペラント化したような単語が非常に多くて、難しい。
②それゆえに、我々非ヨーロッパ人には不利で、不平等だ!

NEPOは、上記の点を改善したいと思ってる新エスペラント構想です。
現在のエスペラント最大の欠陥=語彙面に重点をあて、
「語根を整理、削減する事で民族的な不平等感を減らす」事を目指しています。
このスレで公開活動中です。貴方のアイデア募集中です。
>>2 説明目次

2ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:24:23
>>3 難しいな、の具体例
>>4 現状と原因
>>5 既存の対策
>>6 新対策NEPO
>>7 何を変えるのか-1
>>8 何を変えるのか-2
>>9 何を変えるのか-3
>>10 NEPOとエスペラント
>>11 活動方針
>>12 将来像

前スレ
NEPOを思いついたのは、「なぜエスペラントは普及しないのか?」スレの515です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1199456754/

方向性模索中の頃
「新エスペラントNEPO構想*アイデア募集中」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1249603204/

方向性が定まってきたので、スレ独立しました。

3ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:30:22
難しいな、の具体例

エスペラントを初めて知った時、期待に胸を膨らませたあの頃。
数少ない語根を組み合わせれば、何でも表現できるんだって。
中立平等な国際補助語、ばんざーい!!
ところがどっこい、そうではなかった・・・

①お店はvend-ejo、病院はmal-san-ul-ejoと造語する、と入門書には書いてあったのに、
butiko(ブティック)、hospitalo(ホスピタル)が普通に使われてると知った時の、軽い幻滅。

②teoが紅茶で、緑茶はverda teo。ŝakoはチェスで将棋はjapana ŝako。西洋中心主義だなー。

③litero(文字)とletero(手紙)、klubo(クラブ)とklabo(こん棒)、humoro(気質)とhumuro(ユーモア)などなど、
似て非なる単語があって間違いやすい。英語ではletter、club、humorと同じ単語である。
西洋文化の中で生じた多義語が、そのままエスペラントの単語に受け継がれてるんだね。

④instru-isto(教師)、kurac-isto(医師)など、-istoは従事者を示す接尾辞、と入門書にはあったのに、
弁護士はadvokato、外交官はdiplomato、編集者はredaktoroと言う。
便利な-istoを使わないから、単語知らないと、それが人だとも分からなかった。

⑤diplomat-oは外交官だけど、外交はdiplomati-oで、それぞれ別の語根である。
同じ語根から造語すればいいのに。

⑥一神教をunu-di-ismoと言わず、monoteism-oとする。monoはお金、teoはお茶、なのに。
このように、学術語は西洋で共通した用語があり、それがそのままエスペラント化している。
学術語だけでなく、一般人でも使う政治用語も同様です。
憲法konstitucio、内閣kabineto、国民投票referendumo、委任mandato等々、
西洋共通の単語をそのまま使ってる。非ヨーロッパ人には明らかに不利だ!

⑦西洋の文化が分からないと区別できない単語もある。kukoとtorto、valizoとkofro等々。
同じような物をそんなに細かく分けられても、異文化人には理解できず、困る。

⑧同じ「砂浜」を表すにも、ドイツ語系のstrandoと、フランス語&スラブ系のplaĝoと、
二種類の言い方がある。喧嘩せずに統一してくれ!と思う。

等々、私は思ったんですが、他にもありませんか?

4ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:36:17
現状と原因

・現状
「具体例」であげたように、今のエスペラントには、ヨーロッパ人の都合に合わせたような単語が満ち溢れています。
それゆえに我々非ヨーロッパ人は「不平等感」を感じ、「エスペラントは中立平等な言語ではない」と思うのです。
なぜ、このような事になってしまったのか。

・原因
人間には、「楽したい」という本能があるのでしょう。
誰でも、自分の母語が「楽」です。人工語も、自分の母語に近ければ「楽」です。
母語のイメージのまま、エスペラント単語も言えたら、すごく「楽」です。
ヨーロッパ人は、dolĉ-aĵoですむ物を、kukoだtortoだと分けたがる。
その方が自分のイメージに合ってて「楽」だからです。
日本人だって、箸はhaŝioと言いたいでしょう。弁当をbentooと言えたらすごく「楽」でしょう。

西洋ではどの国でも、外交官をdiplomatoのように言う。
だからそのままエスペラント化されたのですが、その理由はやはり「その方が楽だから」です。
これに対しては、ザメンホフの15条目の条文が正式許可を与えてしまったという、別方面からの要因もあります。

ヨーロッパ人の気持ちになって考えれば、エスペラントが今のような状態になるのは至極当然の事なのです。
エスペラントはヨーロッパで生まれたし、発展したのもヨーロッパだから、ヨーロッパ人達が楽なように発展した。
ただしそれはヨーロッパ人には楽であっても、非ヨーロッパ人にはそうではなかった、という事なのです。

5ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:39:44
既存の対策

今の状態が改善されればいい、という想いは、今のエスペランティスト達の中にも、十二分にあります。
今までは、次のように言われてきました。

エスペラントが広まって、非ヨーロッパ人が使用すれば、ヨーロッパ語直訳単語だらけの状態も
「自然に」改善されるでろう、という説。

しかしもし、日本人エスペランティストがヨーロッパエスペランティストに対抗して、
日本語由来の単語を広めたとして、はたして、それによって「改善」されるのかどうか。
語根数が増え、混乱し、日本人以外の非ヨーロッパ人には、ますます分かりづらくなるだけです。
その上、数多の諸民族がそれぞれ「自分達が楽」な単語をエスペラントにどんどん導入したら・・・
収支がつかなくなるのは目に見えてます。

また、ヨーロッパ語由来の長い単語を、基本語根を組み合わせた合成語に置き換えよう、という提案も古くからありました。
古くから提案されてるものの、未だに、そちらが主流にならないのはなぜでしょう。
どんなに良い提案であっても、ヨーロッパ人は当然、旧来の楽な言い方を選択するでしょう。
また、習慣という面も無視できません。
日常頻出語であれば尚の事、一人の個人がどんなに優れた提案をしたとしても、
その他の多数が素直に受け入れるはずないです。
いつか「自然に」エスペラントは改善するだろう、と言われても、先が全く見えない状態なのです。

そんな八方ふさがりを打破したいのが、NEPOです。

6ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:41:31
新対策NEPO
エスペラントの「不平等感」は、今は多くの人に自覚され、
「エスペラントは中立平等の言語とは言えないのだから、中立平等の看板を下ろすべきだ」という意見も、ごく普通に見受けられます。

もし本当に中立平等の看板を下ろしたら、エスペラントは「国際交流語」としての価値を全く失ってしまうでしょう。
そんなエスペラントは、不平等であるが国際語化した英語と、一体何が違うのでしょう。
英米人だけが優位な英語と、ヨーロッパ人だけが優位なエスペラント。
非ヨーロッパ人にしたら、不利なのはどちらも同じです。

NEPOは、エスペラントを、「国際交流語」の名に値するものに変えたいのです。
そのためには、非ヨーロッパ人が感じる「不平等感」を無くす事です。
そうすれば、エスペラント本来の理想である「中立平等」に、今よりは近づくのではないか。
「国際交流語」と名乗るにふさわしい言語になるのではないか、と思っているのです。


また、「現状と原因」で述べたように、エスペラントは「自然に」は改善しないでしょう。
改善は「自然に」ではなく、「計画的に」行う必要があります。

つまり、NEPOとは、
「不平等感」を軽減したエスペラントの改訂版を「計画的に」作っておこう、
とする企画なのです。

7ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:45:01
何を変えるのか-1
NEPOでは何を変えるのか、大体の方針を示します。

①音素
音素は、変えません。
エスペラントには、ある人にとっては発音しにくい音素、が含まれています。
けれども、発音しにくい、しやすいというのは、その人の母語や経験によるのです。
誰かにとって発音しやすい音素でも、他の誰かにとっては発音しにくい。逆もしかり。
何をどう変えても誰かが不満になるのです。
世界の民族語で共通的に表れる音素というものも存在しますが、その数は少なく、
語彙を構成するのは不利となります。よって、今のエスペラントの音素を継承します。

②文字
文字も、変えません。
ラテン文字を使用してる時点で不平等じゃないか、という意見もあるでしょう。
しかし、新しい文字を発明したとして、それを覚えられるでしょうか。
世界には様々な文字体系がありますが、世界一普及してる文字は、ラテン文字がダントツです。
NEPOは「平均的な分かりやすさ」を重視して、ラテン文字を継承します。

また、比較的不人気の「字上符」ですが、これも継承します。
この山形記号のおかげで、ぱっと見でエスペラントと分かります。
エスペラントのアイデンティティとして継承します。

③文法
文法は、今後の意見交換により、是非とも改造を、という箇所があれば改造がありえます。
その際は、変更は最小限となるように、しかも、例外を作らない事を最前提の条件として、綿密に検討しなければなりません。
例外が無い、というのは、「覚えやすさ」の点で最も重要であると考えるからです。

エスペラントの文法は、類型的には屈折語と言われる印欧語の文法を、極度に簡略化したものです。
この文法だけで不平等じゃないか、という意見もあるでしょうが、文法は単なる規則です。
最も単純な形に整備され、誰にとっても比較的理解が容易であれば、「類型」にこだわる必要はないでしょう。
ただし、今のエスペラント文法にも、複雑すぎる点、区別が困難な点、というのが無いわけではありません。
そういった点においては改造も視野に入れてます。

8ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:49:19
何を変えるのか-2

④語彙
非ヨーロッパ人が今のエスペラントで最も「不平等感」を感じるのは語彙面です。
よって、NEPOで大々的に変更するのは語彙です。
ヨーロッパ語直訳の長い単語を、語根を組み合わせた合成語にするのはもちろんの事ですが、
語根そのものも見直しして、数を大幅削減します。
語根は、覚えなければならないパーツです。それが少なければ使用者の負担も減ります。
誰の母語でもない交際補助語は、「覚える苦労」が少ない方が良いでしょう。

ここで重要なのは、見直し前の元の語根の「字面」は変えない点です。
今の基本語根も、語源は全てヨーロッパ語ですが、変えません。
それでは不平等のままではないか、という意見もあると思いますが、
もし、語根の「字面」を変えたら、エスペラント学習者が今まで覚えた単語は全て無駄になります。
何語でもない単語を導入したとしたら、厳密な意味で「平等」になるかもしれませんが、
「覚えやすさ」の面はどうでしょう。
ヨーロッパ語の単語は比較的世界に広まっていて馴染みやすいという長所があります。
その数を減らして、覚える負担を軽くすれば、例え語根の語源はヨーロッパ語であっても、
非ヨーロッパ人にとっての不利という想いは軽減されます。

ただし、既存の「字面」が、誤解を生みやすく著しい混乱の原因となっている場合は、
「字面」そのものの改定もありえます。

まとめると、NEPOでは、「厳格な平等」よりは、現実に即し、
「厳密には平等でないかもしれないが比較的万人に分かりやすい」という意味での「平等」を目指す、
という事です。
(この項、さらに続く)

9ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:52:35
何を変えるのか-3

④語彙(の続き)
さて、語根の数を削減する方法は
a.語根の意味を拡大する
b.似た意味の語根をひとつにまとめる
c.より応用力の高い接辞を考える
などが考えられます。

このようにすると、語根の「字面」は今と同じでも、意味内容が多少変わってくる可能性があります。
今のエスペラント単語は、ヨーロッパの単語と一対一に相当したものが多いですが、その点は変わるので、
ヨーロッパ人達にとっては、「今までの様にはいかないぞ」という事です。

語根は造語を作る上でのパーツとなりますが、
今までは、例え造語するにしても既存の語根を駆使して作らなければなりませんでした。
NEPOでは語根そのものを変えることが可能なので、今までのパーツに囚われる事なく、
全く新たな自由な発想での造語もできる事になります。
その点が、既存の枠内での改良案とは、根本的に異なる点です。

語根を減らして表現力が落ちないか、という懸念もあると思います。
NEPOは「国際交流」に目的を特化した言語になると良いと思います。
「国際交流」には、民族性に依存した、同一文化に所属する人しか理解できないような単語は、
個別の語根としては全く必要ないと思います。
今まで存在していた単語は、基本語根による合成語に置き変えれば、同じものが表現できます。
そのようにすれば、表現力そのものが低下するという事はないでしょう。

まず、自分が当然と思ってる事が相手にとっては必ずしも当然ではない、という事を意識できるようにしたいです。
その事を自覚して、人類として共通な感覚の上に立って交流できるような言語にしたいです。
よって、今後の語彙設定で最も意識していくことは、
「民族性に依存していないか」「人類共通的であると見なして良いかどうか」という事になります。
簡単なようで非常に難しい作業になると思います。
上手く成功するかどうかも未知数です。
ただ、多くの人から有意義なアイデアを集められたらいいな、と思ってます。

10ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:55:57
NEPOとエスペラント

昨今、「エスペラントは中立平等じゃないじゃないか」と、あからさまに批判されています。
厳密な意味での「中立平等」を目指した人工語も続々開発されつつあります。
エスペラントが今のままで止まっていたら、いつかは、人々から見放されてしまう可能性が高いです。

エスペラントには独特の魅力があり、歴史も長いです。
そんなエスペラントを「過去の遺物」にしてしまいたくはありません。
そのためには、本来の理想である「中立平等」になるべく近付けるよう改善を模索するべきです。

NEPOはエスペラント語で「孫」の意味です。
エスペラントの改造版でIDOというのがありますが、「たび重なる改造で結局見限られた」と言われます。
NEPOもエスペラントの「改造版」ではありますが、IDOを反面教師とし、
改造するにしても同じ過ちは繰り返さないようにしたいものです。

「孫」であるNEPOのお爺さんは今のエスペラントです。
お爺さんの良い点を継承するとともに、お爺さんの時代では成しえなかった点を、
世界規模の視点で見直して変えていくのが「孫」です。
偉大なお爺さんは今はまだ頑張ってくれてるけど、いつまで「もつ」か。
「もしも」の時に、大事な遺産を継承してくれるのが「孫」です。

