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小学校からの英語教育

20kmns:2006/10/28(土) 09:31:04
「母國語への外國語の干渉は、ある程度仕方ない」といふこと、それはその通りでせう。言葉は變化する。陸軍軍醫総監森林太郎が國語國字問題に關する發言で、變化は止むを得ないとして本來シュシュツと讀むべき輸出がユシュツと讀まれるやうになった例を挙げ、これくらい古びがつけば認めてもよろしからうが、率先してやるべきではないと熱辯をふるった。その愼重さが大事だと思ふ。音韻についてはまだ年端もゆかぬ子供に、外國語の音の發音を熱心に教へる氣にはなれない。

英語の影響ではないかと思ふ例に「させる」といふ補助用言の過剰がある。小泉内閣の竹中といふ大臣もよく不良債権問題を「解決させる」と言ってゐた。「解決する」のは誰なのか不思議でならなかった。今、「アメリカ教育使節團報告」(講談社學術文庫)を開いてゐるが、そこには「客觀的歴史と神話とを分離させること」といふのがある。これも、どうも「分離すること」の間違ひのやうだ。外國語をやることが日本語の感覺を鋭くする、さういふ教育も可能だと思ふのだがさうでないのは、まづ國語教育がしっかししてゐないせいためではないか。

先日、市のゴミ對策委員としてマイバッグキャンペーンといふのに參加した。買物に袋を持參して、コンビニなどでポリ袋を貰はないようにといふわけだ。袋を配りながら「マイバッグをお使ひください」と呼びかけるのであるが、英語なら your bag だらうななどと變な感じがした。とにかく最近やたら英語が入ってくる。これも英語教育の裾野が廣がったせいだと思ふ。昔は専門家に委嘱したであらうやうなところの英文に随分怪しいものが増えた。近所のスーパー銭湯の説明もさうだし、先日行った美術館のパンフレットもさうだ。美術館のパンフレットは係りの人に注意したら、やはりさうですかと言って、出してゐるのを取りやめたのは既に注意した人があったためであらう。こういふ英語でも、何か通じるところはあるのかも知れない。

しかし、義務教育でやる語學はもっと厳しいものであるべきではないか。

あ、それからベルリン工科大學の教授はBailey博士。綴りを間違った。


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