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エスペラント改造論

284松戸彩苑:2008/09/21(日) 14:45:48
私が「日常生活に必要な語彙・表現」を整備することの重要性を訴えつづけても、いまひと
つ判っていただけない理由がほかにもありましたので、説明しておきます。

私の見るところでは、人間というのは「難しい」ことが出来るようになると「簡単」なことをバ
カにするようなメンタリティを持ってしまうことが多いと思うんですね。

エスペランティストというのは高学歴の方が多く、難しいことが大好きな人たちばかりです
ので、それが災いして「日常生活に必要な語彙・表現」みたいなものはどうでもいいや、み
たいな感じになってるのではないでしょうか。

しかし、そんなことをやっているから、現代ヘブライ語やトク・ピシンにも負けてしまうんだと
思いますね。

やはり、誰もが知っている「日常生活に必要な語彙・表現」を整備することというのが、きわ
めて大切だと思いますね。

285松戸彩苑:2008/09/21(日) 15:51:18
なぜ私が「日常生活に必要な語彙・表現」を重視するかというと

  多くの人たちにとって必要となる可能性が高い。

ということもありますが、このほかにも

  エスペラントで書かれたレベルの高い文献があんまり無い。
  また、こういう文献が短期間に増えるという可能性もまったく無い。

  だから「高度な会話のための言語」として使えるようにして、支持者を増やしていくしか
  ない。

と考えてるということもあるんですね。
---

英語を始めとして、フランス語・ドイツ語・ロシア語・中国語・日本語…といった言語ですと、
それこそ多種多様な文献が大量にあるわけです。

そういったものと比べますと、エスペラントの文献というのは(当然のことなんですが)質・量
ともにきわめて貧弱だと言わざるを得ないんですね。

エスペラントの文献の多くは、エスペラントの学習教材であるとか、エスペラント運動関係の
ものでして、エスペラントやエスペラント運動に興味のある人以外には価値の無いものです。

また(止むを得ないことではあるのですが)学術的な文献はほとんどありませんし、文学作
品はありますが、これだって文学に関心のある人以外にはどうでもいいものだったりします。

もちろん私だって、多くのエスペランティストがたいへんな苦労をして文献を増やしてきたこ
とはよく知っています。
しかし、そういったことを抜きにして、世間の人たちとまったく同じように考えてみますと、や
はりエスペラントの文献にはあまり魅力が無いだろうと言わざるを得ないんですね。

ということがありますから、英語・フランス語・ドイツ語…とは違って「文献の魅力」で世間の
人たちを引きつけることは出来ないということになります。

ですから、その代わりとなるような魅力が無いといけないわけですが、私は「高度な会話の
ための言語」として使えるようにすれば、文献の貧弱さをカバーすることが出来るのではな
いかと思ったんですね。
---

もちろん現在でも、エスペラントで会話をすることは可能です。

しかし、母語なみに話すことが出来るようになってないと、ブロークン・イングリッシュに太刀
打ちできないだろうと思うんですね。

「エスペラントって、ブロークン・イングリッシュよりも、ずっと役に立つんだな」ということが世
間の人たちにもはっきりと判るくらいのレベルになってないと、世間の人たちから認められ
ることは無いと私は考えておりますので、「日常生活に必要な語彙・表現」を整備することの
重要性を再三強調しているわけです。

「もうすぐエスペラントがEUなどに認められて採用されるんだ」「そうなれば、エスペラントの
語彙・表現の整備や、エスペラントの教育なんかも、みんな政府や国際機関がやってくれる
んだ」などといったことを本気で信じることが出来れば、こんな七面倒くさいことをする必要は
無いと思えるのでしょうが、私はそういう可能性はまず無いと思っていますので、こういうこ
とを言ってるわけなんですね。

(終わり)

286松戸彩苑:2008/09/21(日) 18:54:08
ところで話は変わりますが、関西エスペラント連盟のサイトのなかに、「La Movado」の毎号
の主な内容について書いてあるページがありますよね。

これによりますと、今年の4月号から、最近になって日本社会で多用されるようになった単
語・表現のエス訳語を集めた「Kurantaj vortoj」という連載が始まったらしいんですが、10
月号に「シックハウス症候群」が取り上げられたと書いてあります。

で、この「シックハウス症候群」に相当するエス訳語は、いったいどんなものだったんでしょ
うか?
私は「La Movado」を取ってないので判りませんので、教えていただけると幸いです。