NEPOはエスペラントを「改造」するものではありますが、直接には改造を求めません。
今のエスペラントと併存する形で、次世代エスペラントとして、これから徐々に形作っていこうと思います。
そして、今のエスペラントではいよいよ駄目だとなった時、その時がNEPOの出番です。
NEPOは今、構想が生まれたばかりなので、完成には時間がかかります。
その間、今のエスペラントで何としてでも頑張ってもらいたいです。
エスペラントとNEPOは決して「敵」ではなく、先代と後継者、という、お互いにとって必要な存在なのです。

「何を変えるのか」で説明したように、NEPOは、見かけ上はエスペラントと、ほとんど変わらないでしょう。
NEPOは、現在のエスペランティストが活動したり学習したりしていく中で、
「ここが直ればいいのに」という想いを受け止め、未来につなぐ役割も担ってます。
そのためには、今のエスペランティストから見て、違和感なく今後を託せる存在である事が重要です。

また、現在のエスペラントの豊かな遺産を引き継ぐためには、
エスペラントからNEPOへの翻訳が容易となるように、考えておく必要もあります。

11ベダウリンデ:2009/08/24(月) 09:58:16
活動方針

NEPOは、今のエスペランティスト達の「こうだったらいいのに」という想いを体現するものです。
なので、NEPOには「特定の作者」は存在しません。
エスペランティスト達の総意から形成されるものであるのが理想です。
危機感を共有し、NEPOの趣旨をご理解して頂ける人が、今後増えてきたらいいな、と思います。

今のエスペラント活動で十分満足しているエスペランティストの皆さんの数が多いのは知ってます。
ただ、その方々の全ての人が、今のエスペラントに言語的に十分に満足してるとは限らないようです。
英語よりはマシだから、普及してない他の人工語よりはマシだから、と、
消去法でエスペラントを選択してると自覚してる人が多いです。
そのような方にとっても、前向きな発想転換をして、本来の理想を追い求めてみる、夢を形にしてみる、
というのは、案外と楽しい事かもしれません。

活動は今のところ、「この掲示板でテキトーに意見を出し合う」程度です。
様々な視点での、雑多な意見を集めたいです。
書き込みしたから、とメンバー扱いはされません。お気楽にどうぞ、です。

初心者大歓迎です。
今までのエスペラントの常識にとらわれない自由な発想を、むしろ、求めています。
初心者の人が「ここが難しい」と思った点は、他の非ヨーロッパ人の誰かも同じように感じてるかもしれません。
その感覚を忘れないうちに、ここに書き込みしてほしいです。

ベテランさんは、今までのエスペラントに馴染みすぎて、新しい発想はなかなかできないでしょうが、
「そこ矛盾してる」というつっこみとか「昔は〜と言っていた」とかいう情報なら大歓迎です。

そのほか、学問一般に詳しい人も、いたらいいですねー。

12ベダウリンデ:2009/08/24(月) 10:04:59
将来像(楽したい本能への対策)

NEPOは、民族間の「不平等感」を無くすのが最大の目標です。
特定の民族だけが理解できる概念は、なるべく排除したいです。
しかし、「現状と原因」で述べたように、人間には「楽」したいという本能があります。
人工語では、自分の馴染んだ言い方をしたくなるのが当然なので、
何の対策も打たないでいると、今のエスペラントのように、無条件に「弱肉強食」の状態で、
どんどん新語が流入してしまう結果となるでしょう。それに歯止めをかけるには・・

①民主的な決定機構
NEPOでも将来的には「新語導入」を検討する必要が生じると思います。
時代の流れに従って、何らかの対処が求められる事もあるでしょう。
その時に「野放し」にするのではなく、民主的な機構を通じ、綿密に検討した上で決定して、公表できるようであってほしいです。
また、誰でも平等に新情報を得られるような工夫も必要です。
現在のエスペラントでは、現代的な概念に対し、どのような単語を用いたら良いのかという情報がほとんど得られない状態です。
将来のNEPOには、オープンで、民主的に物事を決定をする統括機構のようなものがあったらいいなーと思います。
そのためには、今から、「民主的に」、自由な意見交換を重視した活動ができたらいいな、と思ってます。

②部分的自由化
NEPOは国際交流に特化するため、特定の民族語を意味内容まで丸々一致させてエスペラント化したような単語は、使用を控えるべきです。
そうする意識がNEPO使用者には求められますが、
一方、民族性に依存したまま「楽」したいのも、捨てがたい本能です。
個人的に気楽に、ブログや小説を書きたい人もいるでしょう。
また、同一の文化背景を持った者同士の交流も考えられます。
特定の学問分野で議論したい人や、インターネットで特定のジャンルの用語を駆使したい人などです。
そのような「文化を共有する」人々向けに、対象限定のオプションがあってもいいか、と思ってます。
国際交流に目的を限定した、特定の文化に依存しない基本版NEPOがまず存在した上で、
範囲限定ならば、そこからはみ出してもいいですよ、と一部自由化する。
それらは登録制団体のような形を取り、基本版NEPO訳を併記した「専門用語集」のようなものを公開してもらうようにする。
そうすれば、部外者から見ても翻訳可能となります。
そのような形になれば、ヨーロッパ文化に依存した現在のエスペラントも、「ヨーロッパ文化」のオプションとして吸収する事ができます。
正式な出版物としては基本版NEPOで、少なくともその注釈付きとなるように、自主的に規制する必要はあります。

