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Vikipedio の Patro Nia

27りょほう:2007/09/19(水) 21:41:50 ID:V9DqAYr2
>>26
Patro Niaの削除に関して、今のところ特に問題になっている様ではないので何もしません。

28littorio:2007/10/31(水) 20:34:44
確認して置きたいんですが。
これが「クルアーン」や「リグ・ヴェーダ」や
「般若心経」や「共産党宣言」でもpapagenoさんは抗議されましたか?

29papageno:2007/10/31(水) 23:14:39
非常に複雑な問題です。まずはこれがVikipedioだからという事があります。Vikipedioは公共のものです。また中立性はウィキペデイアの根本理念です。ここに各言語の比較の例文として、特定の宗教の文章を使うのは、中立性に反するのは言うまでもないと思います。だからそれがもし「クルアーン(コーラン)」や「リグ・ヴェーダ」や「般若心経」や「共産党宣言」でも当然反対するでしょう。

私が Patro Nia を各言語の比較に使うのを最初に見たのは、二木紘三著「国際語の歴史と思想」ででした。まあその次がVikipedioだった訳ですが、でも私は二木紘三さんに抗議しようなどとは思いません。個人の著作だからです。それにすでに20年以上も前の本だからです。でももしこれから新しく出る国際語に関する本にもしPatro Nia が比較として使われていたら、おい、いい加減にしろよ、と著者に言うかも知れません。

注意して欲しいのは、あくまで「各言語の比較のための例文として」特定の宗教や思想の文章を使う事に反対しているのであって、アラビア語の例文として「クルアーン」からの引用があっても、構わないと思います。

それと>>7にも書いた事ですが、Patro Nia は新約聖書マタイによる福音書6章9節〜13節からの引用であり、つまりギリシャ語が原文であり、その(オリジナルでない)翻訳文を各言語の例文として載せるというのもどうかしていると思います。たとえば夏目漱石の「吾輩は猫である」の英訳文をウィキペディアの英語の項目の例文として載せる事を考えてみて下さい。

だから私はフランス語版ウィキペディアやイタリア語版ウィキペディアが比較の例文として世界人権宣言を掲載している事にも違和感を覚えますが(たとえばここ)、
http://fr.wikipedia.org/wiki/Japonais
そこまでうるさいことを言う気はありません。私の関心はあくまでエスペラント、あるいはエスペラント版ウィキペディアであって、私は世界のエスペランティストの頭が19世紀のままだという事に驚きあきれ果てて、疑問を呈しているというのが基本です。

ところで実はちょうど先日VikipedioのEsperantoの項目からPatro Niaを削除したところです。今の所何の反応もないですが、、、
http://eo.wikipedia.org/wiki/Esperanto

30littorio:2007/11/01(木) 20:20:16
Dankon!
お返事ありがとうございました。
宗教・文化的に中立で、ある程度の読み応えのある例文というのは
なかなか難しいですね。

31papageno:2007/11/02(金) 12:49:09
Patro Nia に戻されていました。議論するのもしんどいので、とりあえず「星の王子さま」の冒頭部分に置き換えておきましたけど。
http://eo.wikipedia.org/wiki/Esperanto
まあ何かエスペラントのオリジナル作品でいいのがあればそれが一番だと思いますけど。

そもそもなんで各言語の項目に「共通の例文」が必要なんですかね? その発想自体が帝国主義的、植民地主義的だと私は思うのです。

32papageno:2007/11/03(土) 16:02:07
また戻されていました。仕方ないので一応diskutoにコメントした上で、ザメンホフの詩"Mia Penso"に置き換えておきました。

それにしても21世紀になった今もキリスト教の植民地主義、帝国主義と戦わなくちゃならんとは。しかもその相手はほかならぬエスペランティストですよ。いやになっちゃう。

33松戸彩苑:2007/11/03(土) 17:57:56
>>32
エスペラント運動というのは、しょせんは素人が仕事のあいまにやってるようなものですの
で、あまり多くを期待されてもね、というのが正直なところです。

しかし、エスペランティストのほうにしても、自分が素人であることを忘れて「自分は、理念
を追求する運動の最先端にいるんだ」みたいなカン違いをしている人が多いんですよね。
まったく見苦しいとしか言いようがありません。

そもそも、そんなにいろんなことに長じることは不可能なんですから、「エスペラントが使え
る人を増やす」ということに集中すれば良いのにと思うんですがね。

34littorio:2007/11/04(日) 14:31:12
>papagenoさん
多分向こうの人は「また反キリスト教の連中が因縁つけてきた」と思って
かたくなになってしまったのではないでしょうか?
問題は「思想的中立性」であって、
これが「共産党宣言」でも「クルアーン」でも同じように反対するということを
はっきりと言明しておいた方がいいと思います。

35papageno:2007/11/04(日) 22:31:44
「また反キリスト教の連中が因縁つけてきた」って、これまでにもそのような連中が因縁をつけて来た事があったのでしょうか?