ちなみに私は domo-toksiĝo あるいは domo-veneniĝo というのを考えてたんですが。

287松戸彩苑:2008/09/23(火) 12:27:32
>>285 に補足したいのですが、「読むための言語」としての英語の地位は、当分のあいだ
は揺るがないだろうと思うんですね。

英語を母語とする人が4億人くらいいて、さまざまな分野の最先端・最重要な情報が英語で
書かれているわけです。

また、多少なりとも英語を学んだことのある人も何十億人といますし、それに加えて、英語に
由来する単語は、世界中の言葉に入っているわけです。

こういった明白なる事実をあっさりと無視してしまって、唐突に「英語に代わってエスペラント
を」などと叫んでも、世間の革新派の人たちからも相手にされないわけです。

世間の革新派の人たちや、知識人や、自分の家族や知人でさえも認めてくれないようなこ
とを言っていても仕方が無いので、もっと現実的に考えて、この厳しい状況のなかで何とか
して社会のなかに根を張るように努力すべきだと思いますね。

でないと、このまま衰退していくしかないだろうと思います。

288松戸彩苑:2008/11/03(月) 13:22:02
(1) どうしてエスペラントにおいては日常生活に関する語彙・表現が混乱しているのか。

(2) また、どうして日常生活に関する語彙・表現の混乱に気づいたり、これを問題視する
    人がほとんど居ないのか。

と言いますと

  エスペラントを日常的に使う社会が存在しない。

という事があるからなんですね。(ほかにも理由はありますが)

この点が、現代ヘブライ語やトク・ピシンなどとも決定的に違うところであり、むしろ(現代の)
ラテン語などに似ている点なんですね。

そして、私たちは「エスペラントを日常的に使う社会」というものを持たない状態で、日常生
活に関する語彙・表現を整備していかなければならないわけです。

289松戸彩苑:2009/03/14(土) 13:50:31
>>247-248 で -enzo という接辞について論じましたが、これに関して補足をします。

『エスペラント日本語辞典』の estingi の項のなかに

  fajr/esting/ilo 消火器;消火剤.

という副見出しがありますが、「消火器」と「消火剤」の区別ができないというのでは困りま
すね。

やはり、このような場合には -enzo を使って

  fajr-esting-ilo 消火器
  fajr-esting-enzo 消火剤

として両者を区別すべきだろうと思いました。

290松戸彩苑:2009/03/15(日) 08:01:23
すでに書いたかもしれませんが(調べるのも困難ですので)いちおう書いておきます。

私はこれまで「日常生活に関する語彙・表現」のエスペラントによる訳語を提案してきました。

しかし当然のことながら「エスペラントの新しい語彙・表現」と「日本語の訳語」だけでは、日
本語を知らない海外の人には理解してもらえません。

ですから

(1) エスペラントによる丁寧な説明文。

(2) 世界各国語による訳語をつける。
    (やはり英語がメインとなる)

といったものも添える必要があるでしょう。

こういった情報をネット上に置いておけば、世界中のエスペランティストが利用することが
できるわけです。

291松戸彩苑:2009/04/29(水) 11:58:44
エスペラントの語彙の問題ですが、現在はこちら(↓)のスレに書いています。

http://yy67.60.kg/test/read.cgi/jinkogoplus/1228036613/

関心がございましたら、ぜひともお越しください。

292松戸彩苑:2009/08/10(月) 20:30:02
最近、とある有名芸能人が覚醒剤を所持していたというので逮捕されましたが、この「覚醒
剤」はエスペラントでは何と言うのでしょうか。

『日本語エスペラント辞典』の「かくせい【覚醒】」の項を見ますと「〜剤 ekscitilo」と書いてあ
ります。

しかし英語やフランス語では「覚醒剤」のことを stimulant、ドイツ語では Stimulans、スペイ
ン語・ポルトガル語では estimulante と言うようですので、エスペラントでは stimul-enzo と
するのが良いと思います。

293松戸彩苑:2009/08/10(月) 23:12:39
>>292 に補足します。

Peter Benson の英エス辞典の stimulate の項のなかに stimulnt(stimulant の誤植)という
副見出しがあり、ここに stimulenzo が載っています。