つまりNEPOでは、自主規制と部分的自由化を両方使い分け、
各自意識して「楽」したい本能をコントロールし、
今のエスペラントが陥った無秩序状態を回避できたらいいと思ってます。
そこまで意識高めるのは無理かな?
将来像なので、夢の夢、イメージの話ですが。

13ベダウリンデ:2009/08/24(月) 10:19:06
以上、自分なりに理想をまとめてみましたが、
今後の皆さまのご意見により、考え方が変わる場合も十分ありえます。
遠慮なく無くご意見お寄せ下さい。
NEPOは私一人ではとうてい成しえない「壮大な」企画だと思ってます。
色々意見を取り入れて、「みんなで作る」的になったらいいな、と思ってます。

14ベダウリンデ:2009/08/24(月) 11:12:37
前スレで大きな数の単位の話が出ました。
日本や中国では、数を4桁で区切るのに対し、エスペラントは西洋語と同じく3桁で区切るから、日本人には分かりづらい、と。
ちょっと調べたのですが、中国では古くは、1桁ごとに名前を付けてたのか、
十万が億で、百万を兆と言っていた、と辞書にありました。
ヒンディー語のサイトで調べたら、ヒンディー語では千以上は2桁で区切って名前があるようでした。

アラビア語、トルコ語は、千までは独自の民族語っぽいですが、
百万からはミリオン的な言い方をしてます。3桁で区切るのも西洋と同じでした。
ウイグル語でもそうみたいだから、この概念は結構古くから、イスラム教を通じて(?)入ってきたのかな??
などと思いました。起源はどこなんでしょうね? 
日本でもお金書くときは10,000円とか、3桁で区切って書くから、
世界的には3桁区切りが多数派なのかな、と思いました。

百万がミリオンという言い方は、調べた限りではどこでも共通的なのですが、それ以降は混乱が見られます。
ちなみに、エスペラントでは、miliardo十億、biliono兆、trilionoがその6桁上となってます。
この、ミリアルド系、ビリオン系、トリリオン系は、他の民族語でも同じような言い方をしますが、
どの数値にあてるのかで混乱してます。
十億にミリアルド系を使うのは主流派で、アラビア語、トルコ語でもそうでした。
英語ではミリアルドは使用せず、十億はビリオンを使います。(一部他のヨーロッパでも)
そして兆がトリリオンとなります。
アラビア語とトルコ語では、ミリアルドの次をビリオンとせず、ビリオン抜かして
兆をトリリオンと言う場合もあるようで、非常に混乱してます。
民族語ではそれでいいのですが、エスペラントではどうなんでしょう。
英語からの類推も簡単に入って来るだろうし、混乱の影響を受けやすいのではないでしょうか。

そこで考えました、新しい単位を作ろう、と。
メガ、ギガ、テラ、ってありますが、それも3桁区切りで、それぞれ、
百万、十億、兆、と同じ値らしいです。
なら、ミリオンはそのままで、十億ギリオン、兆テリオンとか、新語を作ったらどうか、と。

そのほか、日本中国その他向けに、4桁づつの区切り体系も、併用して考えてもいいかな、とか。
万のマリオン、億のオリオン、とか。
既存の枠にとらわれず自由に考えるって楽しいな、と思いましたよ。

15ベダウリンデ:2009/08/24(月) 18:02:52
数字についてもっと調べたんですが(調べる前は全く知らなかった)、
西洋式はショートスケール(英・露・トルコ)とロングスケール(仏・独など、ほとんど)があるのですね。
ミリオン百万までは同じで、
〜リオンが、3桁づつ変わっていくのがショートスケールで、6桁づつがロングスケール(みたいです)
エスペラントも基本ロングスケールなので、ミリオンとビリオンの間にミリアルドが入るのですね。
これではますます混乱するのが明らかとなりました。

メガ、ギガ、テラ式なら、3桁単位と決まってると思うので、やはり変更したいですね。

123,456,789,012,345=百二十三兆、四千五百六十七億、八千九百一万、二千三百四十五を訳します。

NEPO案(ショート)
cent dudek tri telionoj kvarcent kvindek ses gilionoj sepcent okdek naux milionoj dek du mil tricent kvardek kvin
エスペラント(ロング)
cent dudek tri bilionoj kvarcent kvindek ses miliardoj sepcent okdek naux milionoj dek du mil tricent kvardek kvin
英語(ショート)
hundred twenty-three trillion four hundred fifty-six billion six hundred eighty-nine million twelve thousand three hundred forty-five(合ってるか不明)

