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小学校からの英語教育

18kmns:2006/10/26(木) 09:09:04
母語に外國語が干渉するといふこと、かつては定説であったが、さうではなくなったといふことを或る先生より聞いたことがある。ひょっとしたら完全なるpolyglotも存在するのかも知れない。しかし、普通にbilingualだといふのは、まあ通じるといふ程度でよく、高校を卒業したら殆どの人が英語日本語のbilingualなのだ。

ベルリン工科大學の Bailye教授はアメリカ人言語學者。トルコ料理だったかギリシャ料理の店だったかご馳走になった。店の人とはその言語で通じる。ドイツ語については全くconcentrationを必要としないとのこと。その程度であればお互いに干渉しないといふことはないだらうと思ふ。

このごろ「靖國を參拜する」といふ言ひかたをみ聞きする。英語の影響だと思ふ。『教育の崩壊』の掲示板の1426や「井の中の蛙」
http://www.froginawell.net/japan/2006/07/yasukuni-why-the-emperor-stopped-going/
の5で書いた。

外國語の干渉についてはいくつもの段階が考へられる。母語の音韻構造を獲得する段階。これは誕生直後。幼稚園や小學校時代に外國に行けばその國の言葉を覺えるが、これは歸國すれば忘れるのが普通らしい。しかし意識的に英語の發音などを教へこむと日本語の發音が變になるのではないか。新聞のことをshimbunでなくsimbunといふ學生が多いといふことを聞いたことがある。チームのことを chihmu (hは長音附) でなく tihmu と發音する人はNHKのアナウンサーにもある。これらも外國語學習の影響だと思ふ。

外國語はconcentrationを必要とする。外國語學習の効用の一つは集中して讀んだり聞いたりすること。本を讀む。集中して書き手の思念に身をゆだねるわけだ。さう考へると英語教科書は一種の思想教育ではないか。サイードだったら目を剥くやうな内容のものだ。國語教科書も内容ばかり問題にする。コミュニケーション重視が諸悪の根源だと思はれてならない。


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