294松戸彩苑:2009/10/17(土) 01:01:08
ESENÇO CAJ ESTONTEÇO DE LA IDEO DE LINGVO INTERNAÇIA

I
Ĉiuj ideoj, quiuj estas ludontaj gravan rolon en la historio de la homaro,
havas ĉiam tiun saman egalan sorton: quiam ili ecaperas, la samtempuloj
rencontas ilin ne sole cun rimarcinde obstina malconfido, sed eĉ cun ia
neclarigebla malamiceço; la pioniroj de tiuj ĉi ideoj devas multe batali caj
multe suferi; oni rigardas ilin quiel homojn freneşajn, infane malsaĝajn, aŭ
fine eĉ recte quiel homojn tre malutilajn. Dum la homoj, quiuj ocupas sin je
ĉia plej sençela caj senutila sensençaĵo, se ĝi nur estas en modo caj conforma
al la rutinaj ideoj de la amaso, ĝuas ne sole ĉiujn bonojn de la vivo, sed ancaŭ
la honoran nomon de “instruituloj” aŭ “utilaj publicaj agantoj”, la pioniroj de
novaj ideoj rencontas nenion crom mocoj caj atacoj; la unua rencontita tre
malmulte lerninta bubo rigardas ilin de alte caj diras al ili, que ili ocupas sin
je malsaĝaĵoj; la unua rencontita gaşeta felietonisto scribas pri ili “spritajn”
articolojn caj notojn, ne preninte sur sin la laboron almenaŭ iom ecsçii, super
quio ili propre laboras; caj la publico, quiu ĉiam iras quiel anaro da ŝafoj post
la criemuloj, ridas caj ridegas caj eĉ por unu minuto ne faras al si la
demandon, ĉu existas eĉ guto da senço caj logico en ĉiuj tiuj ĉi “spritaj” mocoj.
Pri tiuj ĉi ideoj “estas modo” paroli ne alie, ol cun ironia caj malestima rideto,
tial tiel agas ancaŭ A caj B caj C, caj ĉiu el ili timas enpensiĝi serioşe eĉ unu
minuton pri la mocata ideo, ĉar li “sçias antaŭe”, que “ĝi crom malsaĝaĵo
enhavas ja nenion”, caj li timas, que oni iel alcalculos lin mem al la nombro
de “tiuj malsaĝuloj”, se li eĉ en la daŭro de unu minuto provos rilati serioşe al
tiu ĉi malsaĝaĵo. La homoj miras, “quiamaniere en nia practica tempo povas
aperi tiaj malsaĝaj fantaşiuloj caj quial oni ne metas ilin en la domojn por
freneşuloj”.

295松戸彩苑:2009/10/17(土) 01:13:04

この文章について説明します。

私は以前から「エスペラントの文章は、見た目が硬すぎる」と思ってたんですね。
で、いろいろと考えてみたんですが、どうやらKの字が多いからだろうと思ったんですね。
そこで、エスペラントのKをCに変えようと思ったわけです。

もちろんエスペラントではすでにCの字を使っていますから、これはÇで表わすことにしまし
た。

しかし、これだけですと相関詞の ki- のつく語が cio、ciu … になるんですが、これらは ĉio、
ĉiu … と紛らわしいんですね。
ki- のつく語は目立たないといけないと思いましたので、ロマンス語ふうにして quio、quiu …
としました。
それから ke も ce となるんですが、これも ĉe と似すぎていて良くないので que とすること
にしました。
---

このほかにも、Zも硬い印象を与えますので、Şにしました。

また teksto とか ekzameno のように民族語においてはXを使っている単語がありますが、こ
れはエスペラントでも texto、exameno のようにしたら良いと思いました。
不規則が増えることにはなりますが ekskluziva が excluşiva、そして ekskurso が excurso
となって、見た目がかなりスッキリすると思うんですが。
---

この書記法をしばらく個人的に使ってみて、不都合がないかどうか調べてみようと思っていま
す。

私の掲示板では字上符つきの文字が使えませんので、ここを使わさせていただきました。

296松戸彩苑:2009/10/17(土) 11:01:45
>>294 の続き)