試しに日本式
cent dudek tri telionoj(兆) kvarmil kvincent sesdek sep olionoj(億) okmil nauxcent unu malionoj(万) dumil tercent kvardek kvin(分かりやすっ)

16エスペロ:2009/08/24(月) 20:12:51
Kara Bedaurinde...Pardonon pro desanponto je via deklamata projekto NEPO...
ベダウリンデさん・・・ご提唱のNEPO構想に水をさすようで済みませんが・・・

Mi mem kontentas pri la nuna E,cxar mi nur esperas ke E estu simple
komuna lingvo NUR inter europanoj...E ne celu esti eventula universala lingvo
inter cxiuj popoloj de la mondo...tio ne eblas...
私自身は、今のエスで満足しています・・・それは、エスはヨーロッパ人の間での
共通語でありさえすればいいと思うからです・・・エスは、世界の全民族間の「共通語」を
目指すべきではありません・・・それは不可能です・・・

Mi plue esperas ke E eliminu vortojn ne naturajn je parolantoj de europaj lingvoj:
ekz. malvarma→frida maldekstra→sinistra malfermi→uvri...
私は、さらにエスはヨーロッパ語の話者にとって不自然な語彙を排除すべきだと
思います・・・malvarma maldekstra malfermi...

17北辰:2009/08/25(火) 05:00:01
Volapu"k, Esperanto 以来一世紀の間に国際語案として発表されたものは三百
ぐらいあるようですが、その99%は案が発表されただけで終わっています。
1世紀を越えて実用されているのはエスペラントだけですが、この場合
その創始者が発表に先立つ5年ほど自分の言語案を試し続けていたことが
注目されます。
 詩や散文を作ってみる、作家・詩人の作品を訳してみる、その中で
言語案を使いやすいように手を加えていった。そのため発表後すぐ
多くの文献が現れて 実際に使える言葉だ、と理解されました。
 ここでは新しい国際語案(? 改良案?)が論じられているようですが、
ザメンホフの国際語案発表までの努力に学ぶところが多いかと思います。
理屈ではいろいろな考え方が出るでしょう。例外を設けたり、かえって
ややこしくなる感じもあるが ---- 最後は、理屈よりも実践です。
 案ができたら、詩でも散文でも、形あるものを見せてもらえればいいな。
実用できるかどうか、見る人が判断できます。Fundamento に反しない限り
実用の自由度は大きいので、エスペラントで活用できるものが
あれば おもしろい。

18ベダウリンデ:2009/08/25(火) 17:30:48
エスペロさん、北辰さん、興味が無い人には、決してお勧めしません。
今までのエスペラント運動を、どうぞ頑張って下さい。
NEPOは「エスペラントの保険」です。もし「不平等」が原因で人々から見捨てられた時の。
NEPOは壮大すぎる企画なので、どっちにしろ、出来上がりまで、何十年もかかるでしょう。
それまでは今のエスペラントが長く継続するように、
御自身の信念に基づいて、是非、頑張ってほしいです。
これやってお二人に迷惑をかけるような事は何も無いと思います。

19ベダウリンデ:2009/08/25(火) 17:54:43
ちょっと他を読んでたら、エスペラントにも敬語があったら面白い、みたいな事が書かれていました。
話題としては面白いので、検証してみます。
NEPOでは、どんな案でもないがしろにしないで、まず検討します。
それをどのようにして具体化するのか、且つ、それが本当に国際交流語としてふさわしい機能かどうか。
NEPOでは、「敬語あったら面白いね」
「エスペラントは生きてる言語だから、そのうち自然にそう変わるかもね」だけでは終わらないのです。

英語を除くヨーロッパ語では、二人称代名詞単数形にくだけた言い方と丁寧な言い方があるそうです。
一人の相手に対して二人称複数形を使うと丁寧になる。
その意識が、相手への尊敬となり、さらには、
お互いに対して二人称を使い分ける事で上下関係を表明するようになったらしいです。(参考「言語と社会」)

エスペラントではviが普通の丁寧な言い方で、二人称親称ciもあるけど、もう死語みたいですね。
つまり、相手を選んで二人称を使い分ける事はしない。不要な語だったので自然退化してしまったのでしょう。

英語も二人称使い分けは無いですが、丁寧な、気を使った言い回しはあるらしいですね。
エスペラントでは、頼む時はbonvolusを使うと丁寧だ、と入門書にはありますが、
丁寧表現と敬語表現とは、微妙に異なるようにも思います。

