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エスペラント改造論
265
:
松戸彩苑
:2008/06/06(金) 03:36:26
(
>>264
の続き)
これだけ説明すれば、ザメンホフが1905年以降に改造案を何度も送ったことも不思議で
はないという事になるのではないでしょうか。
先の引用文のなかに「権威ある中央機関」というのが出てきましたが、1905年に言語委
員会(Lingva Komitato)が発足してるんですね。
これが彼の言う「権威ある中央機関」ですので、ザメンホフは1905年以降、言語委員会
に対して改造案を送ったということなんですね。
このように考えていけば、ザメンホフの言動と行動にはなんら矛盾が無いということになる
はずです。
そもそもザメンホフは、1887年に発表した時点で「エスペラントは将来、改造しなければな
らない」と考えていたわけです。
それは1887年に出版した『国際語』(『第一書』)のなかに「改造すべき点について教えて
ほしい」と書いていたことでも判るんですが、私の推測では、それだけではないんですね。
原エスペラント(pra-Esperanto)というのがありますが、あれを見ますと、民族語から単語を
採用しているんですが、かなり単語を短くしてるんですね。
一方、1887年に発表した現在のエスペラントは、欧州各国語から単語を採用しています
が、名詞・動詞・形容詞などについては、ほとんど元の語形のままなんですね。
私はこれを見て
ザメンホフは最初「発音しやすい人工語を作ろう」と努力していたが、しかしそのために
単語を短くすると、発音は容易になるが、憶えるのがかえって困難になるということに
気がついた。
これでは「学習しやすい人工語」ではなくなってしまう。
この時にザメンホフは「ラテン語が変化して、ロマンス諸語ができていった」ということを
思い出したのではないでしょうか。
そして、それを思い出したとき「最初っから発音しやすい言葉をつくる必要は無いんだな」
と考えたはずです。
「少々発音は困難になるかもしれないが、最初は、民族語で使われている単語をその
まま採用することにしよう。そのほうが学習も容易なので、話者が増えやすいだろうし」
「で、あとで徐々に、みんなの意見も参考にして、より発音しやすく改良していこう」と考
えたのではないでしょうか。
このように方針を大転換して、単語をほとんど元の語形のままで採用することにして出
来たのがエスペラントだった。
という事なのではないかと想像したのですが、このように考えていたのであれば、1905年
以降に改造案を何度も提出したのも当然だと思うんですね。
---
これで納得していただけたのではないかと思うんですが、しかしそうしますと「どうして Fun-
damento de Esperanto は判りにくいのか」という点が不思議に思えてきます。
これはまったくの推測なんですが、ザメンホフは「わざと判りにくく書いた」のではないでしょ
うか。
ザメンホフとしては、本気で改造案を提案しようと思っていて、そのために1905年に言語
委員会も発足させたわけですが、しかしその少し前からテオフィル・カールという人物に、
ザメンホフが導入した新語根を批判されてたんですね。
このカールは新語根にさえ猛反対するくらいですから、改造案なんかに賛成するわけが絶
対に無いわけです。
しかし改造案を出さなければエスペラントは発展していかないと考えているザメンホフは、
なんとしてでも「正しい手順をとりさえすれば、改造は可能である」ということを訴える必要
があったわけです。
またザメンホフにしても「安易な改造」については禁止しておきたかったわけです。
そういう事情があったので、Fundamento de Esperanto は判りにくく書かれざるを得なかっ
たのだと私は思います。
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