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エスペラントの思想と国家権力
574
:
papageno
:2007/12/10(月) 09:24:51
>>570
音楽が文化であるとお認めになるならば、言語だって同じだと思うのですが、、、
>>568
でKamelioJapanaさんがエスペラントで書かれた時、私の前にはヨーロッパの文化の一つが提示された訳です。それは例えば私がモーツァルトの曲を聴くことと同じことです。
モーツァルトの音楽は確かにすばらしいかもしれないが、ある人には退屈かもしれないし、ある人には何の興味ももたらさないかもしれない。全世界のすべての人がモーツァルトを聴くべきだなんて言えるものではありません。そしてそれはエスペラントでも全く同様です。
「エスペラント改造論」の204で、KamelioJapanaさんが「言語自体には意志などありませんから、それ自体に文化も思想もありません。 」とおっしゃった時、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1160642811/204
私はどうもKamelioJapanaさんがエスペラントを(あるいは言語一般を)金づちとかボールペンとかと同様の道具としてしか考えていないように感じ、コメントさせていただいた訳です。
たしかに金づちやボールペンには意思はありません。でも言語はそうではありません。それぞれの言語に特有の発想や表現、語彙、文法、があります。それらにはその言語を生み出した民族や種族(あるいは個人)に特有の世界の捉え方が反映しています。これはほとんど「言語自体に意思がある」と言ってもいいほどで、時にはそれが堪え難いほどになります。例えばエスペラントの男性中心主義などはその一つです。
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