Sed pasas celca tempo. Post longa viço da batalado caj suferoj la
“buboj-fantaşiuloj” atingis la çelon. La homaro fariĝis pli riĉa per unu nova
grava aciro caj eltiras el ĝi la plej vastan caj diversforman utilon. Tiam la
çirconstançoj ŝanĝiĝas. La jam fortiĝinta nova afero ŝajnas al la homoj tiel
simpla, tiel “comprenebla per si mem”, que la homoj ne comprenas,
quiamaniere oni povis tutajn miljarojn vivi sen ĝi. Quiam la posteuloj legas
la racontojn pri tio, quiel sin tenis contraŭ la dirita ideo la samtempuloj de
ĝia nasciĝo, ili absolute ne volas credi caj pensas, que ĉion tion ĉi elpensis la
historioscribantoj pro mocado je la foririntaj generaçioj. “Ĉu efective”, ili
diras, “la tuta mondo tiam consistis el idiotoj? Ĉu efective existis homoj,
quiuj elpaŝadis contraŭ la pioniroj cun tiaj sensençaj contraŭparoloj, caj la
çeteraj homoj silentadis, caj la unua rencontita cvinjara infano ne diradis al
tiuj criticantoj: “Sinjoroj, vi ja parolas teruran, sur nenio fonditan
sensençaĵon, quies rebato sin trovas ja tuj antaŭ via naşo!”? Absolute
necompreneble! La historiistoj çerte trograndigas!”

297松戸彩苑:2009/10/17(土) 11:14:09
この表記法は、k や z といった硬い感じのする文字がないのは良いんですが、そのかわり
に補助記号つきの文字が多くなってしまうという欠陥があります。

日本語のローマ字でも

  「訓令式」  規則的・合理的だが、見た目が硬い。
          (訓令式では「チ」「チャ」「ジャ」が ti、tya、zya であるのに対して、ヘボン式
          では chi、cha、ja となる)

  「ヘボン式」 見た目は柔らかいが、不規則な点がある。
          (訓令式では「タ」「チ」「ツ」「テ」「ト」が ta ti tu te to であるのに対して、ヘ
          ボン式では ta chi tsu te to となる)

ということがありますが、これと似たようなものだと思います。

298ベダウリンデ:2009/10/23(金) 13:53:23
松戸さんの計画言語掲示板で紹介されてましたので、見てみました。
下に埋もれてないで、どうせならあげましょうよ。

文字の改革、ですか・・・文字はね、言語のジャンルの中でも最も表層の部分ですから、
手を付けるのも簡単だし、いざ変えるとなっても、簡単に変えられるでしょうね。
改革の中では楽ちんな方ですね。

四角い物より丸い物の方が、商品としてよく売れるらしいので、「見た目を丸く」はいい発想ですが、
文字って、そんなに「丸さ」重要かな?と思います。
丸い文字ならビルマ文字とかが丸っこいと思う。でも、角い文字だって風格あってステキですよ。
どっちがいいとは、一概には言えないと思う。
それに、KやZは、ラテン文字使用国では一般的に広く使われてると思う。IPAでも使われてるし。
それを敢えてへそ曲がりで、違う表記にする意味が分からない。
今でさえ不評の特殊文字がさらに増えるし・・・Cのバリエーションが多すぎるし・・・
どうせなら、総とっかえして、新人工文字を作ればいいと思う。ビルマ文字以上に超丸っこいのを。

299ベダウリンデ:2009/10/23(金) 14:29:45
>この書記法をしばらく個人的に使ってみて、不都合がないかどうか
テキストを単純に置換すればよいだけなので、不都合が生じるはずありませんが、
これをエスペラントとして初めて接する人が分かりやすいかどうか、が問題です。
初心者にわかりにくくてもいいんだ、とおっしゃるならそれでよいですが。

s=サ、ş=ザ、ŝ=シャで、c=カなら、ç=ガ、ĉ=キャかな?と思ったら、ç=ツァ、ĉ=チ?
少なくとも、符号と音声の整合性をとってほしいですね。

300ベダウリンデ:2009/10/24(土) 08:11:30
松戸さんがKとZを嫌う理由は、「ラテン語にはKとZが無いから」ではないですか?
ラテン語にKとZが無いのは、古代ローマ人が「丸い字の方がKawaiiから」と思ったからではなくて、
偶然の結果だったみたいですよ。Zが無いのはラテン語にはZの音が無かったから。
Zは借用ギリシャ語を表記する時のみ使用した、とあります。
アルファベットは系統樹的に発展してて、フェニキア文字から、ギリシア文字、エトルリア文字、ラテン文字と受け継がれたようです。
ギリシア文字にはKとZがありました。
エトルリアにはg音が無かったので、ギリシャ語でg音を表してた文字(Γ)をk音として使用し、Kは用いられなくなった。
ΓはCに形を変えて、ラテン語ではCをk音で使用する事を受け継いだ。
でもラテン語にはg音があったから困った。それで新しくG(Cにちょっと付け足した)という文字を作った。