他の民族語では、丁寧さや上下関係を表すために、語彙や文法まで変わる場合がある。
日本語だけでなく多くの言語で存在し、その方法は想像もつかないのですが、
日本語の例で考えてみます。

a.新たな語彙を増やす。「言う」と「おっしゃる」の使い分け
・・・・覚えなければならない語彙が増え、国際交流語としてはマイナス。

b.接辞を作る。「お」言いに「なられる」的な。
c.副詞などで表現 「恐れ多くも、ありがたくも」的な副詞を入れる。

b.c.は、できなくはないけど、そこまでして必要かな、と思いますね。

敬語をどの場面で使うか、民族により習慣が異なるらしいです。
ヨーロッパ語での二人称使い分けも、具体的に、誰と誰の関係で何を使うかという点は、
民族性で異なるそうです。(出典同じ)
日本語では「母が申しておりました」ですが、韓国語では、親の事は外の人に対しても敬語で表現するって聞いてますし。

習慣が異なるものを国際共通語に導入したら、非常に混乱すると思います。
自分の感覚では敬語を使う場面で、もし相手が使わなかったら「何と失礼な」と思ってしまうでしょう。
今の日本では、若者がお年寄りにタメ口をきき、お年寄りが嘆いているではありませんか。

余計なイザコザを避けるためには、NEPOは「敬語は一切無し」がふさわしいですね。

20ベダウリンデ:2009/08/26(水) 08:49:10
こんなに早く文法に手を付けるとは思ってなかったんですが、-usの用法について。
丁寧に頼むbonvolusなどの-usは、無くたっていいと思いました。
これにより、-usの用法が複雑になってます。
-usは、本来の、現実でない事を表現する機能だけにした方がいいと思う。
遠慮がちな依頼->実現するなんて思ってませんよ的アピール -> -usの使用、になったのだと思いますが、
そこまでの言い回しは必要なのだろうか。
英語のCould youに近いから、ヨーロッパ語の表現習慣なだけかもしれません。

-usは話し手が現実でないと思ってる事の表明ですが、
依頼の-usは、心の底では現実になってほしい、と思ってるのだから、聞き手は混乱します。
一体どっちなんだ、と。混乱の例http://www5b.biglobe.ne.jp/~shu-sato/esp-reibun5.htm

民族語ではコトバの細かいニュアンスで意思を通じあう。それが可能なのは、共通の文化背景があるから。
国際交流では、共通の文化が無いから、細かいニュアンスはなかなか伝わらないと思う。
要求を「〜だったらな〜」と独り言のように言うのが礼儀正しいとされてる民族がいたとする。
それが依頼だと気づかずに「あーそーだね」などと流してたら、「何と気の利かない奴」と思われたりして。

国際交流では、遠回しな言い方せず、率直に表現した方がいいと思う。
聞き手も裏の意図などを勘ぐったりしないように、誠実に対応すればいいと思う。

もしも「遠慮がちに頼んでる気持ち」を表現したいなら、わざわざ混乱される-usを使用するのではなく、
副詞的なものをいれるか、「ご都合よろしければ云々」的に複文にする、とかすればいい。
Mi petas 〜ではぞんざいな感じになるらしいのですが、別にいいじゃん、と思います。
求めてる事は率直に相手に伝えた方がいいと思う。
例えば、Mi petas 〜, se bone. とか言えば「遠慮」が伝わるようであれば十分だと思う。

21なつ:2009/08/26(水) 19:24:39
こんにちは。
ベダウリンデさん。まったくそう。うなずきながらこのスレを読んでいました。
まあ数詞に関しては煮詰める必要がかなりあるでしょうね。そこは僕は保留です。

さて、これは国語レベルの問題ですが、日本人の人で敬語が分かってない人が大勢います。
「敬語と丁寧語の区別が分かっていない!」という表現をする人自体わかっていない。敬語と尊敬語の混同です。
敬語には、尊敬語、丁寧語、謙譲語の3つ(最近では5つに分け始めてもいる)あります。
「英語には敬語がない!」という表現は、間違いで「英語には尊敬語がない!」あるいは、「英語には敬語のうち丁寧語しかない!」というのが適切だと思います。
この英語というのにはエスペラントあるいは他のヨーロッパの言語がたぶんあてはまります。
そして丁寧表現というのはすべての言語にあるんじゃないかな。
ただしその考え方、使用方法は各言語で違い、誤解を生む可能性のほうが高い。
NEPOの場合、ベダウリンデさんが言うように尊敬語、謙譲語は不要でしょう。
そしてぞんざいに、あるいは、高圧的に、命令形の「動詞だけ」をどなって用いるのと、bonvoliを用いて「文」を構成するのとでは、
国際共通的に丁寧であるか否かほぼわかることですので、それで必要かつ十分でしょう。
エスペラントが条件形を用いて丁寧表現をするのは、ヨーロッパ的だと思います。
フランス語ではMi volas〜じゃなく、Mi volus〜というのが丁寧表現で一般的です。
英語では、条件形の活用が失われて過去形にすることで丁寧を表しますね。
どっちみちヨーロッパ的表現であることはまちがいありません。
命令形の動詞1語よりも、Mi petasで文を構成するほうが丁寧であり、
自分の名前を1語言うだけよりも、Mi estasで文を構成させるほうがより丁寧である
というのは共通的(あるいは容易に理解できる)ではないでしょうか。
参考になるか分かりませんが、「日本語手話」は日本語とは別言語と言ってもいいくらいです。
違いは、コミュニケーションをとるため、より簡略化された身振りを使うということです。
それによって、一番の違いは、健常者の日本語よりも直接的な表現かつ感情が豊かだということでしょう。
NEPOもそれにあてはまると思います。価値観の違う人たちの最も効率的に誤解の少ない表現方法は、直接的な言い方(と顔で感情をはっきりと表現)でしょう。