ともかく、私としては中立とか平等とか目指しているはずのエスペランティストが、無意識であろうと平気でPatro Niaだとかいう文化的に中立でないものを載せておいてその事に気付いてない事に愕然としている訳です。何度も言いますが、ウィキペディアでこんなもの載せているのはわずかな例外を除いて、エスペラント版だけですからね。

まあ結局、エスペラントは所詮ヨーロッパ語であり、ヨーロッパ文化の一つであり、本当に言語的な中立とか対等とか平等とかを目指すならば、翻訳機しか無いという考えに行き着く訳ですけどね。

36Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/11/05(月) 07:12:19
日本語の項目では文語のpatro niaが載ってますね。日本語版ウィキペディアはも
ちろん口語で書かれています。日本語を知らないエスペランティスト(つまりエス
ペランティストの圧倒的大多数)は、patro niaが標準日本語で且つウィキペディア
日本語版の言語だと思い込むでしょう。このように言語に無知鈍感な人が国際語運
動やら百科辞典編集やらをやっているのです。
やってるのです。

37papageno:2007/11/05(月) 18:45:49
>>36なるほど、言われてみれば確かに文語ですよね。あ、でもすでに削除されてますよ。削除前の版はこちら。
http://eo.wikipedia.org/w/index.php?title=Japana_lingvo&oldid=1308283

>>7>>29>>31にも書きましたが、そもそも共通の例文なんて必要ないと思います。どの言語にもその言語を代表するようないい文章があると思います。それを載せればいいんであって、その言語らしからぬ翻訳文を載せる必要はないんです。
そう言う共通する「唯一の」例文という発想は、「唯一の」共通語という発想と同じで、その発想自体が帝国主義的だと私は思います。

38papageno:2007/11/14(水) 01:36:56
幸い、ザメンホフの詩 Mia Penso にして以来、Patro Nia に戻されてはいません。
http://eo.wikipedia.org/wiki/Esperanto

Patro Niaであれ世界人権宣言であれ、「唯一の共通例文」なんて、「唯一の世界共通語」と同じ発想で、時代錯誤なんでしょうね。Patro Niaであれ世界人権宣言であれ、近い言語(エスペラントとイドとか、フランス語とイタリア語など)を比較する場合には役に立ちますが、遠い言語(エスペラントと日本語など)の場合には何の役にも立ちません。

Ptro Nia

(エスペラント訳)
Patro nia, kiu estas en la ĉielo,
sanktigata estu via nomo.
Venu via regno,
fariĝu via volo,
kiel en la ĉielo, tiel ankaŭ sur la tero.
Nian panon ĉiutagan donu al ni hodiaŭ.
Kaj pardonu al ni niajn ŝuldojn,
kiel ankaŭ ni pardonas al niaj ŝuldantoj.
Kaj ne konduku nin en tenton,
sed liberigu nin de la malbono.
(Ĉar via estas la regno kaj la potenco
kaj la gloro eterne.)
Amen.

(イド訳)
Patro nia, qua esas en la cielo,
tua nomo santigesez;
tua regno advenez;
tua volo facesez
quale en la cielo tale anke sur la tero.
Donez a ni cadie l'omnidiala pano,
e pardonez a ni nia ofensi,
quale anke ni pardonas a nia ofensanti,
e ne duktez ni aden la tento,
ma liberigez ni del malajo.
Amen.

(日本語訳)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

一体このエスペラント訳と日本語訳とを並べて何になるというのでしょう? 一体何を「比較する」というのでしょうか? わかるのは全く違う言語だという事だけです。エスペラント訳とイド訳なら、なるほどĉieloがcieloで、sanktigataがsantigesezになる訳ね、まったく同じなのもあるなあ、などと大いに役立つ訳ですが。

39Raku ◆yP0a9GGqWA:2007/11/18(日) 19:30:59
papagenoさんのエス版ブログに外国人のコメントがたくさん付いてますよ。
ここからリンクすることを許していただけないのが残念ですが、皆さん
どうか探し当てて読んでください。面白いですよ。

40papageno:2007/11/18(日) 20:37:16
>>39
日本語版のブログに対して、こちらはあまり大々的に宣伝したくないんです。でも「エスペラント語への疑問」のブックマーク一覧の最後に一応載せてあります。正直なところ、エスペラント文を書くのには相当の時間がかかってしまうので、ほとんどコメントに対する返事を書けないでいますが。

41なつ:2007/12/16(日) 05:56:17
UKでは教会で礼拝するのが恒例だそうですね。


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