このように、ラテン語でKやZを用いないのは(習慣にからんだ)特殊な事情があったからで、
KやZという文字そのものはラテン文字のアルファベット表に残っていたため(Γは消されちゃいましたが)、
直接のラテン系民族以外では、ギリシャ系のむしろ正当な文字として、KやZを憚りなく使うのだと思う。
(そうするとCは余るので、民族により色々な使い方ができる事となる)

つまり、言いたいのは、エスペラントでKやZを廃する理由は、
アルファベットの歴史から見たら、全く正当性が無い、という事です。
(アルファベットなんか無視していいんだ、人工語なんだから、とおっしゃるのであれば、かまいませんが)

301ベダウリンデ:2009/10/27(火) 11:18:01
松戸さんの文字改革案の問題点は
①特殊文字(符号付きのアルファベット)が増える。
②なお且つその使い方が「アルファベットの常識」を超えている。
です。
でも「見た目を丸くかわいくして人気を得よう」というコンセプトは面白いと思うので、
それをどうやったら実現できるか考えてみると面白いと思います。
もちろん、①②の問題をクリアして、さらには、エスペラントの法則(?)である
一文字一音の原則は守り抜いて・・・・・

自然言語は、まずコトバがあって、それに準じて文字体系が作られる。
人工語では、文字と音韻体系はワンセットで考案されるのだと思う。
エスペラントの場合、音韻体系そのものがかなりスラブ寄りです。
一言で言うと子音が多様すぎる。ツォとかチェとかヂとかが存在する。
k音やz音も、独立の音として(*1)存在する。
これを一文字一音でやろうとすると、今のような文字体系にならざるを得ないです。
Zはツォ音に使えるけど、エスペラントにはザズィズゼゾもちゃんとあるからZは使えない。
Cもツォ音に使える。もしCをk音で使うと、ツォ音を表す文字を新たに作らねばならない。
やっぱCはツォ音だな。と、なるでしょう。
ただでさえ多い子音なので、KやZを省くなんて、不可能なのです。

なので、これをラテン語風の丸い文字だけに制限するなら、まず音韻体系を変えないと不可能だ思う。
一言で言うと子音の数を減らす。子音の数を減らして今までのエスペラント単語を表現する。
そうすると、不都合が生じないように、単語全体を厳密にチェックしなければならない。
大変だと思いますが、その過程で「不必要な語彙」とか発見してくれたら嬉しいですね。NEPOに役立てます。

(*1)ドイツ語やロマンス諸語では、z音もあるけど、ある条件でs音が濁音化したものとしての扱いみたいですね。
だから文字ではSになる。これらの言語では単独で独立したz音が無いのかもしれないです。
ca,ci,cu,ce,coは、ラテン語ではカキクケコでいいのですが、
英語やフランス語ではカシクセコ、イタリア語やルーマニア語ではカチクチェコって読む。
カキクケコって言えないから、ka,ki,ku,ke,koで表記できないんだと思う。
ロマンス諸語はk音やz音が独立の音として存在しない音韻体系なのでKやZが現れない、のでしょう。(自説)

302なつ:2009/10/30(金) 18:54:56
松戸さんの思想信条という根本的問題点は
丸みを帯びたものを善と思う価値観であり、
角があるものを悪と思う価値観を基礎とした考え方であるということです。
○→美、善
□→醜、悪
なんで?なんで?なんで?なんで?
完全なる偏った見方すなわち偏見に満ちた潜在的差別主義に凝り固まっている頭であるということです。
違いますかな?
下衆の勘ぐりをいたしますと、
戦前の カタカナ表記+画数の多い旧字体 →潜在的忌み嫌うべき戦前軍国主義の象徴
戦後の ひらかな表記+新字体の常用漢字のみ →戦後民主主義万歳
という潜在意識なのですかな。
まず大前提である
○→美、善、優
□→醜、悪、劣
という考えを持っている理由をきちんと述べるべきである。
偏見ではないし潜在的差別主義者ではないという理屈をね。
一事が万事、全てにおいて理由のない偏見による優劣を付ける癖がおありではないのかな。

