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エスペラントと日本国憲法の平和理念

374Raku:2012/04/24(火) 20:31:33
1961年8月の原水爆禁止世界大会では共産党系の代表も賛成して「最初に核実験を開催する国は、
人類の敵として糾弾されるであろう」というアピールを発していますね。ソ連の核実験はその直後です。
PACO1961年12月号に載った由比さんの文章は当然、1961年12月より前に書かれたものですよね。
わたしは読んでいませんから何とも言えませんが、北辰さんの引用された部分を読んだ限りでは
ソ連の核実験が全然反映されていないのでそれより前ではないでしょうか。実験後だとしても
融通が効かない由比さんがそれまでの方針をそのまま由比さんなりの修辞で書いたじゃないでしょうか?
由比さんは共産党員じゃなかったから共産党の方針のご都合主義的でめまぐるしい転換には
突き合わせられないでしょうし付き合うこともできないでしょうから。当時、日本共産党は中ソ対立で
中国側に付く決意を固めつつあった頃で、まもなくソ連批判は解禁になります。中国ともまもなく
対立して中国批判も解禁になります。日本共産党の路線の転換で、エスペラント運動のような
傍流の運動の中で転換に即座に適応できなくても何の不思議もありません。由比さんは共産党員でもなく
およそ組織に属していない人だったそうですから旧転換に即応させることは不可能でしょう。
「一貫して日本共産党の路線に忠実」の「一貫して」は「基本的には」に修正しておきましょう。またどんな
"資料"を持ちだされて"やり込め"られるかわかりませんからね(^^ゞ
とにかく、1960年代の終りごろなら「ソ連赤色帝国主義」という言葉が日本共産党の周辺(共産党員はさすがに
口にしませんでしたが)から聞こえてもおかしくない雰囲気でした。念を押しますが、由比さんが共産党員で
なかったことはわたしもよく知っています。わたしがエスペラントを始めた時はすでに故人でしたが、
エスペラントの偉人として長谷川テルの名前といっしょにしょっちゅう聞かされました。もうお腹いっぱいです。
「長谷川テルと由比忠之進」、うんざりしませんか?飽きませんか?


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