エスペロさんは、エスペラントはヨーロッパ人同士の共通言語であればいいという考え方ですが、
エスペロさん自身ヨーロッパ人なんですか?そうじゃないと矛盾した考えだと思うのですが。
それともアジア人とは話す気はさらさらなく、ヨーロッパ人とだけ話すのだという昔のインテリぶった考え方であるとか?

22エスペロ:2009/08/26(水) 20:07:04
Kara Nacu...Dankon por via mencio pri mia komento...
なつさん・・・私のコメントに関するお言葉に感謝します・・・

Mi estas japano...Mi asertas ke lingvo bezonas iagradan klincidon au konkorodon...
私は日本人です・・・私は、言語には一定の整合性が必要だと思います・・・

Ne uzeblas nek praktikeblas ia linvo kia konsistas el disordo kaj miksigxo vortare kaj
gramatike...?
語彙でも文法でも、ごっちゃ混ぜの言語は、使いものにならないのでは・・・?

E estis kreita kiel pure europeca lingvo...Kaj europaj lingvoj(angla,hispana
,franca,portugala,rusa...) nun estas parolataj kiel oficialaj lingvoj en plejparto da la mondo...
Europo,Norda Euroazio,Norda kaj Suda Ameriko,Oceanio,Afrika,Suda Azio...
エスは、純粋にヨーロッパ語としてつくられました・・・そして、ヨーロッパ語(英語、スペイン語、
フランス語、ポルトガル語、ロシア語・・・)は、世界の大半で公用語として話されています・・・
ヨーロッパ、北ユーラシア、南北アメリカ、オセアニア、アフリカ、南アジア・・・

23ベダウリンデ:2009/08/27(木) 10:21:04
>それによって、一番の違いは、健常者の日本語よりも直接的な表現かつ感情が豊かだということでしょう。
そうなんですか。ちょっと感動しますね。
民族語では「いやみ」や「皮肉」、比喩を使用しての悪口、とか、いやらしい表現にも満ち満ちてます。
それが民族語の「豊かな表現力」ではあるけれど、文化が違えば皮肉が皮肉として通じない可能性もある。
褒めてるのに相手はいやみだと思ってしまったり、これは、同一文化に属していてもありうる。
「文化による裏読み習慣」が存在すると、意思疎通って複雑になるんだと思う。
スムーズな意思疎通のためには、手話でやってる「顔表現」を文字化して、
自分がどう思ってるのかを率直に、他意なく、伝えられるといいと思う。

エスペロさん。
今のエスペラントはヨーロッパ語的で、エスペロさんはそれに満足してるかもしれないですが、
実際には、「エスペラントをアジア化したい」と思ってる日本人エスペランティストは多いみたいですよ。
一月をウヌア・モナートと言う主義の人とか、「敬語導入」の話も私が発想したものではないですし。
NEPOでは各文化を「ごちゃ混ぜ」に取り入れるのではなく、エスペラントから、国際交流には不要なヨーロッパ色を排除する感じです。
「敬語取り入れたから平等になった」みたいな、単純なアジア化とは、ちょっと異なります。

それと、作業面ですが、巨視的な作業と、ちまちま作業があるのです。
ちまちま作業は、エスペラント語根の個々の見直しです。考えただけで気が遠くなります、が、手はつけはじめようか、と・・

巨視的な作業は、夢があって、考えると面白いですよ。
例えば、病名。 病気は複雑なので、正式な名称は国際的な医学名になると思いますが、
日常使う範囲では、「何の、何が、どうなる、病気」程度に表せたら、専門用語知らなくても分かりやすいかな、みたいな。
まず、大きく、①体内における異常症状、②感染による病気 ③怪我、に分けて、
①では、 「何の」は「脳の、心臓の、血液の・・・」。「何が」は「動きが、血流が、成分が・・・」
「どうなる」で「止まる、破裂する、乱れる・・」みたいな感じで、大雑把に言う。
医学の知識が無ければ「何が痛い」病気、でもいい。
他にもっと良い発想ありませんか?
NEPOはエスペラントのベテランより、エスペラントは初心者でもいいから、
学術一般に詳しい人や、人ができない自由な発想ができるやわらか頭の人を、最も求めてます。


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