303なつ:2009/10/30(金) 19:07:25
松戸氏の考え方の
前提が理解できないので内容にいくまでもないですが、内容についてあえて言うならば・・・

kioは間違いであり、正書法はquioであるのだ!
が、quinoは間違いであり、正書法はkinoであるのだ!
理由は俺様がこう書いたほうがかっこいいかなっと思ったからだ!理由はそれだけだ!
なんですね。へええええええええ

textoのxはksと発音しなければ間違いであるが、
examenoのxはkzと発音しなければ間違いである!!
ksかkzかは、覚えるのだ!これぐらいアジア人でも覚えられるだろ?ケケケ
なんですね。へええええええええ

初心者や非欧米人に、不利に不利に、とっつきにくく、とっつきにくく、
不規則なほうへ、不規則なほうへ、覚えることを多く、多く、
廃れるように、廃れるように・・・・・

ですかね。クレージーな考えと思う僕のほうがクレージーなんですかね。

304なつ:2009/10/30(金) 19:20:55
kやzを廃止したい偏見は、よりラテン語(系?)に近づけたい偏見からなのかな。
ベダウリンデさんの言うようにラテン語にアルファベットとしてはkやzはありますが、
ギリシア語由来のものしか使いません。kはカレンダー(ついたちの意味)のkくらいにしか使わない。
その証拠に、xは硬い感じがするからイヤというはずなのにむしろ逆に取り入れようとしている。

305:2009/10/31(土) 11:20:56
kをそのままqで置換すれば?

306なつ:2009/10/31(土) 18:19:05
訂正
kioは間違いであり、正書法はquioであるのだ!
が、quinoは間違いであり、正書法はcinoであるのだ!

307ベダウリンデ:2009/11/02(月) 17:10:57
計画言語の掲示板で松戸さんが書いていたのですが、「個人的な」「遊び半分」の改造案だという事です。
改造案は誰でも気楽に作っていいと思うし、気楽な案から「瓢箪から駒」の場合もあるだろうけど、
本気でやるなら「方向性」って大事だなーと思った。何を目的として改造するか、ですよね。
だた「自分はこうの方がいいから」では説得力が無いな。と。

308なつ:2009/11/07(土) 23:25:22
こういう綴りのほうがかっこいいという非理論的な個人的のみの価値観は用いるべきではありませんね。

309:2009/11/29(日) 15:33:11
>非理論的な個人的のみの価値観

欧米崇拝とか言って噛み付くのも非論理的ですね

310なつ:2009/11/29(日) 17:56:26
*さん
僕の書き込みの引用は

>非理論的な個人的のみの価値観

であるわけですよね。
この引用の内容は、「欧米崇拝」云々は一切ありませんよね。
ですから、あなたがもしもちゃんとした日本人であるのなら、
僕が、誰にどこでどのように「欧米崇拝と言って噛み付いた」のが「非論理的」なのか、
引用あるいはご指摘をお願いします。あなた、日本人ですか?

311なつ:2009/11/29(日) 18:01:35
*さん
あと、もうひとつ。
僕の「欧米崇拝だと非論理的に噛み付いた」ことはさておき、
>>こういう綴りのほうがかっこいいという非理論的な個人的のみの価値観は用いるべきではありませんね。
というのには少なくとも批判なさらないということですね。
ありがとうございます。

312だにょ:2009/12/06(日) 21:32:44
中国製? 改良は、きりがなかったりして。

大通語
http://www.mondlango.com/jp.htm

313なつ:2009/12/10(木) 21:11:02
>>312
中国人も作るんですねえ。
日本では(日本語では)探しても人工言語は数える程度なんですが、
英語で探せば無限にどんどん溢れてきます。百花繚乱
それを凌駕(?)するには、特別なコンセプトその他がなければならないわけです。
この大通語もエスペラントの語彙選択を英語よりプラス中国語の要素を加味したみたいですね。
IDOはフランス語の語彙と文法を少々加味したみたいなものです。
このように英語で調べればあふれ出てくる99.9%の人工語、改造エスペラントが、ただ好きな言語に傾けただけだったり、つづり発音などを変えただけだったり、
まあよくいっても、欧米の価値観の言語で無尽蔵に共通欧米語彙を取り入れたりといったものばかりです。
プロパガンダ次第で、そういう「コンセプトのない」恣意的なだけの改造エスペラント、あるいは、欧米の価値観に頼っているだけの改造欧米言語に、ガツンと一石投じると思ったからこそ、
NEPOに、僕は、乗っかりました。ガツンと一石投じたい。


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